第5話 狩り
目が覚めると身体のあちこちが痛む。
この痛みが森に逃げ込んで夜を明かしたのが現実であると嫌でも自覚させる。
たった一夜の事のせいでとんでもないことになったもんだ。
あの山狩りに参加しなかったら、アイツに声を掛けなかったら。
今頃俺はベッドの上で目を覚ましていたのだろうか。
まあ、そんなことを考えていても仕方がない。
今は一刻でも早くこの森を抜けることを考えろ。
仮定の話も、その後の話も全ては事が成ってからだ。
目を開けて体を起こす。
俺の悲劇の原因を作った馬泥棒はまだ寝ているみたいだ。
俺はアイツの名前以外のことは殆ど知らない。
生まれて初めて見た魔法。それをどうして使えるのか。
何をして追われ、これから南に行って何をしようと言うのかまるで知らない。
歳は俺よりは下だろう。ひょっとすると成人前かもしれない。
俺はぼーっとウルスラの方を眺めながら考える。
アイツが目覚めてすぐ出発してもまた動けなくなるだろう。
少なくとも、昼頃までは休息を取らなきゃいけない。
そこからは夜まで小休止を挟みながら進めば、二日で森を抜けられる。
領主サマもさすがに境界を越えては追っては来れない。
南に着いたらどうする。ウルスラと違って俺には行く宛なんてない。
親類とかからアイツを送り届けた手間賃くらいはもらえるだろうが、後がない。
かといって、村にも戻れない。
やめだ。やめ。こちとら、昼までにやることが山ほどあるんだ。
頭を冷やして次の準備をはじめよう。
「そこで、待ってろよ」
一応、声だけはかけておいた。
泉を見る。水面を手で触れると映っていた俺の顔がかき消えた。
俺は服を脱ぎ捨てると桶に水を汲み、軽く息を吐く。
そして、一気に頭から被る。
体のあちこちが染みるように痛むが、これでようやく目が覚めた。
もう一度水を汲んで持ってきた手拭いで体を拭く。
あの兵士野郎のせいで体中が青あざまみれだ。
そういえば、あの時はしつこく聞かれたな。ウルスラと何を話していたかを。
まあ、俺はアイツに前に会ったか聞いただけなんだが。
今度は服を桶でよく揉み洗う。服に着いた泥やら汗やらがよく落ちる。
替えは無いから、乾かす暇もないな。
仕方がないから、出来得る全力で水を絞ってから服をよく振る。
ずいぶんと間抜けな絵面になっている気がするが気にしない。
まだ濡れているが、そのうち乾くだろう。
水を汲んだ桶をウルスラの手拭いと一緒にアイツの横に置いておいた。
よし、さっさと行こう。さすがに手持ちの干し肉だけでは心許ない。
昼までに何か捕まえておきたいところだ。
ナイフの一本でもあれば楽だったんだろうが。
勝手に持っていったらアイツが怒るだろうからな。さて、どうしたもんか。
手頃な山菜を摘みながら考えていると、いいものを見つけた。
誰が置いて行ったのかは知らないが、火打石があった。
多分、割れたのを捨てたんだろうが今はこんな物でもありがたい。
これでウルスラに焚火の度にデカい顔をさせずに済む。
それに、こいつを使えば銛の一つくらいは拵えられそうだ。
そこらの木からある程度の長さの枝を折り取る。
枝の折れた先を火打石の断面を使って整えてやれば、最低限は使い物になる。
これで魚くらいなら獲れるだろう。
俺は銛を持って川辺に立つ。小さな川だがこんな銛なら却って都合がいい。
石を抱えて運ぶ。一つ、二つ、三つ。まあ、これくらいでいいか。
狭めた川の横に立って川上から魚が泳いでくるのを待つ。
来た、魚影が三つ、四つ。
銛を両手で構えて待ち構える。
狩りの基本は集中すること。
一度矢をつがえたら獲物の事だけを考えて、決して目を離しちゃいけない。
それ以外は全て後回しにしろ。
手に力を込めて、銛を突き下ろす。
今日の分はこれでいいだろう。獲れた川魚は香草とでもいっしょに入れておく。
これで食べ物の心配はなくなったから後は、いや待て。
人の声がする。
こんな時期にか。まだ猟に出るには少し早いはずなのに、ここまで誰か来ている。
俺は馬鹿か。何で思いつかなかったんだ。
俺も山狩りでウルスラを捕まえようとしていたじゃないか。
逃げたら同じことをするのは当たり前だ。
当てずっぽうなのか、それとも既に場所は殆どばれているのか。
急いで戻れ。ウルスラに伝えないと。
馬車が襲われたの昨日の早朝、逃げた兵士から報告を聞いた領主サマが追っ手を手配して一日も経っていないはずだ。
急げば追いつかれる前に森を抜けられる。
ウルスラのもとに戻るとアイツは身繕いをしていた。よし、もう起きているな。
「おい、早く準備を。出るぞ」
「なっ、何を──」
「いいから早く」
ウルスラは一瞬だけ呆けていたが、状態を察したのか黙って身支度を始める。
野営の跡を消すか、いやそんな暇はない。
今は一刻も早くここから離れることだ。
「何があったの」
「追手が来た。多分、ヤールクの猟師だ。ぐずぐずしていると追いつかれる」
アイツはヤールクと聞いて顔色を変えた。
それもそうか、一度は俺たちに捕まったのだから。
「相手はこの道も知っている人間だ。どうする、街道に出るか」
「駄目。多分そちらには兵士が張ってると思う」
街道には関所がある。ウルスラの魔法でもそこは越えられないだろう。
行くなら、やはり森しかない。
「じゃあどうする」
「このまま進むの。今日は一日ずっと、夜になっても」
「そんな無茶な。いいか、ここらにもあの狼の獣みたいな魔獣が出るんだ。夜の森は危険すぎる」
「だから。それは追っている猟師も同じなのでしょう」
確かにそうだ。南の森は夜になると魔獣がうろつきだす。
そんなところをを好きでうろつくような奴はめったに居ない。
駄目だ。これじゃ、猟師に捕まる代わりに魔物に食われるだけだ。
「あんたは死にたいのか──」
「いいから、あなたはわたしの目になって。魔獣はわたしが殺すから」
ウルスラの琥珀色の目が俺を見る。
あの強い瞳だ。いつだって先のことを見ているかのような瞳だ。
仕方がない。一つ未来ってやつをこいつに賭けてみるとするか。
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