七、狸寝入りなのは、わかってますよ?



 夜が明け目が覚めると、眩しいほどの白い景色が広がっていた。それもそのはず、櫻花インホアは深夜に町に戻って来たものの、例の商家の息子たちのどちらかの家を訪ねるでもなく、二階建ての宿屋の屋根の上で一夜を過ごしたのだ。


 降り積もっている雪を掃い、身体を起こそうとしたが、途中で止める。白い道袍は上も下も濡れていたが、なんだかあたたかい胸と腹の辺りに違和感を覚えた。


 恐る恐る懐を開いて覗くと、中に纏っていたもう一枚の衣の上で、あの白蛇が蜷局を巻いて眠っていた。あの衝撃的な出来事が夢であったら、どんなに良かったことか。

 しかし、現実はこの通りである。


「君って子は······、」


 はあ、と肩を落として、櫻花インホアは仕方ないという顔で困ったような笑みを浮かべる。


 道袍を直し起き上がれば、ずるりと腹の下の方に白蛇が収まる。細身である櫻花インホアの腹が膨らんで見えるが、本人は特に気にしていない様子だった。


 ぐっと伸びをして立ち上がると、屋根の上からひらりと地面に舞い降りる。本来ならこのように華麗に立ち回れるはずなのに、昨夜はなぜか色々とおかしかった。

 それもこれも、この白蛇の仕業だとは思いたくはないが、偶然とも思えない。


 そもそも木に引っ掛かって荷台の上に落っこちなければ、こちらから先制攻撃をしかけ、簡単に制圧できたはずだからだ。


 今更、過ぎてしまったことを悔やんでも、仕方がない。


 櫻花インホアは事の顛末を見届けるため、予め示し合わせていた待ち合わせの場所へと向うのだった。



******



 夜が明ける前から、町で一番大きい商家に、男たちは集まっていた。昨夜の件があり、捕らえた者たちを全員役人に突き出し、尋問という名の軽い拷問の末、奴らは簡単に雇い主を吐いた。


 その雇い主は、そんなことになっているとは想像もしていなかったのだろう。油断して寝ていた所を役人たちに押し入られ、逃げる間もなくその夜の内に捕らえられた。


 犯人は、町の二大商家が争い、自滅するのを目論んでいた、人物。


 いくつもある商家の内の、ひとつだった。その商家は、事ある事に商談を持っていかれてしまうことを根に持ち、今回の犯行を思い付いたのだという。


「昨夜の商隊が混合の商隊だったなんて、」


「ああ、あんたたちの手際の良さ、恐れ入ったよ」


「いやいや、そっちの方こそ! 武器を持ってる奴らに立ち向かおうとしていた」


 集まったそれぞれの商家の働き手の者たちが、お互いを褒め合っていた。そんな姿を遠目で見ながら、ふたりはお互いに視線を合わせる。


 かつてこのふたつの商家が、こんなにも仲良く会話をしていた事があっただろうか。


 親たちもそうだが、そこで働く者たちもお互いを意識しまくっており、当然だが両家は仲が良くなかった。しかし、今の状況はどうだろう?


「あの仙人様のお陰、だよな?」


「だな。ただ悪党共を捕らえただけじゃなくて、こっちの問題も解決しそうだ」


 そんな会話をしていた時、ふたりの前にふわりとひとつの白い影が舞い降りる。それは、自分たちに助言をしたあの美しい仙人だった。駆け寄ろうとしたふたりの足が、同時に止まる。


「どうしたんですか? そんな顔をして、」


 不思議そうに仙人は首を傾げていた。

 ふたりは引きつりながら、遠慮がちに口を開く。


「せ、仙人様? その腹、どうしたんですか?」


「まさか、ご懐妊、とか?」


 仙人は傾げた首を戻し、視線を自分の腹へと向けた。言葉の意味を今頃理解して、恥ずかしそうに苦笑を浮かべた。


「ああ、これは、この子をここに入れていて。それで膨らんで見えただけですよ?」


「し、白蛇!?」


「やっぱり聞いていた通りだった!」


 え? と仙人は衣を直しながら、急に大きな声を出したふたりに驚く。


「あんたが悪党どもを仙術で縛り上げたって、言っていた!」


「悪党どもが、口々に白蛇に襲われたって言ったらしい! やっぱり本物の仙人様だったんだなっ」


 その言い方だと、そもそも偽物だと思われていたようだ。仙人、もとい櫻花インホアは頬を掻く。自分の力ではないので、衣の中で寛いでいる白蛇に感謝しなくてはならないようだ。


「けど、どうして俺たちが犯人じゃないって思ったんだ?」


「ああ、それは簡単です」


 にっこりと櫻花インホアは微笑んで、ふたりの腰に刺さっている短刀に視線を落とした。


「あの時も、あなたたちは護身用の短刀を身に着けていました。お互いが本当に憎み合っていて、殺したいほど恨んでいたのだとしたら、すぐにでもその短刀を抜いていたでしょうね。けれども、素手で殴り合うどころか、取っ組み合いはしたものの、頬を抓り合ったり、罵り合うばかりで、傷付ける気はないというのが解りました」


 まさに子供の喧嘩で、それ以上にはならなかったのだ。


「ということは、やはりおふたりがいがみ合い、足を引っ張るのが目的と考えるのが妥当です。しかし、殺しはやりすぎです。首謀者も雇われた彼らも、簡単には赦されないでしょう」


 ふたりは櫻花インホアの言葉に顔を見合わせ、うんと同時に頷いた。


「俺たち、一緒に商売をやることにしたんだ。こいつの商談力と、俺の目利きがあれば、きっと最高の商団になる!」


「その通り! 仙人様、本当にありがとうございました。俺たちにできることなら、なんでもしますから、欲しいものがあったら言ってください!」


 そう、ふたりは言ってくれたが、櫻花インホアには欲しい物などなく、何かを貰うためにしたわけでもないので、その申し出はお断りした。


 町を去る際、商家の者たちだけでなく、町全体で派手に見送りを受けた。森の道を通れるようになったのは、この町の者たちにとって幸いだったようだ。もう危険な道を通る必要がなくなったからだ。


 この町だけで随分と功徳くどくが溜まった。胸に手を当てたまま、櫻花インホアは閉じていた琥珀色の瞳を開ける。白蛇はずっと眠ったまま動く気がないようだ。


 捨て置くこともできないので、また化身に姿を変えるまで待たなくてはならないだろう。



 衣の中で眠ったふりを続けている肖月シャオユエは、半ば強引に、櫻花インホアの旅に同行するという目的を果たすのだった。



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