第12話・希望

 リアムは森を休むことなく進み続ける。

 シエラから教えられた通り村から東に進み、川を見つけてからは上流に向かって進む。

 シエラから言われたのは左岸を上流に進み続け、ひと目で分かるような巨大な樹を見つけたらそこに竜を操る少女の家がある。といった内容だった。


(シエラで片道五日……俺ならどうだ?)


 シエラは子供で、体力もなければ足も遅い。ということは、大人である自分ならもっと早く辿り着くことができる。とリアムは考えている。


(しかし……景色が変わらないのは不安だな…少し急ぐか)


 川沿いを進み続け、休憩を入れてしまうと更に時間が掛かってしまうので、体力を切らさないように一定の速度を保ちつつ歩く。


(ゴブリンには気をつけねぇと……まだ死ぬ訳にはいかないんだ)


 ゴブリン。

 それは人間の子供と同じくらいの大きさで、一般的な子供と対して変わらないがその凶暴性は放置できるものではない。

 多くの村が小鬼の被害を受けており、小鬼は村娘を攫って自らの子を産ませ、用済みとなれば食い殺される。

 更に厄介なのが住処としている洞窟は真っ暗で、小鬼の暗闇を見通す瞳が加わると油断できない強敵となる。

 しかし、ゴブリンは凶暴だが武器を持った大人が戦えば負けることはない。

 村の近くに巣が作られれば村人ら自身が潰しにいくことも多く、リアムも何度かゴブリンを仕留めたことがある。


(問題なのは相手の数……二、三体ならともかく五体もいると逃げた方がいいかもな……)


 幸いなことに、ゴブリンは夜行性。日の高いうちにできるだけ距離を稼ぎ、夜は慎重に動けばいいと考えていた。


(当然眠るつもりはない……寝込みを襲われたらおしまいだ。俺がシーフだったら選択肢もあったんだろうが、違うものは仕方がない)


 その後も日が暮れるまで歩き続け、腹が空いたら干し肉を齧り、喉が渇いたら川の水を飲む。

 こうしてかなりの距離を進んでいると、何者かの声が聞こえる。

 リアムはよく耳を澄ませると、どこかで聞いた事のある声だと気付いた。


(この声……ゴブリンか!)


 空は日が暮れ始めた頃。

 ゴブリンからしたら早朝と言った所だろう。幸い、まだ相手の姿がくっきりと見える時間帯なので圧倒的に有利なのはリアムだ。


(一、二、三……ああ、四体か?行けそうだな)


 ゴブリンの中には目を擦って欠伸をしている者もおり、まさに奇襲を仕掛けるなら絶好のチャンスという訳だ。


(いや、待て!仕掛ける必要があるのか……?用があるのは森の方じゃねぇ、このまま無視しちまおう)


 リアムは冷静に正しい選択を考え、ゴブリンを無視して進んでいくことに決めた。

 ゴブリンを避け、それから更に長い時間進み続ける。

 空は漆黒に染まり、周囲には夜の帳が下りて暗闇に包まれる。


「はぁ……はぁ……」


 月明かりを川がキラキラと照らし、必要最低限の明かりになっているのが唯一の救いだった。

 しかし、すぐ隣の森は真っ暗でいつモンスターが襲ってきてもおかしくはない。


(結構…近付いてきた筈だ…くそっ……少し休むか……)


 肉体的な疲労もそうだが、いつ襲われてもおかしくないという状況がリアムの精神を徐々に蝕んでいた。

 リアムは周囲を見渡し、森を背にして川沿いの大岩に身を隠す。


(はぁ、はぁ……疲れた……。だが、もう少しだ…メル…)


 リアムは呼吸を整え、しばらくしない内に立ち上がって再び歩き始める。

 しかし、何故か体が重く、全身が酷くだるい。まるで水の中にいるように体が動かせなかった。


(あぁ……?酷使し過ぎたか……?ちくしょ……流石に休むか……)


 先程と同じように岩の裏に隠れ、息を潜めて体を休ませる。


(なんだ……これ……頭が痛い……くそ…疫病か……)


 村の老人がこのような症状だったのを覚えていた。

 初めは動かせていた部位が少しずつ動かせなくなっていき、やがて呼吸すらできなくなって死んでいく。


(ダメだ……目が……意識が……)


 そして、リアムは深い眠りに就いてしまった。



「はッ!」


 リアムは目を覚まし、慌てて周囲を見渡した。


「くそ…寝てたか……」


 ゆっくりしてる暇はない、と立ち上がるが頭痛がしてふらついてしまう。


(頭ッ……痛え…)


 頭痛に耐えながらも、ゆっくりと立ち上がる。

 どんなに頭が痛かろうが、ここにいてもどうせ変わらないことをリアムは理解していた。


「ふーッ、ふーッ!行くぞッ!」


 拳を強く握り締め、全身から汗が吹き出しているのが自分でも分かった。だが、止まる訳には行かない。

 もはや干し肉すら齧る気力がなかったが、無理やり口に押し込み、ふやかして胃に押し込んでいく。


「ギャ!?ギギギギャ!」


 どこからともなくそんな声が聞こえてきた。

 それは幻覚なのか、それとも夢なのか。リアムの前には棍棒を持ったゴブリンらしき姿がある。


「あ、ああ?ゴブリン、か……?」


 頭が働かない中、リアムは腰に下げていた剣の柄を握り抜剣する。


「すぅ……」


 リアムは大きく息を吸い込み、全身に力を入れる。


「かかってこいよッ!くそゴブリンがッ!!」


「ギャギャギャギャ!」


 まるで子供のようなゴブリンだが、今のリアムとっては気を抜いた瞬間殺される危険な相手だ。


「ギィーギャギャギャ!」


 笑いながら棍棒を振るうゴブリンに、リアムは避ける余裕はなかった。


「だからッ……一撃だッ……」


 力の入らない腕でも確実にゴブリンの命を奪えるように、斬り掛かるのではなく突く。

 胴体を確実に貫き、蹴り飛ばして流れるように剣を引き抜く。


「まず……一体……!」


 ゴブリンの数は残りはあと二体。

 仲間が殺されると思っていなかったのか、ゴブリンは慌てふためいている様子だ。


(このまま……逃げてくれれば楽なんだが……)


 しかし、数が有利だと気付いたのか片方が棍棒を振るいリアムの横腹を叩きつける。


「ぐ……!」


「ギャギギ!」


 しかし、リアムもただ殴られたわけじゃない。

 剣を投げて攻撃してきたゴブリンの頭を両手で掴み、全体重を乗せて足元の岩に叩き付ける。


「はぁ、はぁ、邪魔……なんだよ……お前も……」


 残り一体のゴブリンを前にリアムは立ち上がり、一歩、また一歩と近付いていく。


「ギィ……ィィ!」


 ゴブリンは自分では敵わないと気付いたのか、走り去っていく。


(助かった……くそ……痛え……。早く、行かねえと)


 もはや、どこかに消えてしまった剣を探す力すら残されていない。

 荒い呼吸を繰り返し、力の入らない足で確実に前へ進んでいく。



 そして、ついに視界の先に巨大な樹が見えててきた。


(あれか……!見つけた……ついに見つけたぞ……!待ってろよみんな……!メル……!)


 目標が見えたならば、と足を動かし倒れそうになる体に喝を入れる。


「はぁ、はぁ、あ、あぁ、はぁ……」


 森の方に入っていき、木を避けて、新しい木を避けて、それを何度も繰り返しついに開けた場所に出る。


「あぁ……」


 一面が黄色く輝く花で埋め尽くされ、こんな地獄のような場所にも楽園があるのかと、リアムは思わず声に出してしまう程だった。


(もう……すぐそこだ……)


 しかし、足が言う事聞かず膝から崩れ落ちてしまう。


(まだ……まだだ…………)


 足が動かないのならば両手を使って、顎を使って、目的の場所に近付いていく。


「クロ…どこを見てるの?」


 声の聞こえる方向に顔を前に上げると、綺麗な黒髪を肩まで伸ばして切り揃えた美しい少女が漆黒の竜と触れ合い、離れたところからリアムを眺めている。


(見つけた……竜を……従……少女……)


 彼女こそ、シエラが出会った少女に間違いない。


「……助け……て、くれ!」


 喉が焼き切れてしまいそうな程の激痛が走る。

 だが、そんなことを気にしている場合では無い。


(俺は……死んでもいいッ!だけど……)


「村を……助けてくれ……!頼む!お願いだ!俺はどうなってもいい!なんだってする!だからッ!」


 喉が裂けて血が吹き出る。

 痛みなど、既にリアムの眼中に無い。


「クロ…彼を運んで。家の中に」

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