藤の里帰り

机に放られたのはいくつかの手紙だった。それも封蝋はついたまま。未開封で放置され、少しだけ埃も被っている。

 与えられた休日を謳歌しソファに転がったままラジオに耳を傾けていた六夜光はドアを叩く音に、ようやく靴を履いて立ち上がる。


「はいはい」


 ドアを開けると視界に飛び込むのは桃色だった。自分より少し下に視線をずらして訪問者に欠伸をする。


「あー何すか時雨クン。こんな昼間に」

「ねえ、……うわ。あのさあ、休日だからってちょっとくらい身なりを整えるとかしないかなあ?」

「いいでしょ別に。寄宿舎の訪問なんて、この通り。野郎しかいないんすから」

「……はあ。わかった。でもとにかく襟くらい正してくれない? 鼻柱をへし折りたくなるし」


 部屋に招かれた時雨はずかずかと横断し進んで行くと窓を開けた。折角暖かな天気の日なのに、部屋の中は空気がこもって息苦しい。部屋の主は誰かの手を借りるか、客人を招きでもしない限り無頓着だから嫌になる。


「はい、手紙」

「またですか? いつもすいません、時雨クン」

「ほんっと。六夜光の家は俺のことメッセンジャーだと勘違いしてるっ! 俺って、常日頃もお医者さんと趣味とで大忙しなのに」

「いやいや、ほんと感謝してます。こんな、豪勢な封蝋を他のやつに見られたら。……たちまち噂になっちゃうんだろうなぁ」

「そらねぇ。北やら南はともなく、東の騎士団で貴族出身なんて物好きいないし」


 六夜光達の一つ前の世代は、騎士団の中で貴族出身なんて者はそれはそれは多かった。だが長く続いた戦いで多くの戦死者を出してから、貴族も例え次男や三男でも子息を出すのを渋るようになったのだ。それに女王が敷いた法令によって戦いはなくなり、騎士団の需要も薄まったから余計に。

 そんな中で彼方の背中一点だけを追って六夜光は家督の継承を捨て騎士団に入ったのだから、さそがし異質に映ることだろう。


「それで、手紙の内容は?」

「あー開けてないっす。親の名前があるやつは大抵無視してるんで」

「何でなのさー! 可哀想だよ」

「弟からのは読んでますよ。大体は近況報告と大学の成績自慢っすから。ストレス無し!」


 受け取った手紙を裏返す。差出人の名は弟の物だった。ならば仕方ない、これを開けるかとペーパーナイフを取り出す。


「そのナイフは何?」

「何って、ペーパーナイフ?」

「手紙開けるのにも道具がいるんだ。手で破っちゃうよ、普通」

「中身まで破っちゃったら怖いじゃないっすか!」

「はいはい。どーぞ開封して」


 中から取り出した手紙をソファに座り込んで目を通す。丁寧だがまだ下手くそな字で綴られた文章を見て、六夜光はふふんと鼻を鳴らす。


「ねえねえなんて書いてあったのさ」

「なんか、社交パーティーの招待状ですって。どうぞお友達とご一緒にって書いてあります。はっはっは! でもところどころ綴り間違ってるし」

「わぁ可愛い。大学ってことは歳結構近いんだね」

「そうなんすよ。僕なんかよりずっと頭いいんすけど、ちょこっとおっちょこちょいっていうかー」


 逆に、六夜光よりも頭が悪いなんてそうそうあり得ないだろうと深々頷く。

そしてふと、時雨は良いことを閃いた。


「ねえ、弟ってことは……六夜光の家の跡取り様じゃん?」

「ん、はい? そうっすけど」

「会いたいなぁ、俺も連れてってくれないかなぁ」


 時雨の瞳はピカピカ輝く。六夜光の家族を見たいという思惑半分、お貴族様と近付きたいという野心半分でばっちり上目遣いしてみせた。だがどうだ、可愛いだろうと顔に書いてあるようにわざとらしい。大衆受けはしても六夜光受けは悪いのだ。

 あからさまな媚びの売り方に六夜光は舌を出してうげーっと、頰を掻き脱力する。どんどん腰が沈んでいくので一度姿勢を正し、じっと時雨の顔を見つめた。


「もしかして政治的なやつ? そーいうのは弟にやんないでほしいんすけど。せめて僕の目の前だけでも」

「いいじゃん。どうせ六夜光は必要性分かんないっしょ。俺達って最高の友達な気がしない? そんな気がして来てるよね」

「こわ……令嬢並みの執着心じゃないっすか! んなこと言われなくても、最初っから時雨クンは誘うつもりでしたってば」


 ならばより都合が良い。どんな服を着ていこうかと微笑む時雨は早速、六夜光の部屋のタンスを思いっきり開いてやった。それなりに丈夫な木で作られたタンスだが、老朽も兼ねてギジリと嫌な音を立てたのを六夜光は聞き逃さなかった。扉が壊れたら修理費は王宮侍医に請求するよう言わなくては。


「何で僕のタンス開けるんですか!」

「だって六夜光の服って貴族様のセンス強いでしょ? 参考にすんの。俺だけ浮いたりしないように」

「とは言ったって……時雨クンはもう、その髪型の時点でだいぶ目立ちますよ。そこまで独自性の高い髪型してるやつ珍しいですもん」

「褒め言葉意外だったら怒る。彼方に言いつける」

「勿論、心からの褒め言葉っす!」


________________



 六夜光のドラゴンの背に乗って空を走ると、王城から少し遠いと聞いていた六夜光の実家までもあっという間だった。流れる雲を六夜光と、赤い鱗を持つこのドラゴンと眺めるのはもう何度目だろう。飛竜じゃない時雨のドラゴンは移動には向かないので、相乗りさせて持ったことが今までにもあった。これは確かに、六夜光がいつもゴーグルを手ばなさないのもよく分かる。すごい風だ。



「よっし到着」


 多少の土埃を上げてドラゴンは地面に足を置いた。煉瓦造りの綺麗な道だ。さすが、この辺りはお金持ちしか住んでいない通りだから道の隅まで綺麗に舗装されている。綺麗に咲く藤の花から良い匂いがした。先に地面へガサツに飛んだ六夜光が、上にいる時雨へと手を差し出す。まるで令嬢のような扱い方だ。だが悪い気はしない。


「足元気をつけてくださいね。時雨クンなら大丈夫でしょうけど、こいついたずらっ子だから」

「そんなことないよ。ねっ、いい子だもんねナナちゃんは」


 よしよしと体を撫でれば気持ちが良さそうにドラゴンは首を揺らす。素直で、この子は何で可愛いのだろう。六夜光の相棒であるこの子はナナテスカトリという長い名前で、呼びづらいため専ら愛称として「ナナちゃん」と周囲から呼ばれていた。男の子だけど。


「おわ、懐かしい。門が見えてきましたね。多分広間を使うと思うから、行きましょ」

「家と玄関って案外近いんだなぁ。もっと、ほら。お屋敷って移動も大変なくらい敷地があるのかと思った」

「敷地の半分が道路とか勿体無くないですか? それより、大きな部屋を作った方が楽しいし」

「ふーん」


 時雨の家はそもそも庭なんてなかった。階層ごとに分かれ部屋がある上に伸びた大きな建物の一室に住み、窓から見えるのも近隣の建物と曇った空だけだ。家で花を育てるなんてことも、大人になってから初めて知ったのだから。


「可愛い。いい花の匂いだね」

「藤の花っすね。母親が紫色凄く好きなんす。ドレスとかも全部、高いのは薄紫」

「へえ、そうなんだ。閑のことも気に入りそう」

「ああ、あり得るっすねぇ」


 気に入ったなら一房千切ってもいいっすよ、と六夜光には言われるけど、さすがにそれは憚られた。貴族の家から花を貰う、ということ以前にも、ここまで美しく咲く花を摘み取るなんて良心が痛んでしまう。確かに、押し花とかドライフラワーにしたらきっと綺麗だと思うけど。それは市場の露店で買えばいい。藤の花が、これだけ綺麗だと知れただけで満足した。


 すると、玄関口らしき大きな扉が片側だけ開き、中から誰かが顔を出す。きらりと日に薄い青緑色が反射する。


「兄上?」


 一目で六夜光と血縁関係だと分かった。だってあまりに、彩がそっくりだ。ただ何だか軽薄そうな印象を与える六夜光と違って、彼からは知的な印象を受ける。


「棗! 久しぶり。手紙読んだよ」

「来てくれたんだ、嬉しい」


 爽やかな足取りでこちらまで駆け寄ると、六夜光にわっと抱き着いた。二人で肩を抱き合って一通り満足すると、棗と呼ばれた少年は遅れてこっちの存在に気が付いたようであ、と目を見開き咳払いをした後、何もなかったように丁寧にお辞儀をする。凄い、目まで一緒の色をしてるんだ。


「こ、こんにちは。兄上の、ご友人ですよね。初めまして、弟の棗です。私の主催するパーティへ参加していただいて、心からのお礼を貴方に」


 恭しくそう名乗り上げると、完璧な挨拶とは裏腹に、居心地悪そうに目を右往左往と動かしていた。


「初めまして、俺は時雨。お城で医者として働いてます。お呼びいただいて、こちらこそありがとー!」

「わっ、あの、時雨、様……っ!」


 友好の証と手を繋げば、大袈裟なくらい肩を跳ねさせて棗は慌てふためく。驚く顔は六夜光とそっくりだ。


「ちょっと、ウチの弟をたぶらかさないでくださいっす」

「そんなことしてないもん」

「あ、あの……。恥ずかしいので、手を、離していただいても?」

「ほらぁ、茹でたみたいに真っ赤になっちゃったし。棗、あんまり過剰に反応するとまた揶揄われるからやめといた方がいいって」

「そんなこと言われても……兄上……」


 にっこり微笑んだ時雨の顔に押し負け、棗は足早に六夜光の後ろに隠れ込んだ。はは、と自分の服を引っ張る弟に笑っていれば、屋敷の奥から数人の使用人達が「棗様!」と慌てた様子で駆け出て来るのが見えた。

 その顔ぶれを確認し、六夜光もぱっと手を上げて久しぶりとこたえる。するとぎゃ、と悲鳴に近い声が上がって、すぐに使用人達は衣服を正し全員が頭を下げた。


「お帰りなさいまし、六夜光様」

「あはは、いやーみんな元気そうで良かった良かった。不景気も相まって減ってたらどうしようって思ってたんだけど」

「まさか、そんなこと僕がさせませんよ兄上。誇り高い我が家を立派に継いでみせます」

「さっすが、僕の弟は完璧っすね!」


 視線を下げたままの使用人が二人こっちに近寄って来たかと思うと、「お荷物お持ちします」と綺麗な声で言われてしまった。そういった待遇に慣れないばかりに時雨は、はあ、どうも。と無愛想に返してしまう。

 客人にしてはちょっと態度が横柄だったかな。謝った方がいい? と六夜光に視線を送るが、何も気にしていないらしい。何故見つめられるのか分からない、といった様子で首を傾げていた。


「それでは兄上、時雨様。会場には僕が案内します」

「場所さえ教えてもらえれば勝手に行くからいいよ?」

「一応、来賓なので……。おもてなしをさせてください」


 こっちにおいで、と六夜光のドラゴンは竜舎へ誘導されて行った。

その時に、棗くんからドラゴンは、と聞かれるが首を振る。他と違って時雨の相棒はどれだけ離れていても、一日会わなくても平気といった顔で飄々と昼寝をするようなやつだ。可愛いけれど、扱いづらい。不思議そうにして棗くんは、それならいいんです。と案内を始めてくれた。


 歩き出し変わっていく景色はどれもこれも、全て時雨にとって非日常の塊だった。綺麗なシャンデリア、所々に飾られた絵画。花瓶。庭に噴水があるのって貴族では普通なのかな。

 けれどカーテンやソファの布地まで、細かい色は全て紫で統一されている。なるほど、この家の第一権力はお母さんなんだろうな。インテリアに関して全て権能を握っているんだろう。


「ここが会場です。だけど、ずっと早い到着だったから。応接間とか、お部屋で休んでいてもいいですよ」

「わあ、六夜光の部屋とか見たいな!」

「面白くないっすよ別に。私物殆ど無いし、多分ベッドとかはそのままだけど」

「本棚もそのままです。時々僕が読むから、並び順は変わっているかも」

「へえ、六夜光が読書かぁ」

「本っていっても冒険譚とか、そんなんですよ。頭のいい本は睡眠時間が増えるだけだし!」


 そういえば寄宿舎の六夜光の部屋にも本棚があった。細々と絵本や童話など、まぁ確かに成人男性が読む内容には似付かわしくない並びではあったが。それでもただの家具として哲学書や古書を集めたがる格好付けの男よりはずっと良い趣味だ。


「六夜光坊っちゃま。お帰りなさませ」

「うわぁっ、いつのまに!」


 髪をお団子に一つで纏め、先程まで見た使用人よりはほんの少し立派なレースやエプロンを身につけた老齢の女性が六夜光に礼を取る。厳かな雰囲気の女性だ。知らずうちに、時雨もぱっと背筋を伸ばしていた。だがその横でこれでもかと振る舞いを正した六夜光は苦い顔を、無理矢理歪めて笑顔を作る。


「お、お久しぶりでぇす」

「見ないうち、逞しくなられました。お元気そうなお姿を見れて、私めも、ようやく心置きなく呼吸が出来る所存です」

「あんま手紙送れなくてごめん、メアリー、紹介するよ。俺の友人の時雨。今日のパーティに参加するから」

「お見知り置きを、時雨様。本日は六夜光坊っちゃま共々お越しくださって、心より感謝いたします」

「ど、どうも〜」


 六夜光がこっそりと口を寄せる。小さな声で、「怒らせると怖いんすよ」と余計なことを吹き込んできた。そんなこと言われても、俺に貴族の礼儀は真似できないって知ってるくせに!


「それで、時雨クン。彼女はうちのメイド長で、長いことずっと僕達兄弟の世話してくれてたメアリーっす。使用人で二番目に偉い人ね」

「こ、こんにちはー。宮廷侍医の時雨です。こんな素敵なお屋敷に、呼んでもらえてとっても嬉しいです」

「まあ、お医者様ですか。貴方のようにお若い方が……」

「あはは。いろいろと縁があって」


 目元の皺は一切動かない。それどころか、彼女は感情がないように至って冷静だった。

真っ直ぐに瞳を見られたかと思うも、すぐに顔を下げ一歩離れてしまう。

 六夜光も居心地悪そうにしているが、何が以外かというと棗くんもまた、同じように彼女に対して苦い顔をしている。兄弟揃って彼女に関して、嫌な記憶があるのだろうか。


「さて。坊っちゃまがお帰りになったなら、仕方がありませんね、棗様」

「な、なんのこと……」

「執務の途中でペンを放り出し、ドアも閉めずに玄関まで走っていかれたことです」

「それは……」


 はは、と誤魔化しを図るように棗くんが曖昧に微笑む。


「その、メアリー……。あんま棗を怒らないでやって、もらえたりしません?」

「怒ってなどおりません。テオがずっと騒いでおりましたから、どのみち落ち着いて仕事は出来ませんでした」

「え、そうなの?」


 テオは誰かと尋ねれば、六夜光は簡潔に「棗のドラゴン」と答えてくれた。どうも六夜光のドラゴンのナナテスカトリと仲が良いから、帰って来る日はとっても騒いでは周囲の物を壊して回るんだとか。

 つまり、付近に棗のドラゴンがいない理由はどうやら簡単で、竜舎に向かったナナテスカトリに会いに行っているからなのだろう。

 大きな体同士で猫のようにじゃれつく二体のドラゴンが目に浮かぶようだ。


「可愛いねぇ」


 桃色の髪を揺らしながら口元に手を添えてくすくす笑った。それにつられてへにゃりと六夜光も緊張を和らげる微笑むので、二人を近くで見る棗はあれ、とパチパチ色が左右で異なる目を瞬かせる。

 珍しい。屈託ない兄の笑った顔だ。



 パーティが始まってしまえば、言うほど貴族の儀礼なんてものは必要ないらしく好きに話て回り、好きに食べ物を摘んで過ごす。

 なんの気無しに口に放り込んだ蒸した魚の切り身は、あまりの美味しさに持っていたグラスを落としそうになってしまう程で、つい二口目の指をテーブルに伸ばしてしまった。

あんま食い意地を張る姿を見せたくないけど、仕方ないよね。

だって美味しいのだから! ちょっと濃いソースをかけて、上に食感の良い魚卵を飾れば絶品だ。これを一口サイズで飾るのが悪い。本当は、大きな皿に盛らせて際限なく摘みたいくらいなんだから。


「よっ、楽しんでますねぇ」

「ねね! 六夜光も食べてみて。ちょお美味しいよ。やばい!」

「それは内の料理人の定番料理っすから。もっちろん、美味いに決まってるっしょ」

「けど食べるの久しぶりでしょう? 俺の前では作法とかいらないから。お腹いっぱい食べてよね」


 六夜光に小皿を持たせ、手当たり次第美味しそうな料理を沢山盛ってあげる。

 いつもは山盛りの料理を平らげているくせに、見た感じ六夜光はほぼ一切何も口に運んでいない。自分の家なのだから、もう少し気を抜いて参加することはできないんだろうか。

……できないんだろうなぁ。持っていたフォークをクルクル回す。久しぶりにこの世界に顔を出したからなのか、六夜光の周りにはずっとお呼ばれした貴族が張り付いている。みんなニコニコ笑って、挨拶にくるんだ。六夜光もそれに格好良く微笑み返してご機嫌ようと応えていた。らしくないけど、絵にはなる。


 今だってそう。時雨と話している間にも、周りからは多くの視線を向けられていた。意図はさまざまなんだろう。家を出ても、貴族の血を持った独身の男。時雨から見ても狙い目だ。


「あぁ、美味しそうな匂い。やばい、涎が……」

「貴族様は大変だ。こんなの毎日やらないといけないんだもん」

「その貴族様に名前を売りに来たんじゃないんすか?」

「そうだけど。いざ目にしちゃうと足が竦むみたいな」

「それはまじで分かる。僕もそうですもん! 久々、帰って来たらなんかな。結構疲れちゃってる」


 言いながらも六夜光は、こちらをちらちらと物言いたげに見つめる令嬢の群れに微笑んで軽くお辞儀をしていた。抜かりない。

 そういえば棗くんの姿を見ない。始まる前までは結構お喋りしていたのに、やはり主役は忙しいのだろうか。


「棗くんは今頃何してるのかな」

「あー、多分画廊の方に逃げてると思います。いっつもだから。人混み嫌いなんすよね」

「ええ? 主役がそれやって大丈夫なの」

「あんま良くないっすけど、それを母親がカバーしたりするんで」


 人混みを避けてゆっくり絵画を眺める棗くんか。と呑気に想像した。きっと絵になるだろう。清廉な少年が、どことない哀愁を纏わせ見つめているのだ。


「そろそろダンスの時間ですよ」

「ん? そうなの。あんまし俺は関係ないけど」

「逃げるなら今ってこと。一人の令嬢に捕まると次から次へと永遠に踊らされるから……」


 六夜光はそう言って庭園の方を指差す。つまり、自分達も人混みの少ない方へ逃げようと言いたいんだろう。

 時雨は残ったとして自分がそこまでの被害を被るとは思えなかったが、友人がそうしたいと言うなら従ってやることにした。ただの気分だ。


「じゃーお花でも見に行こっか」


 お皿に盛られた最後の料理を胃に入れる。満たされた食欲に反して、もっと濃い味を口に入れたいと欲する舌を無理矢理口にしまって六夜光に着いて行った。会場から離れてすぐに、確かに綺麗な音色が聴こえて来る。ダンスが始まったのだろう。

 ただお呼ばれたした令嬢達は可哀想だ。目当ての令息が二人もいなくなったのだから。


「夜来香だ。わあ、いい匂い!」

「よらいこう? 凄い名前っすね」

「夜になると匂いが強くなるお花だよ。いいね、こういうのもあるんだ」

「時間があるとガーデニングに精を出し始めるのはつきものっすよね」


 花に近寄って顔を近付けると、強い香りが鼻をくすぐる。


「ねえ、変なこと聞くけどさあ」


 横で同じようにしゃがむ六夜光に、ぼんやりとそう聞いた。


「六夜光は騎士になって後悔したりしないの? ここに、戻りたいとかさ」

「思わないっすね。まだ志半ばだし」

「キッパリだな」

「馬鹿には向かないんですよ、この世界って。いいよーに利用されて、終わり。家ごと食い潰されて栄養になるしかないんす」

「こわ」

「でしょ?」


 六夜光は確かに時雨が知る中でも結構な馬鹿に値するけど、自虐としてそう評するのは珍しい。誰でもそうだけど、自分が人より劣ってるとは認めたくないんだ。


「僕はつまり、宝の持ち腐れだったんです」

「大学には行ってたんでしょ?」

「途中で逃げちゃったけど」

「はあ!? 折角、名門校に通ってたのに卒業してないの」

「んーー……まあね。勉強してる暇があるなら、早く剣の訓練しなくちゃって。騎士もさ、ほら。若い内に入らないと上にまで行けないでしょ?」


 時雨にとっては信じられないことだ。自分があれだけ、努力して、勉強して入った大学は。六夜光にとってただのしがらみに過ぎなかったのか。奨学金やら援助申請やらでようやく軍大学に通って医者としての知識を学んだ。辛い過去だ。それでも後悔はない。


 指先を伸ばしたり、握ったり。それを繰り返して考え込む。生まれた環境で価値観は変わると分かっていたつもりだった。


「親怒ったでしょ」

「そりゃあね。すっげー怒られましたよ。その時かな、家を継ぐ気がないって打ち明けたの」

「棗くんはいいって言ってくれた?」

「あいつ優し過ぎるから。馬鹿兄貴の言うことでも頷いちゃうんですよね。まあ、結果的に俺もあいつも落ち着いたから良かったけど」

「そうね。めっちゃ結果論だけどさ」


 棗くんは政治の才能があった。それに加えて商業面でも頭角を現している。六夜光も案外と騎士の生活が合っていたんだろう。子供の頃から士官学校に通わずとも、今は相応の位置にいる。


「ただ、メアリーは否定しなかったな」

「そうなの? いの一番に頭はっ叩きそうなのに」

「うーん。そう決めたのならそうしてくださいって言われました。否定ってか、突き放された? と思ったけど」

「でもメアリーさん、今日めちゃくちゃ嬉しそうだったよね。久しぶりに六夜光と会えたから」

「ですよねぇ、はは。なんか照れ臭いな」


 顔を手で覆って六夜光は笑う。彼と、メアリーの仲の良さがよく伝わった。これは後でメアリーに、六夜光の従騎士としての武勇伝を教えてあげなくては。大事な王子の警護に遅刻したり、重要な遠征の日に限ってゴーグルを忘れてきたりと話のネタは尽きないのだから。


「でも折角だし踊りたかったなぁ」

「ええ? 時雨クン踊れるんすか」

「ちょっとだけね」


 でもきっと六夜光の方が上手だ。先生に教えてもらった人と、同僚と見様見真似で練習した俺とでは出来が違う。


「六夜光踊ってよ」

「嫌っすよ。一人じゃ道化師みたいじゃないっすか!」

「は? 俺に女役やれってこと? 薬品の被験体になりたいわけ」

「何も言ってないし……」


 噴水に投げたコインがぽちゃんと沈む

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