虫のいい話

『それは儚くも眩い光だった。わたしは確かに、指を伸べた先にそれをみたのだ』

 記録は詩の如く始まった。安吾は、よく保湿のされた手でページを捲る。

『いつの日か学者は気が付くだろう。わたしたちの身に与えられた祝福に。その聡明な瞳を通し、見えざるをみる啓蒙に』


 全ては確証のない戯言だ。所詮罹患者の言葉である。彼らの身に何が起きているのか、それが西の科学者が抱える終わりなき課題であった。

 頭上の魔鉱が光り、記録の上に影が落ちた。安吾は静かに眼鏡を指で押し上げると、研究室の来訪者へ向けて微笑む。

「あら、啓さんこんばんは。今日もとびっきり格好いいわね」

「はい。それより、新しい紙を持って来ました。目を通しておいてください」

 隊服でなくいたってシンプルな私服を着る啓が、美しく纏まった机にドン、と雑な力加減で紙束を置く。それから研究室にある適当な書物を片手に、自分も隅の椅子に座るのだった。

 紙束に目を通す安吾はまず、記録の多くが南の記録であると検討付けた。題名は『房水の摂取による夢の共有』であり、内容もまた、題名通りあらゆる生態実験が行われた結果記録と、観測。悲しむべきは被験体が西の国民である点だ。彼らは過去、特に貧しい各国の民を連れ攫っては神秘を暴こうと躍起になった。信仰深い彼らがそのような蛮行を繰り返した事実は興味深い。

 啓が読む本は魔鉱病について。西の国民が主に罹る不治の病。原因さえ明かされておらず、しかし確実に国民を死に至らしめる。

「そういえば啓さんって、北の初代騎士王と会話したんでしょう。病を追及したって言っていたわよね」

 啓は目もくれず「はい」とだけ、頷いた。そして、「病の発祥は知りました。原因と、解決策は未だ不明ですが」と本から一度だけ顔を上げ、感傷するように眉間を寄せる。

「それだけずっと昔からあって尚、誰にも治せないなんて……」

 西の治験は人体にまで及んでいない。どうや魔鉱病は人間だけでなく他の生物、特に体の大きな哺乳類にも発病すると分かっているので、動物を用いて研究を進めている。が、良い結果は出ないままだ。年齢、性別、階級。全て比較したが関連はない。感染するかのようだが、その家族には及ばない例もある。

「ただ、面白い文献を見つけました」

 啓は書類の中、四つ端の一つに折り目のある紙を引き抜くと、安吾に手渡した。

 見るにこれは、西の騎士団で過去行われた瀉血の詳細である。穢れた血を抜き体の状態を正す方法は医療において少し前まで、一番効果的であるとされていた。今では愚かさの象徴である。

「これがどうかしたの? 瀉血と魔鉱病に関連があるとは思えないのだけど……」

「ですが隊内に患者数は少ない。特に戦争の最中はゼロですよ。怪しいと思いません?」

 怪しい。つまり、血の量と病に関連があると言いたいのだろうか。

 西には穢れ思想がある。人に呪われ身を穢し、また人を呪い穢れを溜める。いつしかそれらは形となり、そして……安吾たちがよく知る悪魔へと姿を変えていく。

もし血が汚染されると考えれば、瀉血による汚染の除去は最適解だったと言える。

「結晶化するのは臓器だと思っていたわ。現に瞳の結晶を見たことがあるの。瞳と同じ色をした、不透明で、綺麗な……宝石みたいだった」

「瞳はどうやら特別なようです。そういえば北も契約の代償はまず目玉。東と、南に該当する話はありませんが。神秘と人間の瞳は関連深いかもしれません」

 瞳と聞くと、安吾は啓が来るまで一人読み耽っていた記録を思い出す。西の罹患者。あれは魔鉱病ではなく夢見の患者だったが、同じように瞳を強調する文言が多い。


『確かにみたのだ、輝きを。瞳のまたその奥に』


 悪魔は常に人の幸せを願っている。それは始まりの、一番目の悪魔が初代騎士王より言い渡された遺言に関与する。国民に幸せを。王はそう自分の影、後の悪魔に言ったのだ。


『夢と目覚めは交互に。しかしいつしか夢は深くなり、そして、瞳が夢に染まる時が訪れる。さすれば人は救われる。虫の居所もたちまち収まるだろう』

 この文献の場合、「夢」と「幸せ」は同義であると捉えてよい。しかし不可解なのは虫の居所という箇所。

「啓さん、虫の居所って何か分かる?」

「調子の表現ですね。大陸外のあるところには、人間の体には虫が住み着くと信じられているようで」

「私たちの感情は全て虫のせい、って考えなのかしら」

 しかし被験体は西の国民。それも、夢見の患者である。咄嗟に出した表現にしては正常な思考であり、学者じみていた。

「なら私の虫はまったく忙しなく、怒りっぽいものですね」

「うふふ、そうね。悪魔の武器が使用者に与える影響はまだ謎ばかりだから、いっそ啓さんの体に短気な虫がいると考えた方が、分かりやすいかもしれないわ」

 体調により感情が上下するのは判明されている。心は容易く操られ、脳は騙される。

 啓は珍しく微笑むと、読書のために折っていた袖元を正し、上着の皺を軽く引っ張り伸ばす。安吾は思うのだが、彼は格好に頓着しないかわりにマナーを徹底している。男臭いのに上品。要素の混合が彼の魅力に繋がっているのだろうか。


 少しの間談笑を楽しみ休憩を図っていた二人だが、それは研究室の外から響く不揃いな足音によって終わりを迎えた。

「来てやったぞ安吾。存分に俺様をもてなせ」

 突如現れた北の魔術師。啓はすぐ姿勢を正すと部屋の隅に戻って、それっきり本から視線を逸らさず読み耽る。

「ありがとう凛太郎。お茶なら出るけれど、どうする?」

「喜んでいただこうか。さて、では本題は良い香りの湯気が上がった頃にしよう。それまでは我慢だな」

 凛太郎とて隅の椅子、啓へ一度だけ視線を遣ったもののすぐに興味が失せたのか、杖を置き椅子に座ってしまう。風で乱れた多少の毛先はすぐに魔術によって元通りになる。

「が、しかし。この俺様に南の研究日誌を複製しろだのと、雑に扱ってくれたものだ」

「仕方ないじゃない。活版印刷させてください、なんて頼るわけにはいかないんだもの。貴方の魔術が早いでしょう」

 差し出されたのは新たな資料。南はかつてどこの国よりも熱心に科学を突き詰め、独自のレンズを用いて微生物の世界までもを観測していたものの、今ではすっかり熱意を消え失せて死を待つのみである。非人道に飽きてしまったのか、それとも罪深い学者は全て消えてしまったのか。

「なぁ、俺様に一枚噛ませてはくれないか。お前たちの言う"夢見の患者"について」

「何よ急に。昔話題に出した時、つまらないって切り捨てたじゃないの」

「事情が変わった。どうやら白昼夢とはお前たちの血迷いごとではなく、実在するらしい」

 凛太郎が取り出したのは一枚の紙。内容は童話が綴られている。字が荒く尖っているので凛太郎が自分で書いたらしい。

「へぇ、少女のみる白昼夢……。不思議な話ね。閑に聞かせたらきっと喜ぶわ」

「あぁ。その閑経由で知ったからな、当然だ。これはあいつが抱える童話集の一話。長ったらしい演説によると、どうやら一番のお気に入りらしい」

 実に閑らしい。物語には主人公である少女の他にも沢山の動物が現れる。白兎、ネズミ。大方自分と白兎に共通性を見出したのだろう。

「童話とはつまり叙事文。白昼夢の、と明言があるんだ。昔から病の認識があったに違いない。れっきとした病気だったんだ、夢見とは」

 だから詳しく教えなくてはならない。

「夢見の患者の特徴は簡単よ。まるで夢を見ているように、記憶が書き変わるの。健忘や痴呆とは違う。まるっきり別人の記憶を持つようになる人もいる。それと……」安吾は少しだけ呼吸をして、それから記録を見せながら、「何故か全員同じようなことを話すようになる」と、そう言った。

 凛太郎が目を通すのは長期にわたる夢見の患者の記録。プロファイリングされたそれら、何件かの事例は確かに、発言に共通点が見受けられた。

それは「光」、「祝福」、「瞳」であり、他にも多くあった。光をみたのだと患者は語る。周囲にはみえないが、確かに目の前にある眩い光。患者たちはそれを「心のよすが」と呼ぶ。救いの光であり、絶対に正しく、清らかなものであると。

「いつでも正しく美しい、自分だけの救いの光。なんともまぁ、都合のよい幻覚だ」

「そうね。夢見の患者には必ず悪魔の姿が見えているのも不思議だわ。常人に観測はできないはずなのに」

 西に悪魔と呼ばれる、なんらかの影がいるのは前提である。だが悪魔は全員に見えるわけではない。凛太郎など他国の人間には姿形もなく、西の国民であっても多くは該当しない。騎士となり、悪魔の武器を扱うようになってから大抵は初めて「みる」のだ。

「しかし何故騎士はすぐに夢見を罹患するんだ。それと、極端に貧しい連中だな。思い当たる要因は精神的負荷か、または衛生か?」

 残る興味深い言葉は「瞳」である。神秘をみるための瞳。それがある日目覚め、人によっては増えると言うではないか。もっと瞳を。脳を覆うほどの大きな大きな、瞳を。患者はそう呟く。瞳があれば幸せになれるらしい。

「神秘を、みる瞳か」

 例えばだが、凛太郎たち北の国民には妖精の姿が見えている。しかし他国の人には見えない。それを祝福と呼ぶのだとしたら、北の国民は全員が授与されていると言えるだろう。西の国民はしかし一部のみである。見えざる者が神秘に手を伸ばした時。その人間はもっと瞳を、と言うのだろうか。

「夢見の患者は複雑に、明瞭に記憶を弄ってしまう。だから当人さえ気がつかないし、親しい人物以外の周囲も気がつかない。静かに、だけど確実に思考を停止していくわ。最後は夢に囚われて衰弱死してしまう」

 それまで患者は光を追い求める。どれだけ手を伸ばしても届かない。だが、瞼を閉じても尚も輝き続ける光に向かって。


『光は常に先にある。細くて長い光の帯。だからわたしたちは歩みを止めてはならない。いつまでも歩き続けるのだ。光とは闇の中でこそ美しく輝くのだから』


 患者はそう言って足元さえ見えない暗所でも、身がすくむ高所でも平然と歩くようになるという。勇敢な心を手に入れるのだ。それは光という救いを手にしたからだろうか。どちらにせよ、騎士団には都合のよい話である。統率の瓦解はいつだって恐怖が始まりだ。騎士たちが恐れなくなれば、それほど理想の兵器はない。

「さっき私が読んだ記録には房水と書かれていたわ。夢見の患者から摘出した眼球の中にある水を、摂取するんですって。すると、南の学者にも夢が見えたそうよ。妄言と切り捨てられていた光さえも」


「はぁ、気色悪い。端的に不味そうだ。他人の体液を飲むなんて俺様は死んでもごめんだが、喜んで飲むやつもいるんだな」

 それから凛太郎は、安吾に優しく告げる。

「どうやらこれは魔術ではなく、科学のようだ。仮説だが真相は見えてきた」

 冷たくなった紅茶の底を飲み干して、凛太郎は笑って告げるのだった。それはまるで子供の間違いを緩やかに指摘するような。一歩引いた目で、冷たく。対岸の火事に向かって落ち着けと叫ぶのと同じ顔つきである。

「まぁ、人間の体ってのは無数の命の集合体だ。今更不快に思う必要はないぞ、安吾」

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