第4話・クロ

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか……。

 川を見つけたと思ったら謎の竜に出会し、死にかけたと思ったら次はこれ……。

 私はもしかしたら異世界を舐めていたのかもしれない。いや、完全に舐めてたと思う。

 私は今、一秒後に死んでいてもおかしくない危険に晒されていた。


「グァルルル……」


 そう、あの竜が私を追いかけてくるのだ。

 正直、恐ろしくて両足が小鹿の様にガクガクと震えている。ほんの少し力を抜いたらその場で動けなくなってしまいそうだ。


 私が少し進むと、一定の距離を置いて付いてくる竜。

 その見た目は全身を漆黒の鱗に覆われ、二本の角に四本の足。そして全身を包める程の巨大な翼があり、更に私の二倍以上はある尻尾が付いていた。オマケにその竜の体から謎の黒い霧のような何かが漂っている。

 傍から見ればかっこいいとは思うかもしれない。しかし、今の私にそんなことを考えている余裕は無かった。ただ、次に息を吐いた瞬間殺されていないことを祈るばかり……。


「……ん?」


 っていうか、このまま人の街に行ったら大惨事になるんじゃ……?

 この世界の人間の強さについてはわからないけど、こんな竜が現れたら大騒ぎになることは間違いない。となると、それを引き連れてきた私はえらい目に……?

 え?え?これどうしようもなくない?

 このままだと私は人の街にも行けなければ、この竜が永遠と私の後を追ってくるという地獄の始まりだ。


 そんな考えが頭の中を支配し、パニックになって早一時間。私はついに禁忌に触れる。

 そう、この竜との意思疎通である。


「あ、ぁの……」


 震えて言葉になっていなかったけど、竜は足を止めて私をじぃっと見つめてくる。

 やっぱ無理!怖すぎる!まだ死にたくないよ……。

 だが、残酷なことにここまで来て引き下がる訳にはいかない。


「な、なにか用ですか?」


 い、言えた……!どうだ……何とか言ってみさない!

 しかし竜は私の言葉を聞いても首を傾げるだけで、後はただ見つめてくるだけだった。

 いや、もういいよそれは。伝わんないよ。


「……はぁ」


 もはや恐怖が麻痺してどうでも良くなってしまった。

 どんなにビビってもこの竜の気まぐれで簡単に殺されちゃうんだし、居ないものとして過ごそう。うん、そうしよう。

 私は立ち止まり、振り返ってさっきの川に向けて歩き始める。

 人の街に行くことは一旦諦め、第一の目標は森で拠点を作ることである。

 もしかしたら……?と思って振り返るが、やっぱり私の後を追って来ていた。まあ、知ってたよ。


 しばらく進んで一波乱あった河原に戻ると、特になんの変哲もなく水が流れているだけで、先程とは違って静かで美しく見えた。

 うん、あんな事がなければ綺麗な景色なのになぁ……。

 私はその元凶が近付いてくるのを敏感に察知しつつ、住めそうな場所を探すことにした。


 それから数時間ほど歩き回ったが特に住みやすそうな場所は無く、ただ足を酷使してしまっただけだった。正直なところ、これ以上歩けないくらい痛い。

 特に川沿いの地面には石で凸凹しているので、歩きにくくて余計な体力を使ってしまう。これは本当に辛い……。

 正直これ以上歩きたくないが、安全に夜を過ごせる場所を見つけないと……この付いてくる竜みたいなのが他にも沢山いるかもしれないし。

 もう二度とあんな目に遭うのは嫌なのだ。

 そう思った時、ガサガサ!と草の揺れる音が聞こえた。私は弾けるようにその方向に目を向けると、その正体と目が合ってしまった。

 あ、フラグ……。


「ひっ」


 緑色の子供。

 ひと目でわかる特徴的な肌の色に、とんがった耳と蛇のような瞳。

 ゴブリンだ。しかもパッと見五体くらいいる。

 いやいや、もしかしたらこの世界の小鬼は人間を襲わない心優しきモンスターなのかもしれない。私はササッと目を逸らし、まるで何事も無かったかのようにゆっくりと前を横切る。


「ギギギャ!ギギギッ!」


「嫌ぁぁあぁあぁぁぁあぁあああ!」


 それはもう、足の疲れなんて吹っ飛ばして猛ダッシュ。

 相手は子供と同じくらいの大きさだが、棍棒を持って追ってくるその姿はまさに悪魔だ。

 捕まったら死ぬ。なんなら私の知る限りではそれより酷いことをされる可能性の方が高い。それだけは絶対に避けないと!身長は私の方が上、それに何も持ってない分私の方が速いはずッ!

 しかし、酷使した足でかなりの距離を走り続けると、私は足がもつれて転んでしまう。


「ぁっ……」


 慌てて起き上がろうとするが、それよりも早く小鬼が私の足を掴んで……全身に衝撃が走る。


「痛ッ!」


 小さく細い体ではあるが、相手を殺す気で嬲っているのだから痛いに決まっていた。

 痛ッ……ヤバイ……早く逃げ……。

 そう思い少しでも離れようと手を伸ばすが、悪魔は獲物を逃がしてくれる程優しくはなかった。容赦なく私の手を掴み、完全に逃げ場がなくなった。


「やめッ……て」


 私が悲鳴をあげたその瞬間、先ほどと同じ空間が引き裂けるような轟音が響き渡り、ただ一体の竜を除いて全ての時が止まった。


 私はゴブリン同様にただ絶対的強者である捕食者を前に動けず、これから何が起きるのかをただ理解する。

 咆哮を上げた竜はゆっくりとこちらに歩き始め、周囲に黒い霧が立ち込める。そして、私はただそれを眺めている事しかできなかった。


「ギ……?」


 ……え?なん……?

 見ていた。たしかに私はこの竜を見ていた。

 ただ次の瞬間私が理解するよりも早く、その巨体が消え霧の残像だけを残し私を襲っていたゴブリンに食らいついたのだ。


「ギギッ……!」


 他のゴブリンはやっと状況を理解したのか慌てて逃げ始めるが、漆黒の竜は片っ端からゴブリンを一撃で仕留めていく。

 噛みつかれ、切り裂かれ、押し潰され、吹き飛ばされ、方法は様々だったが確実に息の根は止まっていると確信できる程度には無惨な死を遂げていた。


「イギッ……!」


 最後の一体が他のゴブリンとは真逆の方向に走っていたのかその距離はかなり遠い。

 しかし、逃げようとしていたゴブリンは何も無いところで突然倒れ、二度と起き上がることは無かった。


「な……?あ……」


 何が起きたの……?

 夢でも見ているのかと状況が理解できない私を、ゴブリンから受けた痛みと散布した血の臭いが現実に引き戻す。


「グルル……」


 倒れた最後のゴブリンをグシャ、と踏み潰した竜が私の方に歩き少し離れた場所で止まった。

 もしかして……助けてくれたの?

 それ以外ありえないと理解しつつも、初めて会った時の凶暴な印象が拭えなかった私としては信じられなかった。だが、助けられたのは事実なのだ。


「……ありがとう、ございます」


 私の言葉が伝わったのか竜は巨大な翼を大きく広げ、純粋に喜んでいるように見えた。

 本当に……私を助けてくれたんだよね……?もしかしたら悪い竜じゃないのかも……?


「ご、ごめんなさい。勘違い、して……」


 ただの気まぐれで助けてくれたのかもしれない。だけど私の目には、この竜が悪い竜にはどうしても見えなかった。

 今思えば殺さないでくれたのも、後を着いて来ていたのも、全て私に興味があったからだろう。

 そんな竜は私の言葉を聞いて翼を軽くばたつかせ、周囲に充満していた黒い霧が揺れる。


 私は驚きのあまり上手く立ち上がることができず転びそうになると、竜が近寄り壁となって立ち上がるのを手伝ってくれる。


「ひぁ……あ、ありがとう」


 先程までの恐ろしさは薄れていたが、やはりこの巨体となると少なからず怖い。

 でも、どうせ助けて貰えなかったら死んでるんだし……信用してもいいよね。それに、もう悪い竜には見えないし……。


「ガルル……」


 え、なに?どうしたの?

 私が立ち上がる為に竜に寄りかかっていると、突然唸り声のようなものを上げゴブリンの死体を見ている。

 もしかして……食べたいの?え?これ食べるの?


「わ、私は平気……だから」


 私がそれだけ言うと竜は我先にと走り出し、仕留めたゴブリンを食べ始める。

 正直に言うと、かなりグロい。充満した血の臭いだけでも十分吐きそうなのに、死体を食う咀嚼音まで加わると精神的に苦しいものがある。

 助けてくれたのは嬉しいけど……これは急いで場所を変えた方が……。


「グルル」


 食べ終わるの早ッ。

 まだ死体は残っていたが、満足したらしく見向きもせず私の元に戻って来ていた。

 でも、もしもこの竜が居なかったら私があそこで倒れてたんだもんね……可哀想とか、そんな事考えてたら命が幾つあっても足りない。っていうかこの死体……は放っておいていいのかな?


「痛っ」


 私は立ち上がり場所を変えようと足を踏み出したその時、先程棍棒で殴られた部位が悲鳴を上げる。

 っ……いった……これしばらく痛みそう……。


「ガルルルル……」


「だっ、大丈夫……それよりも貴方は……?言葉が分かるの?」


 痛みを気にしている場合ではなかった。それよりも気になるのは、私の言葉が伝わっているのかということ。もしもこの竜が私の言葉の意味を理解してるなら、この先も意思疎通ができるということになる。


「グルル」


 いや、わかんない。わかんないよ……。

 そもそも竜って言うのは人の言葉が分かるものなの?あ、そうだ。


「回ってみて……?」


 ふと思いついたことが口から零れてしまい、あっと口を塞ぐがその頃には竜がクルクルと楽しげに回っていた。

 あ……やっぱり言葉が通じてるんだ……。まるで子猫が自分の尻尾を追いかけ回してるみたい……。


 もしかしたら、可愛い……かもしれない。

 極限状態で頭がおかしくなったのかもしれないが、なんとも言えない可愛さがある……と思う。


「ガル?」


「あ、も、もういいよ。ありがと……」


 しかし、デカい。全長六メートルくらいはあるように見える。ほぼ私四人分の大きさだ。その迫力は小さい頃初めて象を見た時の衝撃に近い。


「えっと……名前は……」


 竜は少し呼びにくいし、名前があればいいんだけど……あったとしても私に伝える手段が無いし……。


「?」


 竜は首を傾げて私をただただ見つめてくる。

 表情は分からないけど、凄い分かりやすい……。というか、全身で感情を表してるのが可愛い……。

 ……ってことは、名前が無いのかな?竜が言葉を話せないなら名前もつけることもないと思うけど……ここまで賢いとよくわかんないなぁ。


「名前……付けてもいい?」


 もし名前があるとしたらかなり失礼かも……と思ってビクビクしながら聞いてみる。

 対して竜の反応は首を近くに寄せ、興味津々と言った感じだ。なら……言うしかない!


「じゃあ……クロ……なんてどう……?」


 ……あれ?時間が止まった?

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