五、間に合ってます。



 弁財天は白蛇の話を聞き終えた途端、目をきらきらと輝かせて、両手を胸の前でしっかり組むと、「なんてこと!」と感激の声を上げた。その反応に、白蛇は思わず後退あとずさる。


「あの花神かしんに助けられたなんて、あなたは本当に運が良いわね、肖月シャオユエ!」


『え? 花神かしん? 地仙って黒竜様が言ってましたよ?』


「え? ああ····まあ、色々あって····私の口からは話せないのだけれど、とにかく! あの子に助けてもらったなら、これは運命のえにしね」


『運命の、えにし?』


 白蛇、肖月シャオユエは小さな頭を傾げる。


「それで、あなたはどうしたい? あの子の呪いを解きたい?」


『はい。恩を返したいです。呪いも解きたい。でもどうやって?』


 黒竜の呪いを解くなんて、そもそもできるのだろうか。

 弁財天は肖月シャオユエを膝の上に乗せ、よしよしと小さな頭を撫でた。


「本人が謝らないって言っているんだったら、方法はただひとつ。天仙になって天界へ行き、天帝に解いてもらうしかないわね。あの子は天帝のお気に入りでもあるから、頼まなくても解いてくれるわ」


『そんな簡単に天仙になんてなれるんですか?』


「もちろん、簡単なはずないわ。十年でどうにかできるなら、とっくに皆が天仙になっているわよ」


 じゃあどうしたら? と肖月シャオユエはしゅんと小さい頭を下げる。


「あなたの幸運とあの子の強運が合わさったら、なんとかなるかもしれないわね」


 弁財天はふふっと笑って、膝に乗せていた肖月シャオユエを、自分の顔の近くまで掬い上げるように掲げる。


「あなたを精霊にしてあげる。もう少し時間はかかるでしょうけど、あなたの働きならあと数年あればなんとかなるわ。そうしたら化身になって、あの子に逢いに行けばいい」


 化身とは、神や精霊などの神格化された生物が人の形を取ること。白蛇は元々神の使いとして人々の間に伝わっているので、十分資格があった。それに加えて今までの働きもある。


 弁財天は面白半分、真面目半分でこの提案をしているのが肖月シャオユエには解っていたが、その提案は願ったり叶ったりだった。


『俺、精霊になります』


 あれから三年後、宣言通り、肖月シャオユエは弁財天の推薦もあり、神の使いである白蛇から精霊に昇格した。



******



 さらに二年後、地上を彷徨い、あのひとの噂を頼りに転々と渡り歩く日々。季節は冬。ある町の市井しせいで、あの人だかりに遭遇する。 


「おふたりとも、どうか落ち着いてください」


 そののんびりとした穏やかな声音に、全身が震えた。その声は、間違いなく、あの時の声だった。


 騒がしいさまざまな雑音の中、その声だけははっきりと聞こえる。ずっと捜していたあのひとが、今、すぐそこにいるのだ!


 垣根のようになっている人だかりの中、すぐにでもその姿を拝みたかったが、今ではないと肖月シャオユエは考える。今あのひとの前に出て行ったとしても、きっと自分が誰で、なんであるかも解らないだろう。


 そもそも、自分の事など憶えてすらいないかもしれない。


 うん、と顎に手を当てて肖月シャオユエは考え込む。ならば、聞こえてきた場所で待っていよう。何か予期せぬことが起こった時に、手助けした方が自然だ。必要にならないかもしれないが、なにかあっては大変だし、話を聞いている限り、危険な賭けのようだ。


 肖月シャオユエは誰にも気付かれないまま、その場から音もなく姿を消した。



 後の事は知っての通り。

 危機はほとんどないと思っていたが、運良く・・・櫻花インホアは木の上から見事に荷台の上に落ち、刃の切っ先を向けられる。


 事態が落ち着いた後、自分を捜しに来るだろうという確信があった肖月シャオユエは、あの森の中で待っていたのだった。


「うぅ······いいですか? 初対面のひとになんの断りもなく、く、く、口付けをするなんて····私だから良かったものの····いや、良くないですが、町の娘さんだったら訴えられてますよ? 犯罪ですよ?」


 羞恥心からか、櫻花インホアは顔を両手で覆ったまま、正座をして俯いた状態で呟いていた。地面に正座をしているため、降り積もった雪で下になっている衣が濡れている。


「町の娘さんには間違ってもしないと誓うよ、」


 肩を震わせながら笑いをなんとかこらえて、肖月シャオユエは言った。


「それに、あなたも"はい"って答えて同意してくれたでしょ?」


「····私、疑問符付けましたよね?」


 やっと顔を上げてくれた櫻花インホアに、肖月シャオユエは思わずくすくすと笑い出す。からかわれたと思ったのか、櫻花インホアは頬を膨らませた。


「もういいです。わ、私も油断してましたし、あれは、事故だったと思って忘れます!」


「忘れないで? 大事な事だよ。俺にとっても、あなたにとっても」


「······は? え? どういう、」


 急に顔を覗き込まれた櫻花インホアは、あの時のことを思い出してしまったのか、みるみる顔が赤くなっていく。そんなことはお構いなしに、肖月シャオユエは続ける。


「あなたは憶えていないかもしれないけど、五年前、あなたに助けられた白蛇。それ俺なんだ」


「え? ····ええっ!? でも、君はどう見ても、」


 櫻花インホアは驚いて声を上げ、肖月シャオユエはその隙に腕を掴んで、正座したままだった櫻花インホアをそっと立たせた。急に立ち上がったせいでよろめいた身体を支え、ふっと口元を緩める。


「うん、あなたを助けるために、精霊になった。俺のせいでかけられた呪いを解く。あなたを守る。そのために、あなたをずっと捜していた。さっきのは契約。あなたは俺の新しい主。俺のことは肖月シャオユエって呼んで?」


 契約? あの口付けが?

 けれども、自分にはそんなことをしてもらう資格もなければ、必要もない。丁重に断るための良い言葉を紡ごうとしたが、混乱していた櫻花インホアは、


「ま、······間に合ってます」


 と、まるで野菜の押し売りでも断るかのような言い回しで、お断りを入れてしまう。


 乾いた風の音が、ふたりの間をひゅうぅと通り抜けていく。


 至って真面目な顔でそう答えた櫻花インホアに、肖月シャオユエは何か言うでもなく、ただ静かに微笑むのだった。



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