いつもの仕事 その三

 一人の迷宮士が多数の魔獣に襲われて苦戦している。戦闘音がする部屋に入った時にはこれが一番理想的なシチュエーションだ。なにせ面倒がない。

 迷宮士が他の迷宮士を助けるのは当然のことだし、倒した分の魔獣はこちらが貰える。助けた迷宮士が義理堅いやつならオマケもくれるだろう。

 部屋に飛び込んだ俺たちに、狼の獣人が気づき視線を一瞬だけ向ける。人というよりは狼が直立したような骨格。両腕には巨大な陶の篭手を装備している。その五指(獣人の指も五本だ)の先には爪のように刃物が伸びている。五指を開けば刃の爪として切り裂き、握れば鈍器の拳として殴り飛ばす、爪拳手そうけんしゅだ。

 俺が分析できたのはそれまでだったが、コトサカさんの判断はそれ以上に早く、言葉も簡潔なものだ。


「二体、いけるか!」

「ああ!」


 狼獣人の返答も簡潔。

 このやりとりで、作戦が決まった。

 コトサカさんが素早く右に走る。俺とマディチは左に。サーゲアは立ち止まったまま、距離をとる。


「サーゲア、2と1と3で分けろ!」

「ういっす!」


 サーゲアが体に巻きつけていたベルトから、3つの魔力道具を引きちぎる。すべて魔術燃料。魔力を身体に貯蓄しにくい人間が魔術を使うために使用する、魔力のこもった液体が入った小ビンだ。脂のように粘度のある、黒い液体が中で揺れる。


「魔なる闇よ、女神の大地より溢れていでよ!」


 まとめて3つの小ビンが投擲され、今にも狼獣人へと突進しようとしていたヨロイイノシシたちのど真ん中に落ちる。小さくビンが割れた音が響き、そして。

 瞬間、地面に2本の黒い線が筆を走らせたように引かれる。闇の魔力だ。

 闇の線は地面から即座にせりあがり、高さにして2メートル以上はあるヨロイイノシシをも超える壁となった。その向こう側にコトサカさんの姿は消える。が、それでいい。

 2本の壁は交差しながら6体の魔獣を分断した。俺とマディチ、サーゲアの前にいるのは3体だ。

 闇の壁の向こう側で、コトサカさんと狼獣人も同じように分断されたヨロイイノシシと対峙しているだろう。


「いけた、かな……?」


 見事な仕事をしてみせても不安げなサーゲアの声に少しおかしくなる。

 俺とマディチは武器を構えた。


「よし」

「さて、行きましょうか」


 俺たちの姿に、凶暴なヨロイイノシシたちの動きが迷ったものになる。壁の向こう側に行くか、こちらを相手取るかで悩んでいるようだ。

 闇の壁はこういった高い知性を持たない魔獣にこそ有効な魔術なのだ。

 実のところ、この闇は幻影のようなもので、実体はない。石を投げつければ普通にすりぬけて、壁の向こう側に落ちる。

 しかし、生き物が通り抜けようとすれば……端的に言って、とても嫌な気持ちになる。身体には全く害はない。だが心に作用する効果は絶大だ。

 自分の中にある不安が増幅され心を恐怖が覆う。見ているだけで離れたくなるし、勇気を振り絞って突っ込んでも、抜けた時には目の前にいる敵と戦う気力を削られている。

 俺も以前、試しに体験したことがあるが、壁の向こうで剣を構えていたマディチに突っ込む勇気が出ないまま棒立ちになり、逃げ腰で距離を取ることしかできなかったな……。

 ただ、効果が続く時間は短い。およそ数秒ほどだろう。もちろんそれだけあれば、熟練した迷宮士には十分だが。

 だからヨロイイノシシが壁を抜けようと、こちらに向かってこようと仕留められる。俺たちは構えを取って相手の判断を待つ。

 ……魔獣たちは結論を出した。俺たちをまず倒すつもりになったようだ。3匹のヨロイイノシシがこちらにつっこんできた。


「マディチ、一撃でやるぞ」

「ええ、もちろん」


 俺とマディチは間隔を開けて横に並んで立つ。

 ……ヨロイイノシシは、猪を風船のように膨らませたような姿の魔獣だ。ほとんど球状の身体から短い4本の足が生えていて、頭と胴体の区別はよくわからない。

 その上で、球の中心からやや下寄りにある顔から背中と足が硬質化している。これがヨロイの名の由縁だ。生半可な武器は通らず、その巨体による体当たりの威力を更に増す。ユーモラスな姿に惑わされれば、潰されてエサになるだろう。

 見た目は鈍重そうだが、その動きは早い。わずかな距離だが、レンガを砕くほどに強く床を蹴って加速する。俺たちもそれに対応しなくてはならない。

 まず最初に動いたのはサーゲアだ。

 身体に固定した魔術道具を一つ千切る。黒い角の欠片。闇の力を受けた魔獣の角の表面に魔術文字を刻み込んだ使い捨ての魔術呪具だ。

 使い方は簡単で、起動のための魔力をわずかに込めて投げつけるだけ。


「てりゃ」


 気の抜けた声でサーゲアは腕を振る。サーゲアの手から離れた瞬間に黒い角から闇が滲み出て、闇の塊となって飛ぶ。魔術・闇弾。

 闇弾が加速し、一体のヨロイイノシシの硬質化した部分……たぶん頭のあたりに当たる。闇がその身体に吸い込まれる。闇弾の中心にあった角だけが、刺さってもいないのにくっついたままとなった。

 次の瞬間、ヨロイイノシシが足をにぶらせる。心の中に沸き起こった猛烈な不安のせいで、自分で制動をかけたのだ。闇魔術は破壊力はない分、小さな魔術呪具でも十分に効果を発揮してくれる。

 これで前衛の俺たちとヨロイイノシシは2対2、いや、1対1が二つとなった。

 あとは仕留めるだけだ。

 魔獣を狩るのに、魔術師は魔術を使う。

 そして俺たちは、霊気術を用いる。地に流れる女神の霊気。生命の源動力であるそれを操り、ただの人を超えた力を発揮するのだ。

 マディチが、手にしていた大剣を構える。両手で柄を握り、上段に剣を振りかぶる。

 俺は視線をヨロイイノシシに向けたまま、マディチの身体に流れる霊気を感じた。


(剛術だな)


 霊気によって肉体を強化し、超人の剛力を発揮する。迷宮士の基本中の基本のシンプルな気術であり、それ故に強い。

 マディチにヨロイイノシシが近づく。踏み込んで振り下ろした剣が届く3メートルの間合い。

 まだ動かない。

 2.5メートル。

 まだ動かない。

 2メートル。

 もはや踏み込ませすぎだ。もう間に合わない。

 普通ならば。

 1.8メートル。

 マディチが巨剣を、ただ力任せに振り下ろした。

 剣がヨロイイノシシの硬質化した頭頂に当たり……そのまま潜り込む。剣幅を超えて大剣が獣の体にめり込んだ。

 もちろんその程度でヨロイイノシシは死なない。上から振り下ろして当たるのは背中であり、そこにあるのは背骨をも覆う筋肉と脂肪。重要な臓器があるわけではない。

 だからマディチは更に力を込めた。

 高速で突進していた一トン近い重量のヨロイイノシシの足が、上からの圧力で折れる。腹が地に触れる。なお力を込める。

 ……丸い球体めいた身体が、轟音と共に潰れた。まるでボールを上から押し込んだように平たくなって、地面にめりこんでヒビが入る。魔獣の体内にある臓器も潰れていることだろう。


(とんでもないな)


 自分よりも大きく重く速度を持った魔獣を、ただ強化した腕力のみで文字通りに叩き潰す。壮絶な腕力と剛術に支えられた剣技。それがマディチの武器だった。

 さて、次は俺だ。

 俺もマディチにならって、突進してくる魔獣を近づけさせる。長柄の鉄斧を振りかぶった。ただし、正面ではなく横にだ。迫りくる魔獣の進路と直角に、右側に体を向けて振り下ろす形に。

 顔だけはヨロイイノシシに向けてタイミングを測る。2メートル。ここだ。

 俺は足に霊気を集中させた。剛術。

 前後に開いた足をわずかに屈伸させて床を蹴る。

 それだけで、俺は高く跳躍する。ヨロイイノシシを飛び越えるほどの力を最小限の動きで生み出す、これも剛術の使い方の一つだ。

 ヨロイイノシシは当然反応できず、俺の下を通り過ぎる……そうはさせない。

 もう一つ、俺は別の術を発動させる。

 気術の奥義とも言われる術……地術。俺の霊気を大地に結びつける術だ。

 俺の体の中を流れる霊気を、真下に紐のように伸ばすイメージ。それはヨロイイノシシを貫いて迷宮の床に達し、さらにさらに下へと潜っていく。そこにある、巨大な霊気の流れ……大地そのものに流れる霊気の流れと、自分の霊気を触れさせた。

 巨大な流れが、俺の体を下に引く。俺の霊気に触れたヨロイイノシシもまた、大地に引っ張りつけられる。

 同時に両腕に霊気を込めて剛術を発動、さらに握った柄を通して斧にも霊気を流し込む。斧の刃が、霊気の光を放った。これが霊気を直接破壊の力へと変換する、闘術。


「はあっ!」


 剛術、地術、闘術。同時に発動した3つの霊気術を持ってして、気合と共に斧の刃がヨロイイノシシに向かって振り下ろす。硬質化した皮膚は、背中全体を覆ってはおらず、その前面の半ばで途切れて毛皮へと変わる。その境界の部分がヨロイイノシシの狙い目だ。

 霊気の光をまとった斧が一気に半ばまで魔獣の体に埋まった。柄から伝わる、硬いものを断ち切る感触。背骨を断ったのだ。

 ヨロイイノシシの体が一度大きく震え、斧の一撃の衝撃のままに体を床に叩きつける。仕留めた。

 ふう、と息を吐いた。

 ……俺は平凡なので、ヨロイイノシシを一撃で仕留めるのには3つの術を同時に使用することを必要とする。マディチの強力な剛術が羨ましい。

 そんな俺の内心の羨望も知らぬげに、マディチはこちらに向かって笑顔で頷きと声をひとつずつかける。


「シースト、残り一匹です」

「ああ、もちろんだ」


 サーゲアの闇弾で怯えたように止まっていたヨロイイノシシ。その頭にくっついていた角の欠片が砂の塊のようにひび割れて崩れるのを確認する。効果が消えたのだ。サーゲアの闇術は足止めには有効だが、破壊力はない。仕留めるのは俺たちの仕事だ。

 ヨロイイノシシはこちらに向かって走りよろうとする様子を見せるが……遅い。

 俺とマディチは既にその左右に、飛び込むように走り寄る。剛術で床を蹴れば数歩で距離を詰めることができる。

 まずは右に回った俺が勢いのままに、その足に向かって斧を叩きつける。足も硬質化しているが、関節の継ぎ目を狙えば傷をつけることができる。霊気を込めた斧の刃が、膝に入り込んで抜けた。ヨロイイノシシの左前足を半ばから切り落とした。

 そのまま俺は横を走り抜けると、後ろでヨロイイノシシが左に倒れ込むのが見えた。

 それはつまり、俺とは逆側に回ったマディチに無防備な腹を見せているということである。


「ふっ!」


 マディチが振り下ろした剣が、球体の体のやや前より……おそらくは、首のあたりを断ち切る。肉を斬り割る音の中に、おそらくは背骨だか首の骨だかを断ったであろう硬質な感じが混ざっているのがわかった。

 これで3体を仕留めた。残りは3体。闇の壁の向こうで、コトサカさんと狼獣人の戦士が戦っているはずだ。

 ……いや。

 壁の向こう側から音がしない。


「サーゲア、壁を消してくれ」

「うい~」


 サーゲアがちょいちょいと手を複雑な形に動かすと、床から炎のように立ち昇っていた闇が燃え尽きたようにかき消える。

 そこにあったのは……。


「終わっていた……ようですね」

「そうだな」


 倒れた三匹のヨロイイノシシと、こちらを見ている二人がいた。

 ……俺たちよりも先に終わっていたのか。

 俺たちの方を見たコトサカさんは、頼もしげに笑っていた。

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