第4話 夜の森の野営

 森は人間にとっては恵みをもたらす友であるが、恐ろしい敵でもある。

 特に、夜の森はそうだ。


 夜目が効かない俺たちは移動するのも難しく、獣にとっては狩りの時間になる。


 日のある内になるべく距離を稼いで、夜の間には安全な場所で十分な休息をとる。

 が最も理想的な形だが、今回は少し難しいかもな。


「なあ、あんたは何で馬を盗んだんだ」

「……」

「やっぱり高く売れるものか、あれは。それに、やっぱり乗って盗むのか」

「そんなこと何で聞く」

「何となく、気になって。」

「……」


 正午を過ぎてからしばらく経ったが思ってたほどには進めていない。

 俺一人だったら多少の無理は出来たが、今はウルスラが居る。


 アイツが捕まってからどう過ごしてきたかは知らないが、十中八九まともな扱いは受けていないだろう。


 今のアイツには栄養も休息も何も足りていないが、同時に俺達には時間もない。

 安全な夜を優先するか、それともここで一つ小休止を挟むか。


「さっきから、わざと歩くのを遅らせている、でしょう」

「無理に急いでも、その分余計に体力を使うだけ。森では走らずに歩くもんだ」

「……わたしは、戦士だ。変な気遣いは、要らない」

「そっか。なら、このペースで歩いてどれくらいつ」


 ウルスラは一度空を見て太陽の位置を確認していた。


「夜、いや。夕暮れまでなら」

「分かった。夕暮れだな」


 かなりしぶとい奴だ。それとも、追われるのを怖がっているのかも。

 だとしたら、いったい何を恐れる。あの獣か、兵士か。両方かもしれないな。


 なぜ追われる。どうしてたかが馬泥棒一人を山狩りまでして捕まえた。

 まあ、俺が聞いても答えないだろうけど。


 こんなに怖がっているんだ、アイツにはそれなりの心当たりがあるんだろう。


「馬は……」

「ん」

「逃げるために、盗んだ」

「あ、ああ」

「それだけ」


 いや、違う。俺には他に聞くべきことがあるはずだ。

 どうして俺はウルスラのことを知っていると思った。


 どうしてアイツが小屋に居るのだと分かった。

 どうして俺はアイツのことがやけに気にかかる。

 いつからだ。昨日からか。それよりもずっと前からか。


「逃げるたって、どこへ。南へか」

「そう、南。都市同盟には親類が居るから」

「でも何で、逃げる羽目に」

「……それは言えない」

 

 森の中は薄暗く日の光を通さず、枝と枝が擦れて中の音をかき消す。

 外側からは中のことが分からず、内側からは外の世界のことが分からなくなる。

 森は地上の外界だ。


 俺には兵士もあの獣も縁遠く思えて仕方がない。

 この移動だってそうだ。どうしても追われている実感が沸かない。


 それなのに、ウルスラは常に外のことを気にしている。

 倒れそうな状態なくせに、今の自分ではなく明日の自分を見ている。


 やっぱり、俺には分からない。


「しばらくしたら小さな湧水がある。今日はそこに野営を張る」

「しばらく、か……どの位」

「だいたい半刻かな」

「そう」


 その声には安堵の気持ちがこもって聞こえた。

 慣れない森を長い時間歩いたんだ。そうなるだろう。


 必要なのは水と火だ。先ずはそれを用意しなくちゃならない。あと、食べ物も。

 小屋から少しの干し肉を持って来てあるから、それで足りるだろうか。


 このくらいの女がどれほど飯を食えるのか分からない。

 想定よりは進めていないが、決して最悪な状態ではない。暗くなる前にこうして泉に着けたのだから、夜を越すには不足ない状態だ。


「ここにしよう」

「……」


 返事できないくらいくたびれたか。とりあえず毛皮の上にでも座らせよう。


 俺は魔法を使えないが、火ぐらい起こせる。必要なのは乾燥した木と火種。

 いつも使っている道具が無いから少し時間がかかるかもしれないが大丈夫だろ。


「……」


 さて、どうする。適当な石を探してもいいが、今日はちょっと急いでいる。

 困ったな。いや、まだだ。まだ困っていない。


 ウルスラが持ってるナイフがある。あれと後は火打石があればいい。


 俺が綿で作った火口を前に勘案していると、ウルスラが俺の方に手を伸ばした。

 小さく唱えるといつものよりは随分と小さな衝撃と熱風。


 次の瞬間には、俺の手元の火口が燃え出す。

 手伝ってくれるのは有り難いが、せめて声をかけて欲しい。


「どうも」

「……」


 俺はアイツが作ってくれた種火を組んでおいた小枝に移す。

 あとは順に火を大きくするだけだ。


 枝を焚火に入れるたびに体が温まる気がする。

 まだ秋だと言っても夜の森は相当に冷えるからな。


 俺は持ってきた鍋に水を汲んで、そこに干し肉と道中で摘んだ山菜を入れる。

 この際、味には妥協する。今は水と温かい食べ物を腹に入れなきゃいけない。


「おい、好き嫌いはないな」

「……」


 頷かれてしまった。


 冗談に馬鹿正直に答えられてはこちらの立つ瀬がない。

 何だか小っ恥ずかしくなったので、鍋の具材をかき回すことに集中する。


 ひどいもんだが、これでいいだろう。

 鍋に匙を入れてウルスラの前に突き出しても反応が薄い。


 こいつ、半分寝てるな。


 しょうがないから、俺が匙を口の方まで持って行ってやる。

 何だか、母親にでもなった気分だ。


 二口、三口と運んでいる内に目が覚めたのか途中から自分で食べ始めた。

 よっぽど腹を空かせていたんだろう。鍋の中を全て空けそうな勢いだ。


「おい。俺の分も残してくれよ」


 そう言うとウルスラは顔を赤らめながら鍋を突き返した。

 子供かよ。いや、実際にそうかもしれない。


 俺はアイツの歳さえ知らないんだから。

 でもまあ、今はいいや。俺も疲れた。


 俺だって昨日から殴られたり、襲われたりで限界だ。

 気が抜けたからか、もう一歩も歩ける気がしない。

 さっさと食って、さっさと寝よう。


 あ。肉がほとんど残っていない。やっぱりあいつは子供だ。


「この野郎」

「なに」

「……なんでもないよ。さっさと寝な」


 ウルスラの方を見るとアイツと目が合った。


 多分、俺が先に眠るまで起きているつもりなんだろう。

 さっきまで寝ぼけていたくせに、一丁前に警戒しやがって。


 もう、いいや。今日は本当に疲れた。早く寝よう。文句も全部明日だ。


 持ってきた毛皮を敷いた。


 夜の地面は熱を奪うからな、こうしないと寒くて寝られない。

 本当に、くたびれた一日だった。今夜は泥のように眠れそうだ。

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