第一章

一、喧嘩はよくないですよ?



 あれから気付けば五年が経っていた。

 時間というものは限られているほど早く過ぎ去るようだ。櫻花インホアは賑わう市井しせいを眺めながら、行き交う人々をぼんやりと観察していた。


 功徳くどくは半分くらいは溜まっただろうか。功徳くどくのために人助けをしているようでなんだか気が引けるのだが、その辺りは考えてもキリがないので途中から止めた。


「仙人様、もう一杯いかがです? 良かったら中に入りませんか? お寒いでしょう、」


 気を利かせた茶屋の娘が、お盆にお茶を乗せてこちらに話しかけてきた。なにせ今は冬で、雪がちらついている。店の中はがらんと空いているのに、薄着のまま外の椅子で茶を飲んでいる櫻花インホアが気になるようだ。


「あ、私の事は気にしないでください。外が好きなんです」


「はあ。仙人様って変わってるんですね。新しくお茶を淹れたので、温かい内にどうぞ、」


 空いている茶碗を下げて新しい茶を置くと、娘は奥へと下がって行った。お茶をすすり櫻花インホアが再びぼんやりとしていると、少し離れた所からなにやら賑やかしい声が聞こえて来た。


 それは楽しい意味の賑やかではなく、不穏な言動からなる賑やかさで、それが悪い意味での騒ぎであることが判明する。罵るような声はどんどん大きくなり、なにかが割れるような音もし始めた。


 とうとう悲鳴が上がり、事態がより悪くなっていることを察した櫻花インホアは、お茶を置いて立ち上がると、その人だかりの方へ足を向けていた。



******



 事の発端は、些細な事だった。

 買った薪の束の量が多いとか少ないとか、それからお互いの容姿や体系を罵りだし、最後には取っ組み合いの喧嘩が始まってしまったのだ。二人を避けるように円ができ、その中心は酷い有様だった。


「よくもそんなことが言えたものだ!」


「それはこちらの台詞だ!」


「おふたりとも、どうか落ち着いてください」


 真っ赤な顔で怒っている逞しいふたりの男の間に、櫻花インホアは呑気な口調で割って入る。


 ここまで人を掻き分けてようやく辿り着いたので、すでに疲れ切っていたが、それでも恐れを知らない彼は、「まあまあ」と両手を胸の辺りで広げて落ち着いてと動作をする。


「落ち着けだと!? これが落ち着いていられるか!」


「そうだそうだ! やるかやられるかだっ」


「そんな大袈裟な。しかしながら、お店の物を壊して周りに迷惑をかけたり、お互いを罵ったりする喧嘩はよくないですよ?」


「「部外者は黙ってろ!」」


 どん、と胸を押され、櫻花インホアはよろめく。華奢な身体は後ろへと傾ぐが、垣根のようになっていたひとの壁に支えられ、倒れることはなかった。


「大丈夫ですか?」


「ああ、すみません。ところで、彼らはなぜこんなことになっているんです?」


「え? 何も知らないで割って入ったんですか?」


 驚いた顔で売り子らしき青年が訊ねる。


「あなたは何か知っているんですか? 彼らはどうやら知り合いのようですが、」


「ええ。事ある事に争っている、商家の息子たちです。先月、お互い取引の商品を運んでいた商隊が襲われたらしく、証拠はありませんがそれぞれ相手の仕業だと思い込んでいるようで。なにせ、どちらの商隊も生き残りがおらず、生き証人もいないため訴えることもできないと、それで毎回顔を合わせるとあの調子で」


 そうだったんですか、と櫻花インホアは思っていたよりも事の発端が血生臭いことを知り、顔が曇る。根本を解決しない限り、ふたりはずっとあの調子だろう。


「おふたりとも、事情は解りました。あなたたちの商隊が襲われたというその事件、私に詳しく話してはくれませんか?」


 ふたりはお互いの頬を引っ張っていた手を止め、櫻花インホアの方を同時に向いた。そこでやっと櫻花インホアの姿を認識し、彼が何者かを知る。


「「聞いてください仙人様! あれは絶対こいつの仕業なんです!」」


「あ、えっと、すみません。ひとりずつゆっくりお願いします」


 先程もそうだったが、そういう時だけ息ぴったりなこのふたりは、本当に仲が悪いのかな? と櫻花インホアの首を傾げさせる。


 それは、先月の話。


 この近くにある森は、この町の色んな商隊たちがよく使う経路で、その先はここよりもさらに大きな町に繋がる街道だった。事はその森を通りがかった時に起こったらしい。


 荷を運んでいた数人の商隊が、空になった馬車の周りで斬り捨てられていたのだという。


 起こった日は別だが、どちらの商隊も同じ状況で、荷を奪われ、生き残ったのは主を失ったことすら気付いていない馬のみ。


「その被害に遭ったのは、おふたりの所の商隊だけなんですか?」


「そうだ。だから俺はこいつがやったと思ってる」


「それはこっちの台詞だ」


 せっかく静かになったのにまた睨み合うふたりを横目に、櫻花インホアは顎に手を当ててうーんと唸る。


「では、こうしましょう。おふたりとも、ちょっと耳を貸してください」


 こそこそといい大人が三人集まり、群衆が見守る中内緒話を始める。皆がそれに注目するが、彼らの耳には届かない。


 櫻花インホアがなにを吹き込んだのか、ふたりはお互いの顔を見合わせ頷き、その提案に乗ったようだ。


 その数日後、満月の夜。櫻花インホアは例の森におり、高い木の上からひとり、下の道を行く数人で結成された商隊を見下ろしていた。



 大きな月が闇色の雲で覆われ始めた頃、事態は動き出す――――。



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