最後の会話

 血があふれ出た。


「ッ、はあ……!」


 血を吐いてから私の体を見下ろした。


 ……左腕がすっかり消えてしまった。


 肩口を越えて肺の一部までやられた。それでも心臓まで届かなかったのが何よりだと言うべきかしら。紫光技で『再生』の魔力を模写して自己治癒をしてはいるけれど、邪毒獣の魔力が再生力と拮抗していた。


【テリア! 大丈夫!?】


「……死んでは、いなかったわね……」


 死ぬほど痛いわねこれ。魔力で痛覚をできる限り抑えたのに。無限の魔力で推し進めれば結局完治はできるだろうけど、しばらくは非常に苦しむしかない。


 邪毒獣を相手にしても死ななかったということだけでも安い代価だ。……よほどの人だってもこれくらいの傷で済まなかったはずだけど。


 ……その傷を負わせた邪毒獣はどうなったかというと。


【う……おぉ……】


 巨体が崩れた。真っ二つになった頭と巨大な穴が開いた胸から滝のように血があふれた。


 双剣で頭と心臓を正確に切り、魔力で内部を完全に破壊した。さらに魔力をたっぷり浴びせて再生を妨害し、細胞を破壊し続けていた。まだバカなほどの再生力で耐えているけれど、すぐに息が切れるだろう。


「お嬢様!」


「お姉様! ひどっ……!」


 トリアとアルカが走ってきた。二人とも私のことを心配していたけれど、率直に言って誰のことを心配するのかと言いたくなる状態だった。二人とも邪毒獣の槍に突き刺さった傷や熱気で焼かれてしまったやけどがあちこちにあったから。しかも少しだけど邪毒に浸食された様子まで見せた。私が一番先頭に立って邪毒獣の攻撃をほとんど受けたとはいえ、二人にも被害はあっただろう。


「ちょっと待ってね」


 浄化の魔力を二人に浴びせた。傷の治療は後にしても、邪毒だけはできるだけ早く浄化しなきゃならない。


 二人を侵食した邪毒がすべて消えたことを確認するやいなや、私は直ちに倒れた邪毒獣の方に顔を向けた。アルカがびっくりした。


「お姉様! どこに行かれるんですか!?」


「邪毒獣は死体だけでも大きな影響を及ぼすわよ。早く浄化しなくちゃ」


「でも……!」


 トリアはアルカの肩に手を置いた。アルカが振り向くとトリアは首を横に振った。私に言いたいことがあるのはトリアも同じだろうけど、邪毒獣の脅威を知っている彼女としては私の判断が正しいことを知っているだろう。その代わり、二人とも私についてくることにした。


 邪毒獣に近づいてみると、死んでいく状況だったけれどまだ生きていた。


 まず命をしっかり……。


【……意地悪なことだな。こうなってようやく呪縛から解放されるとは】


 その言葉に私は思わず剣を止めた。


 邪毒獣の声に力がなかった。でもそれ以上に、何か気配そのものが変わった。以前はうるさくて乱雑な感じだったとしたら、今は平穏で静かになった感じというか。話し方も変わった。


 邪毒獣が私を見た。いや、もしかしたら私の中にあるイシリンを。


【そちらに……いらっしゃいますか】


 その時、イシリンが邪毒を動かした。かすかな邪毒が邪毒獣につながった。私は彼女が何をしようとしているのか気づいた。


【貴方は……アグロキフなの?】


【よく……ご存じでしたね。こんなにねじれた姿を】


【どうしたの? どうして貴方がそんな姿になってこの世界に来たの? きっとあいつと私の契約は……】


【貴方様が我々のもとを去る代わりに、我々には危害を加えない。そういう契約だったのでしょう】


 ……そういうことだったわね。


 詳しくはわからないけど、おそらくイシリンの故郷に何か脅威があった。そしてイシリンは自分の民を守るために民の傍を離れ、邪毒神となった。大体そんな流れだろう。


 けれど……今の状況を見れば、その契約がまともに履行されなかったということね。


 邪毒獣の肉体を早く消滅させなきゃならないけど、二人のやり取りを遮りたくはなかった。


【あやつは最初から約束を守らないつもりだったはずです。ですが、堂々と我々に何かをしたりはしませんでした。代わりに我々を誘導しました。主様は我々を捨てたのだ、我々は裏切られたのだ……そういう考えを抱くように】


【あり得ないわよ。確かにみんなには……】


【承知しております。単純な言葉では我々の信頼を崩すことはできません。ですが……おそらく洗脳なども並行していたのでしょう。結果として我々の一部は真実が何であれ、まず主様にもう一度会おうと決意しました。そして千辛万苦の末、世界の境界を越えました】


【神でない者がそんなことをすれば本来の姿と精神を維持することが……いや、まさか貴方がそんな姿になったのが……!】


【そうです。我々は世界の外で崩れていました。あやつは自らを失いつつある我々に近づき、魔法で体と精神を束縛しました。そうして我々はあやつの思い通りに動く手下になりました】


 イシリンは無口だった。でも激しく動揺する彼女の魔力が今彼女の心情を赤裸々に表わした。


 イシリンと魔力がつながっていた邪毒獣が小さく笑った。


【それでもよかったです。結局貴方様に会ったからです】


【死んじゃったらそんなのは何の意味もないわよ】


【我々にとっては貴方様を失うことこそ死のようなものでした】


 その声には深い悔恨が漂っていた。すでに命が消えつつある今よりも、主を失って彷徨った年月の方が苦痛だったと言うように。


【主様。過去の力をほとんど無くしたようですね】


【ええ。残念ながら今の私はあいつに復讐できない】


【だからワシの魂をお収めください】


 イシリンは言葉に詰まった。邪毒獣が言った言葉の意味を知っているからだろう。


 邪毒獣が早口で話を続けた。


【ワシの魂一つでは貴方様の偉大な姿をお返しすることはできません。ですが少しの足しなら差し上げることができます】


【そんなことはできないの! 貴方たちはみんな私の大切な……】


【どうせワシはもうすぐ死にます。他の世界にこれほど迷惑をかけ、苦しい思いで生き延びたい気持ちもありません。どうせ死んでいく命、最後に主様に貢献できるのなら最高の死です】


 イシリンが葛藤している様子が感じられた。でもその葛藤は長くなかった。邪毒獣に残り時間があまりないということはイシリンもよく知っているはずだから。


[イシリン]


【……頼むわよ】


 頷いて、今度こそ剣を振り回した。すでにほとんど死体と変わらない邪毒獣の息の根を完全に止めるためだ。


【ありがとな】


 その言葉は私に向けられたものだったのかしら。


 最後の瞬間、邪毒獣の顔は穏やかに見えた。


―――――


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