第二章

一、私に任せてください!



 四竜のひとり、蒼竜そうりゅうである蒼藍ツァンランは背中を丸めて、大きく嘆息した。


 藍色の衣を纏った、緑がかった青色の瞳が特徴的な青年の姿の分身で、薄茶色の髪の毛を頭の天辺で銀の環で括り、そのまま背中に垂らしている。


 紅藍ホンランも背が高いが、それ以上に上背のある蒼藍ツァンランは、目の前で舌を出しふざけた様子で見上げてくる彼を、表情を変えずに見下ろす。


「ふふ。連れて来ちゃった♪」


「······紅藍ホンラン、君というひとはどうしてそう、」


「だって、櫻花インホアちゃんの手助けがしたかったんだもん。今回の件を解決すれば、まあまあな功徳くどくが得られるでしょう?」


 その腕に抱えられている当の本人は、全く理解していないという顔で、こちらに助けを求めているようだが?


「だったらせめてちゃんと説明をしてあげた上で、同行してもらうのが道理では?」


 こくこくと櫻花インホアが大きく頷いている。


 きっと大した説明もされないで、「一緒に来て!」と勢いで連れて来られたのだろう。ご愁傷様としか言えない。蒼藍ツァンランは片手で顔を覆って、俯く。


紅藍ホンラン蒼藍ツァンラン、連れて来てしまったのなら仕方がない。皆、座ってくれ。櫻花インホアと、そこの彼も。私から簡単に説明をしよう」


 騒がしい広間の奥から姿を現したは、鷹藍インランだった。低く落ち着いた声音は穏やかで、目の前の者があの四竜の長、応竜だと言ってもだれも信じないだろう。

 

 三十代くらいの青年の姿を模しているため、この中では一番年上に見える。実際そうであるが、分身は年齢に比例しないのでわかりづらい。


 白を基調とした上質な長い衣の裾や袖は、金の糸で描かれた波のような模様で飾られている。その優し気な瞳は灰色で、長い黒髪は頭の天辺でひとつに纏め、黒い環で留めていた。


 紅藍ホンラン蒼藍ツァンラン肖月シャオユエの三人が、目の前に立つ鷹藍インランに対して儀式的な拝礼をする中、櫻花インホアはやっと解放されたその身で、いつもの調子で駆け寄って行く。


櫻花インホア黑藍ヘイランが迷惑をかけてすまない。あれはまだ若いので、私に免じて赦してやってくれ」


鷹藍インラン、こちらこそ、心配をかけてすみません。でも、私は大丈夫ですから、気にしないでください」


 ふふ、と櫻花インホアは花のように小さく笑うと、両の腕を後ろに回し指を絡め、そのまま上目遣いをして鷹藍インランを見上げた。それを見ているだけでも、お互いが気心の知れた者同士であることがわかる。


「ここに来るのは、黑藍ヘイランから呪いを受ける前に訪れた時ぶりですね」


「ああ。まさかここを去った後にそんなことが起こっていたとはな。例の件の報告を聞いていないが、問題なかったか?」


「あ······はい、その件はやはり勘違いだったようで。すぐに行ってみましたが、なにもありませんでした」


「天帝からの直々の依頼だったんだが、そういうこともあるだろう」


 拝礼が終わった後も跪いて頭を下げていた肖月シャオユエには、何の話をしているのか解らなかった。

 ただ、櫻花インホアが一瞬だけ動揺したような気がしたのは、気のせいだろうか。


(例の件って······なんだろう)


 だがそれよりも、櫻花インホアが自分にはほとんど見せることのない、無防備な顔をしているのが、なんだかもやもやする。

 自分に対しては、笑っていてもどこか一線を引いているような、そんな態度をとることが多いのだ。


「それで、紅藍ホンランが言っていた"お願い"とは、どういったものなんですか?」


 鷹藍インランに席に座るよう促され、櫻花インホアはそのまま部屋の中央に置かれている、背もたれの付いた赤い椅子に座った。紅藍ホンラン蒼藍ツァンランも同じように席に着く。

 肖月シャオユエ櫻花インホアの後ろに大人しく控え、成り行きを見守っていた。


「地上で、人食い蝶の噂を聞いた事があるかい?」


「いえ······怪異ですか? それとも妖の類?」


 長く地上に留まっているが、櫻花インホアはそんな蝶を見たこともないし、ましてや人を喰らう蝶など聞いた事もなかった。


「南の地で起こっている怪異のため、紅藍ホンラン蒼藍ツァンランのふたりで行ってもらう予定だったのだが······君も一緒に行ってくれるなら、より迅速に解決できるだろう。被害が思っていた以上に多いようで、地上に近い我々に話が回って来たのだ」


「そうだったんですね。わかりました。被害がこれ以上広がらないように、すぐにでも向かいます」


 紅藍ホンランに連れ去られた時とは打って変わって、しっかりと説明を受けた櫻花インホアは、危険な依頼を簡単に引き受けてしまった。


(ちょっと待って。ただでさえ呪いのせいで法力が通常の半分しかないっていうのに、そんな危険な所に行くつもりなの?)


 喉元まで出かかったその疑問を、なんとか呑み込む。無言で困惑している肖月シャオユエの気持ちを知ってか知らずか、座ったままこちらを見上げてくる櫻花インホアと眼が合った。


「大丈夫ですよ? 肖月シャオユエのことは、私がちゃんと守ってあげますから」


 どうやらまったく解っていない櫻花インホアに、盛大に勘違いをされてしまったようだ。困惑していた肖月シャオユエが不安げに見えたのだろう。


 私に任せてください! という素振りで胸をばんと叩いて、美しい顔にきりっとした表情を浮かべている。それはそれで可愛いのだが······。


「ちょっと、そこの下僕くん! 櫻花インホアちゃんに守られるなんて、駄目よ! あんたのせいで櫻花インホアちゃんが傷のひとつでも負ったら、私の炎で丸焼きにして食べちゃうんだから!」


紅藍ホンラン、いい加減にしなさい。そもそも彼は精霊の化身だろう? それを下僕だなんて、」


 こら、と子供を𠮟るように蒼藍ツァンラン紅藍ホンランの頬を軽く抓る。


「なによ。その子の味方をするの? その子、櫻花インホアちゃんに契約の刻印をつけたのよ? しかも同意なく!そうでしょう? じゃなきゃ、あんなに頑なに"ひとり"でいることを譲らなかった櫻花インホアちゃんが、誰かと一緒に数ヶ月もいるわけないもん」


「だからといって、君の言い方は良くない。これから同行するなら尚更だ。彼のことは下僕なんて言わずに、ちゃんと名前で呼びなさい」


「まあまあ。ふたりとも、喧嘩はよくないです」


 なんだか、こんなやりとりを数ヶ月前にもしたような気がする······と、櫻花インホアはふたりの間に入って仲裁の役目を買って出る。


紅藍ホンラン蒼藍ツァンランが今回は正しい。無理に仲良くならなくてもいいから、とにかく問題だけは起こさぬように。いいね?」


「······はぁい、」


「わかっています」


 鷹藍インランは手慣れた様子でその場を収める。ぴたりと言い合いを止め、しゅんとする紅藍ホンランと、頬から手を放す蒼藍ツァンラン。当事者である肖月シャオユエはまったく気にしてすらいない様子で、その光景を眺めていた。


(ここんちの竜って、こんなひとたちばっかりなのかな、)


 櫻花インホアに呪いをかけたあの黒竜を筆頭に、それぞれ我の強い四竜たち。


「すみません、肖月シャオユエ。私がちゃんと最初から否定していれば······」


「なにを? 下僕ってやつ? 全然かまわない。俺は色んな意味であなたの下僕だよ、」


 こそこそと櫻花インホアが小声でそんなことを言うので、腰を屈めて内緒話でもするかのように、肖月シャオユエは耳元で囁く。


 正直、どうでもいいことだった。櫻花インホアが謝ることでもない。


 それよりも耳元でそう囁いた後、肖月シャオユエのその不意打ちの行為に対して、顔を真っ赤にして無言になってしまった櫻花インホアがたまらなく可愛らしかったので、本当にどうでも良くなったのだということは、本人には絶対に言わないでおこう。



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