銀の鍵のエレジー

鐘古こよみ

第1話 お姉ちゃん嫌い


 私がお姉ちゃん嫌いになったのは、ベルキーのせいだ。

 そのことにようやく気付いた私は、文句を言うためにベルキーの元へ向かった。


「どうしてくれるの。あんたのせいで私、お姉ちゃんが嫌いなんだけど」

『オレのせいか』

「いろいろ考えた末の結論よ。あんたにはできない、ロンリテキシコーってやつよ」

『中学生が無理するな』

「余計なこと言ってないで、謝ったらどうなの」

『オレがか』

「お陰で私いま、すっごく迷惑してるんだからね」

 そう言って唇を尖らせると、ベルキーはちょっと間を置いてから尋ねてきた。

『迷惑って、どんなだ』

「たとえば中学校で、お姉ちゃんはすっごくもてはやされてるのよ」

『もてはや……?』

「つまり大人気ってことよ。房森中のアイドルと言っても、過言じゃないくらいにね」

『結構じゃないか』

「そりゃ私がお姉ちゃんを好きなら、大いに喜んだわよ。毎日楽しく学校で自慢して回ったでしょうね。でもあいにく、私はお姉ちゃんが嫌いなの」

『なんで嫌いなんだ』

「だからそれが、あんたのせいだって言ってるんじゃない!」

『オレのせいか』

「いろいろ考えた末の結論よ。あんたにはできない……」


 会話が元に戻っていることに気付き、私は唇をへの字に曲げた。

 まったく、これじゃ話が終わらないじゃない。


     *


 鈴木家において姉のしほりは、妹のさほりよりも万事よくできた娘さんだった。

 色白度、髪のストレート度、足首の存在度、目の大きさ度といった外見部門でも。

 思いやり度、真面目度、根気強さ度、聞き分けの良さ度といった内面部門でも。

 国語度、数学度、理科度、社会度といった学習部門でも。

 そしてもちろんピアノの技術部門でも、私はお姉ちゃんにすっかり置き去られている。


 よくできた人だから昔は当然、私もお姉ちゃんのことが大好きだった。美人で優しくて頭の良い女の子を嫌う人がいるだろうか。それが肉親ならなおのことだ。それなのに私がお姉ちゃんを嫌いになったのは、散々ベルキーに比べられたからだとしか思えない。


『しほりはもっと正確に弾く』


 ベルキーが散々、私に言い続けた台詞がこれだ。

 最初は素直にそうか、すごいなあと思っていた私にも、段々と反発心が芽生えた。ベルキーがどうも、あからさまにお姉ちゃんびいきなんじゃないかと感じたからだ。


「たまには私のことも褒めてよ」と言っても、

『すごいな。さほりは偉いな』

「何それ、全然嬉しくない」

『おまえが褒めろと言ったんだろうが』

 こんな調子でベルキーは、明らかにお姉ちゃんびいきなのだ。


 ベルキーのお姉ちゃんびいきに気付いたのをきっかけに、私はいろんな人のお姉ちゃんびいきを発見するようになってしまった。私の地位は「しほりの妹」であり、枕詞は「しほりの妹なのに」だということに、気付いてしまったのである。


 こうなると私のお姉ちゃん嫌いは加速する一方で、ところが私の周囲では、お姉ちゃんびいきの方が加速する一方だ。ついには房森中のアイドルなのだから、やっていられない。


「さほりちゃん。練習していないなら、お姉ちゃんが使っていいかな」


 大嫌いな姉が練習室の扉を開き、鈴の鳴るようなかわいらしい声で優しく尋ねてきた。

 私は無言でピアノ椅子を降り、態度で譲る姿勢を示す。

 去り際、引き止めもしないベルキーの黒い体に、ベタッと手の跡を残してやった。


     *


 他の家のピアノは、どうやら喋らないらしい。

 そのことを知ったのは、小学一年生のときだった。家にグランドピアノがある友達に、そのピアノの名前を聞いたら、変な顔をされたのだ。


「さほりちゃんちのピアノには、名前があるの?」

「うん、ベルキー。鈴木家のピアノだから、ベルキー」

「ふうん。うちは付けてないなあ、ピアノに名前なんて」

「じゃあ話しかけるとき、なんて呼んでるの? ピアノ?」

「話しかけるって何に? ピアノ?」


 話の分からない子だと思った。他に何に話しかけるというのだ。

 友達も私に同じ感想を抱いていたらしかった。よくよく聞いてみれば彼女の家のピアノは喋らないという。それだけでなく、普通ピアノとは喋らないものなのだという。


 びっくりした。地球が丸いことを知ったときと、同じ衝撃だった。

 しかし家に帰った私は、もっと衝撃的なことを知ってしまった。


「ねえベルキー、普通ピアノって喋らないらしいよ。あんた、変なんじゃない?」

『オレじゃなくて、お前が変なんだ』

 勢い込んで尋ねた私は、ベルキーに淡々と返事を寄越され、目を丸くした。

「なんで?」

『他のピアノがどうだか知らないが、少なくともオレは、お前としか喋ったことがないぞ』

「うっそ。お母さんとも、お父さんとも?」

『ないな』

「お姉ちゃんとも?」

『しほりともだ』


 びっくりした。地面の下に地獄は無いらしいことを知ったときと、同じ衝撃だった。けれど、そう言われてみると幼い私にも、いくつか思い当たるふしがある。


 その頃、夕食の席なんかでベルキーとの会話を披露すると、そろそろおよしなさい、と言わんばかりの空気が、家族の頭上に広がるような気がしていたのだ。

 それはつまり、そういうことだったのだ。


 その後、学校の音楽室なんかでベルキー以外のピアノとのコンタクトを試みたりもしたけれど、そういうピアノがウンとかスンとか、オレとか言い出すことは全くなかった。


 私が喋れるピアノは、どうやらベルキーだけらしい。

 私とベルキーは、お互いに変なもの同士だったのだ。


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