いつもの仕事 その四 ハプニング
コトサカさんと狼獣人、そして俺たちは互いの無事を確認しあい、壁際に集まった。
そこには狼獣人が庇っていた一人の女魔術師……というか、十代後半程度に見えるので少女か。その少女魔術師が壁にもたれて座っている。気絶しているようだった。
狼獣人は彼女の様子を確認し、安心したように息をついた。立ち上がり、俺たちの方を向いて頭を下げる。
獣人の表情は慣れれば意外にわかりやすい。目元と少し緩んだ口元に安堵と感謝が見えた。
「助かった。私だけでは、持ちこたえられなかっただろう」
謙遜のようだが、6匹のヨロイイノシシに襲われて、仲間を庇いながら一人で持ちこたえていた、ということ自体が彼の尋常ではない実力を表している。戦う姿を直接見てはいないが、コトサカさんと同等近い実力はあるかもしれない。
しかも偶然俺たちの助けが間に合うのだから運もいい。大地の女神に愛されている迷宮士とは、こういう男のことを言うのだろう。
「私はロゾ、と言う」
「ロゾ、ね。私はコトサカ。で、こっちがシースト、サーゲア、マディチね」
コトサカさんが俺たちを一人ずつ指し示しながら、手早く紹介した。
「コトサカ、か。あなたがチームのリーダーなのだな。良い仲間に恵まれているようだ」
獣人、ロゾは俺たちが倒したヨロイイノシシの方を見て言った。
俺たちがほぼ一撃でヨロイイノシシを倒したことを見抜いたようだった。しかし。
「ふふ、ありがと。そっちも凄いよ。二匹をそれぞれ一撃で倒してる」
彼は同時に二体を相手にしてこれなのだからすさまじい。俺だったら多分、一匹を倒したか倒せないかくらいで死んでいる可能性が高い。逃げ回れば持ちこたえられはするだろうが。
仕留めたヨロイイノシシの様子を見る。一体は喉を深く切り裂かれて血を流しており、もう一体は硬質化した頭が拳の形に陥没している。対照的な倒し方を実現できるだけの、技術と威力を持ち合わせているわけだ。
「そう言ってもらえるのはありがたい。だが、慢心していたようだ……。まさか6体が同時に現れるとはな……」
大量の血を流して倒れているヨロイイノシシたちを横目に、ロゾはそうつぶやく。
その言葉を、俺は少し不思議に思う。
6体が同時に出現するというのは珍しいことだが、全く無い話でもない。彼ほどの実力者がそれを知らないとは。たった二人でこの深さまで潜っていることも、考えてみれば違和感がある。
ふと、俺は疑問の答えに気づいて口を開いた。
「ロゾさん、もしかして
俺の言葉に、ロゾは頷く。やはりか。女神に愛されたビギナーだったようだ。
「ああ。私と彼女……イセナは二人で旅をして、タバトアにやってきたところなんだ」
マディチが納得したように頷く。俺と同じ疑問を抱いていたのだろうか。サーゲアはよくわかってない顔をしていた。
「やっぱりそうでしたか……ロゾさん、正直、この深さまで二人で来るのはちょっと無謀ですよ。慣れたやつと潜ったほうがいい」
俺は素直な忠告をする。
戦闘技術だけなら俺のほうが若輩で未熟者ではあるだろうが、タバトアの迷宮士としては先達だ。聞く耳があれば聞いてもらえるだろう。
ロゾは不快な様子も見せず、うなずいた。その大きな耳は飾りではないようだ。
「そのようだ。旅費と旅材を稼ぐだけのつもりだったから、二人で潜ってしまった……。これほどに統制が取れた動きをする魔獣が現れるとは、迷宮とは恐ろしいものだ」
統制が取れた動き、と言われて俺も生前のヨロイイノシシの様子を思い返す。普通のヨロイイノシシは単に暴れるだけの怪物で、同種同士でもケンカをする凶暴さだが……。
先程俺たちが分断した三体は、並んで突進をしようとしていた。かなり連携が取れている動きだ。迷宮に現れる特殊なタイプのヨロイイノシシだったのかもしれない。
そう考えていた俺に、ロゾは笑うように口を動かす。
「その忠告に感謝するよ、シースト。私たちも仲間を募るとしよう」
「あ、いえ……そんな大したことじゃないんで」
丁寧な態度に、こっちが少し照れてしまう。
「なるほどねえ」
俺たちの会話を聞いていたコトサカさんが何やら嬉しそうに笑っていた。
それだけで、彼女が言い出すことがすぐにわかる。
「それじゃ、ウチに入らない? 稼ぎが貯まるまでの期間限定でいいからさ? ロゾの実力なら、大歓迎だよ」
まあ、そうなるよな。
俺たちにとっても悪い話ではない。気絶している魔術使いの実力がやや低いとしても、コトサカさんの目にかなうロゾほどの実力者が加わるならそれだけで十分にお得だ。稼ぎは格段に上がるだろう。
だが、そんなうまい話に不満を漏らすやつもいる。
「え~……知らない人と潜るのは……ちょっと……」
元ひきこもりの闇魔術使い、サーゲア。巨漢のマディチの後ろに隠れながら、そんなことを言う。
こいつの人見知りはずっと変わらんな……。俺とコトサカさんに初めて対面した時もこんなことを言っていた。
ロゾはコトサカさんの言葉に驚いたように目を丸くしていたが、サーゲアの態度に苦笑のような表情を見せた。
「有り難い話だが、まずは全員の同意を得てからのほうが良いと思うぞ」
「ん~、それもそうかな……。じゃ、この話はまた今度にしようかな」
コトサカさんもサーゲアを見ながら、話をあっさりとひっこめる。
俺はサーゲアの言うことなんかほっといてロゾを加える話を進めたほうがいいと思うのだが……。俺の時も、マディチの時も、二日で慣れたのだから。
とはいえ、俺の立場からそう言い出すのもよくないか。
「……さて、それじゃ……」
と、コトサカさんが俺たちの方へと向き直る。俺も改めて彼女の方へと身体を向けて。
ふと、足元に妙な感触があった。なにか、水たまりを踏んだような。
「ん?」
足元を見れば、赤い血が流れてきていた。ヨロイイノシシの血だろう。さすがに6体も倒せば、血も広がって……。
待て。この床は煉瓦造りだ。
よく見れば煉瓦の隙間を通って、赤いラインが部屋中に広がっている。水を吸収しやすい煉瓦の上に、これほど広範囲に血が流れ広がるだろうか……?
やばいかもしれない。
「コトサカさん! 血が広がっている!」
「ん? っと、こいつは……!」
コトサカさんも剣に手をかける。
よくわかってない顔をしているサーゲアを後ろにかばって、マディチも剣を構えた。
ロゾは……目をつぶっている。この状況でどうしたのかと思うと、鼻がわずかに動いているのが見えた。直後、目を見開いて叫ぶ。
「魔精だ!」
魔精!
その言葉を俺たちが飲み込むと同時に、水が動いた。
ほんのわずかな血液が、突如波打つようにその量を増して煉瓦の上を覆う。さらに風もないのにその表面が波打った。
そして……赤い水面から、魚が飛び出した。
「くそ!」
俺は慌てて縦に構えていた斧を振って、魚を弾き返す。マディチやコトサカさん、そしてロゾも、それぞれの武器で魚を打つ。
しかし量が多い。何十匹もの魚が次々に赤い血の中から襲いかかってくる。
ほんの数ミリ程度の水面が、まるで深い池や川に変わったようだ。
二匹を弾き損ねた。俺の身体の露出した首元と腕に魚が噛み付く。機動力を活かすため、しっかりした鎧を着ていないのが仇になった。
魚たちは肉どころか、骨をも噛み砕かんばかりに、鋭い牙に力をこめる。
「ぐ!」
「フッ!」
次の瞬間、二匹の魚の体が半ばから断たれ、噛み付く力を失って下に落ちた。血の上に落ちた魚は、そのまま小さく飛沫を上げて消える。この魚たちにとっては、この赤い水面は深い水なのだろう。
そこで、コトサカさんが、剣の一閃で魚を断ち切ってくれたのだ、と遅れて気づいた。
「ありがとうございます!」
「気にしない! サーゲア、ぼーっとしてないで!」
剣と鎧で魚を防いでいたマディチ。その後ろにかばわれていたサーゲアが、はっとした顔をして慌てて動き出す。
「ま、魔なる闇よ! 女神の大地からめちゃくちゃ溢れてズタズタにせよ!」
小瓶に収まった魔術呪具を4つまとめて引きちぎって、血で覆われていない、少し離れた壁に向かって叩きつける。その呪文で本当に大丈夫なのか?
割れた瓶からこぼれた黒い闇……確か、闇の魔獣の血液を加工したものだったか……それが、壁の一部をわずかに黒く染める。
地面に当てる必要はない、なにせこの迷宮の中は床も壁も天井も、全て大地の一部なのだから。
溢れた闇は水面のように波打つと、一気に広がっていく。闇は、おおよそ一メートルほどの穴のようになり……中から、闇が流れ出た。
どぼどぼ、と壁に空いた横穴から、水のように闇が飛び出し血の上に落ちる。
反応は劇的だった。
闇に触れた血が、一気に引いて逃れようとする。しかし闇は逃さない。床に直接落ちた闇は何条にも分かれて血の上に線を描く。
「ま、魔精なら……闇の魔術は死ぬほどキライなはず……!」
部屋全体に広がっていた血の上を、闇の線が走り、寸断していく。サーゲアの呪文どおり、『めちゃくちゃに溢れてズタズタ』にしているのだ。
血は逃げながら部屋の中心に集まっていく。大量の血が泥のように盛り上がって、床から離れようとしているのがわかった。
「よ、し……!」
呟いたサーゲアは両手を組んで顔の前に持っていく。目をつぶり、何かを祈るように集中した。以前も見たことがある俺には、闇の魔術を直接操ろうとしているのだとわかった。
壁の穴から流れ出ていた闇が、止まる。
止まったと思った直後に、一気に噴出した。
「つぶ、せー!」
噴出した水流のごとき闇は、斜め上に上昇しながら部屋の中心をめざし……そして盛り上がった血の真上から、一気に突っ込んだ。
黒と赤の流体が、ぶつかる。
弾けた。
黒い水流と赤の水塊が弾け、広い部屋の中に飛び散る。
十分に離れていたはずの俺たちにまで届き、思わず顔を手でかばった。
かすかな感触が身体に触れる。見れば、体にかかった血も闇もすぐに消えた。魔力の産物だったからだろう。
「……決まったか?」
そう言って、俺は腕を下げる。
「シースト、そういうのは思っても言わない。フラグになるから」
横から、コトサカさんの少しおどけたような言葉が聞こえた。彼女の視線は、部屋の中心から動いていない。
「決まったかどうか、ちゃんと確認してからね」
部屋の中心。
そこにいたのは、赤い血溜まりの中から生える、白いローブをまとった、ヨロイイノシシよりも更に大きな、何かだった。
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