いつもの仕事 その五 ハプニングへの対処

  悪魔。5人だか5匹だか5柱だか……の、そいつらを、大地の女神が倒し、バラバラにしてこの世界にバラまいた。

 ……そのはずなのだが悪魔もしぶといもので、大地に残った悪魔の力である魔力はいろいろな悪さを引き起こす。

 わかりやすいのが魔獣だ。

 地下を流れる魔力は、時たま地上に吹き出し、あるいは地下に迷宮を作る。そこで魔力を取り込んだ獣や魚や植物や石や空気や……まあ色々なものが魔獣となる。獣じゃないものもいるが、とにかく何かが魔力で変化した怪物をまとめて魔獣と読んでいるわけだ。

 魔獣はとにかく凶暴な上に普通の獣よりずっと大きくなるし、魔力によってヤバい能力を持つから強い。さらに悪いことに女神に愛された人間を嫌っており、積極的に襲ってくる。魔獣が普通の牛や馬より大きくなると、俺たちみたいな専門家でなければ対処は難しい。

 広い大地の下にはどこにでも魔力が流れているので、魔獣もどこにでも発生する。それ故に俺たちは農地を気軽に広げることもできず、狭い村や町に大勢が引きこもって暮らすハメになっているというわけ。

 そして、もう一段上の厄介事が、魔精だ。

 魔精は魔獣とは違い、大量の魔力がそのまま意志を持った怪物だ。

 その形は様々で、獣から人間じみたものまでよりどりみどりだが、共通しているのはこいつらは悪魔に忠実に仕えている悪魔の手下であるということだ。で、女神に愛された人間を殺そうとしてくる。

 ここまでは魔獣とさして変わらない、が。

 必要とする魔力が多い分、魔精は魔獣ほど多くは生まれない。が、逆に言うと溜め込んだ魔力がほとんどの魔獣より多いのだ。だからとにかく強い。加えて知能も人間と同じかそれ以上ときている。この上なく危険な存在というわけだ。

 ……さて。

 その魔精が、いま俺たちの目の前にいる。……俺も実際に見るのは初めてだ。

 白いローブ姿の巨人。ローブの奥にあるはずの顔は不自然に真っ暗で何も見えず、手も足もローブに隠れているが……その足元には、赤い血が蠢いている。ひどく不気味で、不吉な姿だった。猛烈な重圧に気圧される。


「どうします、コトサカさん! 俺は割と逃げたい気持ちでいっぱいなんですが!」


 部屋の中心に立ち上がった魔精から目を離さないまま、俺はそう叫んだ。

 魔精と戦うのは初めてだが、さっきの魚地獄の時点で実力の一端は伺えた。噂通りにヤバい相手だ。


「決まってるでしょ」


 何の迷いもなくコトサカさんが返し、剣を掲げる。それでもう返事の内容がわかった。


「仕留める! 魔精は高い値がつくし、今なら殺れる面子が揃ってるし!」


 そう言いながら、コトサカさんは横にいるロゾにウインクを飛ばす。

 いつもはその決断の速さに憧れもするのだが、今くらいは少し迷ってほしい。

 水を向けられたロゾも、苦笑しながら頷く。


「魔精が相手なら、背を向けるほうがリスクが高い。……イセナ、そろそろ起きなさい」


 そう言いながら、ロゾが足で未だに気絶していた少女の魔術使いを軽く蹴った。ちょっとぞんざいだが、まあ、今はアイツから目が離せないしな。

 蹴られた魔術使い……イセナは少し震えて、目を開き、そして慌てて立ち上がった。


「イ、イノシシ!! あれ!?」

「水の魔精だ。イセナ、大きいのを頼む」

「え!? えっと!? は、はい!」


 周囲を軽く見回して状況を把握したのかしてないのか、少女は体を覆っているローブの中を慌てて探っているようだ。

 ……それがきっかけになったのか。魔精が動いた。白いローブの下から、赤一色の両腕が現れる。指が異様に長いその表面は、水面のように光をゆらめかせて反射している。血でできているのか。


「来るよ! 全員、防御を固めて! サーゲアはマディチの後ろに隠れる!」

「は~いぃ……」


 疲労した様子のサーゲアが、言われるがままにマディチの後ろへ。先程の闇魔術の行使と制御に加えて、それを破られたショックでかなり消耗している。無理もない。

 意志を直接くじく闇魔術は魔精にはかなり有効らしいのだが、魔力の差で押し切られたというところか。

 結局は俺たちでやるしかない。斧の柄を握る両手に、強く力を込める。

 さて、どう来る。

 俺たちの視線を集める魔精は、俺たちの意志が固まったのを察したように動き出す。

 ヤツが大きく紅い両手を、仰々しく振り、俺たちに両の手のひらを向ける。

 それに応えるように、足元の血が激しく震えながら、じわじわと広がっていくのが見えた。また魚を飛ばしてくるのか?

 そう思った、そのとき。

 突如、やつの足元に井戸が湧いたのかと思うほどの勢いで血が大きく噴出し、白いローブ姿が隠れて見えなくなった。

 さっきよりもヤバい。本気で仕掛けてくるつもりだろう。

 噴出した血は弧を描いて魔精の前に落ちて床に飛び散ったかと思うと、それが突然に立ち上がる。


「……でかい!」

「波!?」


 そう、血が大波へと変わったのだ。

 俺たちの背を遥かに超える波が、すさまじい速度で近づいてきた。なんなんだデタラメすぎるだろ。

 俺とマディチ、ついでにイセネは動揺したが、コトサカさんとロゾは平然と構えを取っている。ちなみにサーゲアはぼんやりしていた。そこまで疲れてるのか。

 波は横にも大きく広がっており、回避は無理だ。全員が固まって防御の構えを取り、霊術で防御するしかない。

 体を霊気の膜で覆う硬術か、それとも地術で体を固定するか……。考えている間にも波は迫る。

 しかし、突然、俺の数メートル先に迫った波の先端が、ボロボロと崩れ出した。なんだ? とにかく波が小さい粒に分かれていく。

 いや違う。すぐにわかった。

 ひとつひとつがただの粒ではなく、何かの形を取っている。楕円形に、平べったいものがあちこち生えたような。

 そうだ。魚だ。

 血の波濤が、魚の波濤に変わりつつあるのだ。尖った牙と赤い鱗、無表情な瞳が無数に俺たちの上から降り注ごうとしていた。


「くそ……!」

「これは!」


 こんなものをマトモに受けたら、あっという間に骨にされる。

 驚愕する俺とマディチを、しかし、コトサカさんはさらに驚愕させる。


「よし、全員突っ込め!」


 何を言っているんだ……と思った時には彼女はすでに実演している。

 剣を霊気で覆う闘術で輝かせて、迷いなく赤い波濤に走り出したのだ。

 俺は、バカな、と思考すると同時に、それが最善手であることも理解する。

 実際にやれるかどうかは別としてだ。

 ……迷っている間にも、波濤は迫りながら魚へと変わっていく。

 やるしかない。へばりついた脅えの上から勢いをぶちまけて塗り替えるイメージを思い浮かべ、覚悟を決めた。


「おおおおおお!!」


 とにかく叫んでやけっぱちな勢いをつけて、波濤にまっすぐ突っ込む。闘術をかけた斧で分裂しつつある波を切り裂くようにして飛び込む。

 サーゲアを抱えたマディチと、イセネを抱えたロゾも続く。

 飛び込んですぐに、コトサカさんの考えと彼女への理解が正しかったことを悟る。

 上から魚に変わった波濤がまだ変わりきっておらず、手のひらに乗る程度の粒に分かれただけのものが多い。この状態なら簡単に体で押しのけられ、噛まれる心配もない。このタイミングなら抜けられる。闘術で斧にまとわせた霊気は魔力を断ち切れば、柔らかい土を掘るような感覚が手に残る。魚に変わりつつある波濤を全員が切り開く。

 抜けた。

 剣を構えて立ち止まったコトサカさんが、こちらに軽く目を向けて笑った。

 マディチとロゾもすぐに波から現れた。

 そして、部屋の中心には白のローブ。

 俺の肩、頭、足に、魚が噛み付いてくっついているが、霊気で防御しているので傷はない。


「ふう……ッ」


 噛まれた場所に、軽く霊気を込めて魚を弾き飛ばす。全身を濡らした血はさほどぬめりがなく、ただの赤い水のようだった。水の魔力が変化しただけのものなのだろう。すぐに蒸発……いや、魔力に揮発して消えていった。

 精神的には消耗したし霊気も使ったが、傷は負っていない。これならいける。

 もう一度波を起こされる前にどう攻めるか、を問おうとしたところで、動いたヤツがいた。

 狼獣人のロゾだった。

 傍らに抱いたイセネを床に落とし、体をわずかに前へと倒す。


「次をやらせはせん。先に行く」


 その言葉に俺が視線を向けた瞬間、その姿が消えた。

 すさまじい速度の踏み込みだと気づいたのは、ロゾの拳……その右手に装着された爪拳手が白いローブの体に突き立つ轟音を聞いた後だった。


「……な」


 なんて速さだ、とつぶやく前に更に三発の拳が魔精を叩いていた。

 最初の一撃を叩き込んだ次の瞬間に右に動いてもう二撃、そして軽く地を蹴って後ろにまわり、飛び上がって後頭部に一発。

 ロゾの両腕の爪拳手は、拳として握れば凶悪な鈍器だ。

 並の魔獣ならこれで十回は死んでいるだろう。

 しかしさすがは魔精、姿勢を崩しながらも巨大な両腕を振り回してロゾを狙う。

 だが、既にロゾは十分に距離を空けた場所に着地している。

 魔精の体を蹴って離れていたのだ。

 コトサカさんが感心の声を上げる。


「早いね、9回」


 攻撃は蹴りを入れて5回ではなく、9回だったらしい。残りの4回は俺には全く見えていない。


「しかし……あれでは」


 逆に、マディチは不安げに顔をしかめている。

 ……それほどの攻撃を受けながら、魔精はわずかに姿勢を崩しただけだ。ダメージを受けた様子がない。

 そうだ。

 魔精は魔力から生まれた存在であって、たとえ実体化したように見えてもその本質は不定形な力そのものなのだ。

 どれだけ強く殴ろうと切ろうと燃やそうと、それだけで傷を与えることはできない。

 だが、それをロゾが知らないはずもない。なのにあえて拳で殴りつけているのは……。


「たぶん、見てればわかるよ」


 俺たちの疑問に、コトサカさんがそうつぶやく。その顔はなにがそんなに楽しいのか、というほどにニコニコと笑っている。

 何か仕掛けがあるのか。それが俺たちには見えていない? 俺は眼前の戦いに意識を向ける。

 魔精が振り回す腕を軽く跳んでかわしたロゾが、またも効果のないはずの拳を腹のあたりに打ち込む。

 その時だった。

 魔精の背中が、爆発するように飛沫を上げた。


「あれは!」

「なにが……!?」


 驚くマディチと俺の視線の先で、ロゾは魔精にもう一度拳を叩きつける。今度は腕が爆発した。ローブと腕がもろともに吹き飛ぶ。

 爆発した部分を凝視して、俺は気づいた。

 魔精の体から、霊気が吹き出している。魔精は魔力の塊であって、人や獣や魔獣のように霊気を含んではいない……そのはずだ。

 ではなぜ魔力ではなく霊気が魔精から放たれるのか。

 ……答えは一つ、あれは、ロゾが魔精に打ち込んだ霊気なのだろう。


「徹し……みたいなもの? 違うかな~? とにかく、なんかそういう技だね。霊気が爆発するやつ」

「さっきまでわかってる風だったのに曖昧ですね……!」


 コトサカさんの要領を得ないコメントにマディチのツッコミが入るが、まあ大体わかる。

 ロゾは拳で打ち込んだ霊気に、更に打ち込んだ霊気をぶつけて反応させ、爆発を引き起こしたのだ。

 体に霊気の流れを持つ普通の生き物ではなく、魔力の塊である魔精だからこそ、打ち込んだ霊気はそのまま泡のように体内に留まる……というわけか。

 とはいえ、魔精の体を吹き飛ばしたとて、それがダメージになるわけではない。そう、魔精を傷つけるのならば……。

 コトサカさんが小さく頷く。


「拳は下ごしらえ」


 ロゾが、両の拳を開いた。

 爪拳手から鋭い爪が飛び出し、霊気の光を放つ。

 手のひらを上に向けた手刀。光が走り、片腕を失った魔精の胸に突き立ち、止まることなく上に抜けてえぐる。

 魔精の胸に刻まれた四条の傷から、魔力の光がほとばしった。まるで、鮮血のように。


「……さて、シースト、マディチ」


 コトサカさんが、俺たちの方を向いた。


「そろそろ、分け前が主張できなくなる前に、働いてきてくれる?」

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