第7話 逃亡劇
少し、いやかなり驚いている。
辺りには肉が焦げる臭いだけが漂い、動くものはいない。これならどうにかなるかもしれない。少なくとも鼠もどきの心配は必要ないだろう。
ウルスラは息が上がっている。呼吸が荒く、額には汗がにじむ。
やっぱり、あれほどの魔法を使うのに相当な体力を使うのか。
だが、いつまでもここに留まる訳にはいかない。
すぐにでも別の魔獣に襲われてしまう。
「ウルスラ。立てそうか」
「……少しだけ待って」
そう言うと目をつぶって一度大きく深呼吸をする。
「もう、大丈夫。」
ウルスラには悪いが森を抜けるためには休んでいられない。この夜さえ乗り越えれば都市同盟まではすぐなんだ。
俺はアイツの分の荷物を代わりに背負ってから、また前へ進む。
月明りを頼りに道を進むが、アイツは少し歩きにくそうだ。
元々、森を歩き慣れていないのに加えてこの暗さだ無理もない。
「あの魔法は一日にどれくらい使えるんだ」
「あと四、五回なら」
四、五回。一回の使用であそこまで消耗していたんだ。
五回も使って本当に大丈夫なのか。倒れたりしないか。
今は周りに動く気配は感じられないが、南に行けば行くほど魔獣は増えていく。
鼠もどきはどうにかなった。だが、熊は。あの狼の獣はどうだ。
駄目だ。悩むな。今は気配を探ることだけに集中しろ。
森の騒めき、速まる鼓動、風の音。他の雑音は全て無視して魔獣だけを探すんだ。
俺たちから離れる気配もする。多分、それはただの動物だ。
偉い学者様は魔獣とそれ以外について色々と言っているが、そんなものは簡単だ。
人間を襲うのが魔物。人間を襲うことがあるのがただも獣だ。
狼が人間や家畜を襲うことも勿論ある。
だが、奴らは集団を避けて子供やはぐれた者を襲う。
一方、魔獣は集団でいようが一人でいようがお構いなしだ。魔獣の領域に入ったら必ず襲われる。これが常識だ。
「このまま進めば夜明けには森を抜けられる」
「ええ」
「そこまで行けばあんたは自由さ」
「もしかして、励ましてるつもり」
別にそんなつもりはない。
本当に、都市同盟に着けばどうとでもなるだろう。
そのまま留まってもいいし、帝国まで行ってもいい。帝国には魔法使いの都があると聞いたことがある。
魔法使いが実際にどんなものかは良く知らないが、数が少ないのは知っている。
村にも魔法を使える奴なんて一人もいなかった。
魔獣を殺したあの腕があれば冒険者でも、兵士でもやっていけるだろう。
まあ、俺には関係ない事だ。
唸り声がする。
「止まれ」
前に熊が二頭。
いや、一頭と一つだ。共食いしてやがる。
その毛皮は血のように赤く、口からは常に煙が漏れ出ている。
大きさは馬ほどもあり、肉体は全体的に筋肉質だ。
こっちの位置はばれているのか。ばれているに決まっている。奴の目が俺を見る。
ああ、こいつだ。
足がすくむ。動けなくなる。体から熱が引いているみたいだ。
逃げ出してしまいたい。恐ろしい。
殺される。
「返事をして、聞こえないの。後ろに居て」
「あ、ああ」
情けない。俺はいつもこうだ。いつも誰かに守られている。
どうしようも無い人間だ。誰かに縋らないと生きていけない。
何のために弓と剣の腕を磨いた。こういう時の為じゃなかったのか。
なのに、俺はただの役立たず。
ウルスラは慎重に構えを取り、唱句を呟き火花を作った。
炎の鞭が熊の体を打つが堪える様子はない。それどころか、こちらに迫って来る。
次いで手を伸ばす。
熊の後ろ足を焦がしていた炎は形を変えていく。大きく丸く膨らんで、爆ぜた。
その熱風と衝撃は俺の方まで伝わり、熊は苦悶の声を上げる。だが、止まらない。
崩れかけた足を使って無理やり走る。
こいつは不死身なのだろうか。大きな足音を立てながら近付いてくる。
熊とウルスラとの距離が零に近いほど近付いた時に、アイツは熊の頭に向かって手をかざした。
奴の眼が燃えた。ウルスラが燃やした。
「走ってッ!」
俺はウルスラに言われて、走り出す。
前に向かってひたすらに走る。
後ろからは恐ろしいうなり声を上げながら熊が追い迫る。
アイツがつけた後ろ足の怪我が効いているのか、動きは鈍っていた。
俺たちは夜の森を熊に追われながら逃げる。燃やされた眼では何も見えないはずだが、嗅覚で場所が分かるんだろう。まっすぐに俺たちの方に向かってくる。
このままじゃ必ず追いつかれる。人間と魔獣が体力比べをして勝てるわけがない。
どうするか考えろ。食われる前に何かを。
そうだ、橋がある。村の奴らには悪いが、あれを落とせば少しは時間が稼げる。
前を走るウルスラに声を掛けた。
「ウルスラッ。まだ魔法を使えるか」
「あと二回ならっ」
「先に、橋がある。渡り切ったら燃やせ」
橋まであと少し。少なくともそこまでは追いつかれちゃいけない。
何が何でも走れ、追いつかれるな。
足が痛む、胸が痛い。熊の唸り声が聞こえる度に心臓が縮み上がる。
だが、間に合った。
「今だ!」
俺がちょうど橋を渡り終えたところで、炎の鞭が橋を燃やす。
熊は燃える橋に包まれながら急流に流されていった。溺れ死にはしないだろうが、すぐには追って来ないだろう。
足を止め息を整える。今は、動けそうにない。
「何が……殺すだ。あれは殺せない、これ以上進むのは無理だ」
「そう。これ以上はあなたを守れないかもしれない」
ウルスラは手首に着けていた御守を外すとこちらに投げて寄こした。
紐に宝石が括りつけてある。
「それは魔除けの御守。ラドだったら、これで魔獣にも見つからない」
「おい、駄目だ。行くなッ!」
「それを着けても、わたしが一緒だったら見つかる。だから、じゃあね」
止めてくれ、行くな。行かないでくれ。
俺は見つからない。それなら、お前はどうするんだウルスラ。
アイツの背が離れていく、追いつかなきゃいけない。追い掛けなきゃいけない。
そうだというのに、どうして足が動かない。
追ってどうする。追い付いて何をしようというんだ。
俺には何もできないだろ。アイツの背に隠れる事しか出来ないだろうが。
足音が聞こえた。
小さく、速いそれは俺に組み付き押し倒した。
こいつはうちのオルガじゃないか。
「見つけたぞ、小坊主。こんなところで何してやがる」
大きな傷跡の残る顔を怪訝に歪ませながらヤンは俺にそう聞いた。
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