第8話 弓を持て
会いたくない奴に、会いたくない時に、会いたくない所で会っちまった。
もうこんな姿を奴に見せたくなかったのに。最悪だ。
じゃれついてくるオルガを引き離してから、俺はヤンを睨む。
「どうして、お前がこんなところにいるんだ」
「どこかの間抜けを迎えに来たんだよ。ったく、いつまでも手間かけさせやがって」
「いい、一人で帰れ」
ヤンは大きくため息を吐くと、腕を引っ張って俺を無理やり立たせた。
顔を見たくない。嫌なことを思い出す。
俺が顔を背けていると、ヤンに襟首を掴まれた。
「だからお
「……」
「すぐにぐずって動けなくなるくせに。声だけ威勢よく出して自分を騙そうとする。こんな所で何してたんだ。仇討ちか、逃避か、自殺か。お前にゃ無理だ」
「るせぇな」
ヤンは手を放し、俺はまた地面に倒れた。
「いつまでも逃げてんじゃねぇ、ラド。目を見ろ」
「止めろ」
「俺の顔をみろ」
ヤンの顔の右半分にはまだ肉が抉られた傷跡が残っている。
父さんみたいにどこかの間抜けを庇って負った傷だ。
俺はこの傷跡を見る度にどうしようもなく思い出す。
何もできない、誰も守れない、みんな俺のせいで血を流す。そして死ぬんだ。
「俺がいつお前のせいにした。誰が恨んだ……どれも、お前ぇだろうが」
「うるせぇってんだろ」
「お前ぇがうるせぇぞ、この野郎。言われたくなきゃ言い返せ」
そんなこと分かってんだよ。
だがな、今はヤンに構っている暇は無い。アイツを追わなきゃいけないんだ。
俺は臆病者で役立たずだ。でもな、もう誰も俺のせいで死なせたくはないんだよ。
立つ。立って、走って、追いつかなきゃならない。
「俺はな、約束したんだよ。アイツに森を抜けさせるって」
「アイツだぁ……この野郎、やっぱり馬泥棒を逃がしやがったのか」
くそっ。やっぱりウルスラを追ってやがったのか。
「村の奴らはな。今、そいつを追ってんだぞ。それを知ってんのか、お前」
「ああ、知っているよ。なんだ、邪魔するなら殺すか」
ヤンは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「冗談じゃねぇ。なんで、あん畜生のために殺してやらにゃいけねぇんだ」
「なら、どけよ。時間がないんだ」
奴は俺の方を掴んで動きを止めたまま、顎に手をおいて少し考える。
「……おい、ラド。死ぬ気は
「そんな気はない」
「なら、どうするつもりだ」
そんなの決まっている。背負ってでも、引きずってでも森から逃がしてやる。
誰だろうと、何だろうと関係ない。アイツを生かすためなら何だってやってやる。
臆病者でも役立たずでもいい。もう二度と迷わないし、躊躇わない。
「分からん。だが、絶対に行く」
「殴ってでも連れて帰るって、言ったらどうする」
「……殴ってでも押し通るさ」
ヤンはわざとらしくため息を吐いて見せると、剣と弓矢を投げて寄こした。
両方とも俺の物だ。ヤンの奴わざわざ持って来ていたのか。
「もう俺は知らん。好きにしやがれってんだ」
「言われなくとも」
「後な、お前がオルガを拾ったんだ。最後まで面倒見ろ」
オルガは自分の名前が聞こえた途端にこっちを向いて尻尾を振りだした。
さっきまで、耳を押さえて俺たちの会話を聞こえないようにしていたくせに。
まあ、こいつの鼻もウルスラを追うのに役立つだろう。
「じゃあな。ヤン」
「……死ぬなよ」
そう言うとヤンは俺に背を向けた。
要らない荷物は捨て、弓と剣だけ持って俺も前を向く。
オルガにウルスラから渡された御守の匂いを覚えさせる。
少し抜けてはいるが、それでも優れた猟犬だ。森の中なら獲物を逃がさない。
走ればまだ間に合うはずだ。森では俺の方がアイツより速い。
俺も単純なものだな。あんなに怖がっていたのが、嘘みたいだ。
弓を持っているだけで自信に満ち、力が沸いてくる。
剣を持っているだけで勇気に満ち、前へ進める。
「オルガッ!ウルスラまで辿れ」
俺たちは一人と一匹で森の中を駆けていく。空気の冷たさを風で感じながら進む。
地面を足でしっかりと踏みしめながら走っていった。
前方に鼠もどきが二匹。
ウルスラが言っていた通りだ。奴らはこちらに気付いていない。
俺はそのまま足を速め、その横を通り過ぎる。
この距離で気付かないなんて。この御守は魔除けとしてかなり上等なものらしい。
俺たちがいつも使っている物はこんなにいいものじゃなかった。
使うのに長い時間と面倒な作業が要る。
その癖、やたら金が掛かるし、魔獣が近付いたら簡単に場所がばれちまう。
これはそんな粗悪品とは比べ物にならない。
居た。ようやく追いついた。
視線の先のウルスラは一人で森の中を歩いている。
「よくやったぞ、オルガ」
俺はオルガの頭を撫でてやる。
食い物は捨てなきゃよかった。今日はご褒美が無くて悪いな、オルガ。
いや、もう一つある。あれは、鼠もどきだ。
ウルスラのことを後ろから狙ってやがる。だが、アイツはそれに気付いていない。
いいか、俺がやる。今は俺がアイツの目なんだ。
鼠もどきはまだこちらに気付いていない。
俺は弓を構えて矢を番え、引き絞ってよく狙う。この距離なら外さない。
奴がウルスラに飛び掛かる前に、その体を貫け。狙うのはその直前だ。
息を小さく吐いて、矢から手を放す。
弦がはじかれる音が空気を震わせ、矢が獲物めがけて飛んでいく。
鉄の矢じりは鼠もどきの体を貫き、そのまま後ろの木の幹に突き刺さった。
音に気付いて、ウルスラが後ろを振り返った。
何を驚いた顔をしてやがる。森を案内しろって言ったのはお前だっただろうが。
「おい、ウルスラ。一人で、何してる」
「……ついて来たのか。それに、その弓はどうした」
「何だ。まあ、あれだ。たまたま貰ったんだ。これは」
「……?」
そんなことは今はいいんだ。今はここから逃げることを考えなきゃいけない。
もう森の外はすぐそこだ。他の魔獣が寄って来ないうちに、ここを離れないと。
「いいから、さっさと行こう。魔獣どもは殺したそばから這い出てくる」
「そうね、そうしましょう……ありがと」
そう簡単にはいかないみたいだ。どうやら、ずっと俺たちを追って来たみたいだ。
火で燃やしても、川に落としても諦めないなんて。しつこい奴だ。
俺たちの後ろに、あの赤い熊が血まみれになりながらも迫っていた。
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