暗示

 ……遥かなる漆黒の空間だった。


 不慣れではない。たった一度だけだけどここに来たことがあったから。以前お姉様と修練騎士団執行部入部をかけて模擬戦をした時に見た……私の力が可視化された内面世界だった。


 あの時のように依然として力の塊がここにあった。ただ塊の大きさがあの時よりはるかに大きく、真っ白な魔力の塊の中に混ざっている色の種類もはるかに多かった。多分これは今の私があの時より強くなったことを意味するのだろう。


 けれど急にここに来たということは……。


【アルカ・マイティ・オステノヴァ。貴方は相変わらず役に立たないね】


 突然聞こえてきた声に驚いて振り返った。漆黒の空間の中でももっと暗くて変によく見えるシルエットがあった。ぼやけていて詳しい姿を見ることはできなかったけれど、こんな風に変調された声は……。


「『隠された島の主人』?」


【何を今更驚くの? この前もここで私に会ったじゃない】


「不本意でしたね。今回も同じです。まさか貴方がここに私を連れてきたんですか?」


【どうしてそう思う? この空間は完全に貴方のものじゃない】


「その空間に勝手に出入りする貴方がいますからね」


【邪毒神といっても神は神よ。その程度も不可能だと思った?】


「……それで? なぜ現れたのですか?」


 このままでは意味のない口論だけが続きそうなので話題を変えた。


『隠された島の主人』はくすっと笑ったけれど、時間の無駄を続けるつもりはないようだった。


【貴方があまりにも役に立たなくて腹が立ったんだから】


「悪口でも言いに来たんですか?」


【それは普段からやっていたよ。貴方の面前でしなかっただけ。そんな無駄な腹いせをしに直接来ることはない】


「じゃあ何をしに来たんですか?」


【役に立たない貴方をもっと役に立たせてあげようと思ってね】


『隠された島の主人』は突然私に近づいてきた。私が反応する暇もなく、漆黒の邪毒の手が私の胸に触れた。私はびっくりして遅れて払おうとしたけど……なぜか邪毒が私の体を侵す気配がなかった。存在自体が邪毒の塊である邪毒神なのに。


【貴方が得るべきものがとても多い。なのに貴方はまだ何一つまともに手に入れなかったね。いつまでもそんな状態ならテリアの役に立たないよ】


「……私も頑張っていますよ」


【そう、頑張ってるよね。いつかは到達するよ。でも今のペースなら、そのいつかは遅すぎる時期になるでしょ】


「それは『バルセイ』の私がそうだったからですか?」


 お姉様が言ってた。『隠された島の主人』も『バルセイ』を知っていると。それならその中の私がいつどのように成長し、何を成功して失敗したのかも知っているだろう。


『隠された島の主人』の気配が少しおかしかった。顔なんか全然見えないのに……苦笑いしたような気がした。


【少なくとも私は多くのことを知っている。テリアが知っているよりも。貴方が何を得られるのかもテリアよりもっとよく知っているよ】


「それを得させてくれるということですか?」


【一部はね。すべてを注入するのは現時点ではできないし】


「どうしてそこまでしてくれるんですか? 神である貴方がそこまで私を助けてくれる理由がありますか?」


【勘違いしてるね。貴方を助けるのじゃないよ。テリアを助けるものよ】


「結局同じです。どうしてお姉様にそこまで執着するんですか?」


【……】


『隠された島の主人』は答えなかった。その代わり、私の胸に当てた手から力が感じられた。そしてこの空間の中にある私の力がその力に反応するのが感じられた。


『隠された島の主人』が再び声を上げたけど、先ほどの質問に対する答えではなかった。


【『万魔掌握』の侵食技、オステノヴァ公爵家の始祖武装、『万魔掌握』のコピーではなく自らの実力で習得した紫光技。さらには……〈五行陣〉や極光技までも視界に入れることができるけれど、そこまでは遠すぎるし】


「それが私が得られる力だということですか?」


【物語の終幕に至った〝主人公〟は望むことを成し遂げる力を得ることになる。貴方はこの世界に選ばれた〝主人公〟だから、そのすべてを手に入れることができる。ただ……】


『隠された島の主人』の魔力が揺れた。しばらく言葉を濁した声も不快そうに低くなった。何に向かっているのかは分からないけど、怒っていることだけはなんとなくわかった。


 なぜか……その怒りがもどかしかった。


【望むことを成し遂げる力を得たからといって、その時点でとは断言できないんだよ】


「どういう意味ですか?」


【後悔したくないなら自分自身に対してもっと焦った方がいいという意味よ】


 その瞬間、この空間にいる私の力の塊が激しく燃え上がった。同時に胸の中からものすごい熱気が感じられた。


「うっ、ああっ!?」


【暴れるな。急激な力の増幅に体が驚いただけだから。後遺症なんてないから安心して】


「それを……どうやって信じるんですか!?」


【信じたくなければ勝手にして。どうせ私の行動は変わらないから】


 力の塊が巨大になり、遥かなる漆黒の空間をまぶしく照らす光となった。同時に不思議な感覚が感じられた。私の体はそのままなのに、まるで手で広い空間全体を撫でるような感覚だった。


【その感覚をよく覚えておいて。〝主人公〟として『万魔掌握』を背負った存在になったなら、万魔を支配する権能程度は自分のものにしないと相応しくないよ】


 まさか侵食技を指すのかな。


 そう聞きたかったけど、燃え上がる力が手一杯で息が詰まった。


『隠された島の主人』はそんな私をあざ笑うように勝手に言った。


【自分が何を手に入れたかくらいは自分で確認してみて。目覚めると自然に感じられるから。もしそれさえもできなかったら……貴方は貴方が大切にする人を守る資格もない存在であるだけよ】


 視界の端から光が広がった。それが力の塊が光って視界を覆うのか、それとも……他の何かを暗示しているのかよくわからなかった。


 白く曇っていく視界の中から『隠された島の主人』の声だけが鮮明に聞こえた。


【しっかりしなさい。後悔したくなければ】


―――――


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