後遺症

 ……疲れた。


 すべての訓練が終わってからオステノヴァ公爵邸に戻った直後。


 私は人目とか公爵令嬢の体面とか全部捨てて床に仰向けになった。


 多分私が最後のようだった。他の人たちはすでに先に訓練を終えて帰ってきていたし、皆一様に今の私のように完全に疲れて横になった状態だった。死体のように自分の体を投げ捨てた私たちがこの国の四大公爵家の令嬢令息だということを分かる人が果たしてどれほどいるかしら。


 唯一さわやかな姿で立っているのは母上だけだった。


「テリア。床に無造作に寝そべるなんて、つつましくないじゃない」


「……一ヶ月間苦労させた母上には聞きたくないです、そんな言葉」


 本気で不満をぶちまけて恨みを吐き出したけれど、母上は澄ました顔で鼻を鳴らすばかりだった。


 一ヶ月。そうだ。一ヶ月かかった。


 呼吸が不可能な月面で身体の維持も重力もすべて自力で解決しなければならない環境の中で、私は一ヶ月間戦った。本当に本当に文字通り食べることも寝ることも休むこともできず、三十日七百二十時間のうち一分も横になるどころかしばらく休むことすらできず!


 母上が極光技で時間を操作できる特性を模写して時間を圧縮する結界を繰り広げたので、外で流れた時間はわずか一週間程度。効率は良いと言えるけれど、肉体的にも精神的にも到底耐えられないトレーニングだった。


 率直に言って、単発でちょっとだけする程度なら大きな問題はない。剣聖の母上が半分本気で殺すつもりのように襲いかかってくることに対処しながら同時にミッドレース軍団を相手にするのは骨が折れるという言葉でも形容できないほどの苦労ではあるけれど、それ以上の危険な実戦も行ってみたから。


 でも月面での戦闘はひとまず呼吸からが問題だ。その上、重力も私の魔力で何とかしなければならず、気圧と温度と宇宙紫外線まであらゆることが問題になる。時間が経てば訪れる空腹や眠気のようなものでさえ、身体の状態を維持する魔力で何とか解決しなければならない。


 そのすべてを魔道具や他人の補助なしに自分で魔力で解決しながら、同時にすぐ死んでもおかしくない猛攻を一ヶ月間持ちこたえるって? クソクラえ、クソッ。


 公爵令嬢らしくない悪口を心の中で思う存分吐き出すほど、さすがの私も平静を維持することができなかった。


 母上の訓練が最も過酷な点はこのような部分だ。一度、一時間程度なら限界を越えて脱力する程度で済むような強度の訓練を、何日でも何週間でも何ヶ月でも強要する。


 正直、私が学園に入学した十一の頃、その年にしては規格外に強かったのも八歳の時から三年間母上の地獄訓練に耐えたおかげだった。呪われた森での訓練なんか母上の訓練に比べれば息抜きに他ならなかった。


「……お姉様、来ましたね」


 アルカは弱々しく言った。


 振り向くとアルカは魂が抜けたような顔でぼんやりと天井を眺めていた。


 普段、私を見れば花のように笑って飛びついてきた可愛い妹が今は私のことを気にしている様子すらない。アルカもきっとすごくつらい訓練をしたんだろう。


「貴方もご苦労だったわね」


「……」


 アルカは答える気力さえないのか、ぼんやりとした顔でじっとしているだけだった。


 あの元気な子を一体どれだけ苦労させたらこの子がこうなったの?


 いや、実はアルカだけじゃなかった。完全に気絶するように寝ている人もいたから。いつも覇気に満ちていたジェリアまでも魂が抜けていて。


 意図は良いトレーニングだったし、実際に成長したことは体感できるから不満はない。でもやり方だけはどうにかしてほしいんだけど。


「……だから母上が左遷されたんです」


 思わず呟いた後、ようやく口が滑ってしまったことに気づいた。でも慌てて後始末をする体力さえなかった。


 私の言葉にアルカが反応した。


「左遷? 母上は栄転したはず……?」


「えっと……うーん。名目上はそうなのだけれど」


「テリア。どうして貴方がそれを知っているの? もしかして『バルセイ』にそんな内容もあったのかしら?」


 母上が不満そうな顔で割り込んできた。私が黙って頷くと母上はため息をついた。


「……どういうことだ?」


 あれ、ジェリアまで反応があるね。


 私は母上を見た。母上の評判が気になって……なんかの理由じゃなく、訳もなく勝手に言って母上に怒られたくなかったから。


 母上は不満をありありと漏らしていたけれど、もう言ってしまったことを今さら隠すわけにはいかないと思ったのか、肩をすくめるばかりであった。


「母上が騎士団長だった時代にはすべての指揮下の騎士たちにこんな訓練をさせたの」


「……」


 一つの文章を言っただけなのに、もうアルカとジェリアの表情が微妙になった。何とも言いようのない眼差しで母上をじっと見始めたのだ。


 その光景を見ると笑いが出た。おかげさまで少し気分がよくなったわ。


「効果的ではあったの。母上の『看破』は世界でも最高だったから」


 紫光技を越えて極光技の極に達した母上は、世界権能を除いたほとんどすべての特性を扱う。


 しかし、母上の本来の特性は『看破』。何かを見抜いて分析するのが得意なだけの特性。本来なら戦闘では補助的な役割をするだけで、主導的な破壊や防御は不可能だ。


 けれど『看破』の能力者でも普通は特化分野があるものなのに、母上にはそのようなことがなかった。無能なのではなくその逆、すべてに長けた万能だったから。


 その能力で母上は現代的な紫光技を創始した。


 もともと紫光技はただ危険千万な魔力増幅方法に過ぎなかった。だけど母上は『看破』の力で不安定極まりない紫光技の魔力パターンを分析し、それを利用して特性を変調するというとんでもない活用法を捜し出した。それを基に紫光技を一つの技術体系として再確立し、発展型の極光技にまで到達した。


 剣術の極みに達し剣聖の称号を得たのも、規格外の魔力運用法を創始して完全な終点に達したのも。母上が今も歴代最強の太陽騎士団長と呼ばれる理由だ。


―――――


読んでくださってありがとうございます!

面白かった! とか、これからも楽しみ! とお考えでしたら!

一個だけでもいいから、☆とフォローをくだされば嬉しいです! 力になります!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る