ネスティ

「こちらです。リディアについてきてください」


 応接の間を出た私はそのままリディアの案内に従って廊下を歩いた。


 うむ、やっぱり廊下の方が素朴で気に入る。もちろん応接の間も最庭限に揃えただけで、あまり派手ではなかった。でも廊下の装飾の方がアルケンノヴァらしくていいわよ。


「テリアさんはこの邸宅の飾り付けが気に入ったようですね」


「え? あ、まぁ……ちょっと興味はありますわ。オステノヴァ公爵家とは違って、狩りや戦いと縁が深いというのが感じられますからね。母上にもたくさん聞いたし。アルケンノヴァの歴史や今まで培ってきた技術などについてもっと聞きたいですの」


「ふふっ。いつもテリアさんは好奇心旺盛なオステノヴァみたいじゃないと思っていましたけど、こう見るとやっぱりオステノヴァですね」


「そういうリディアさんは全然アルケンノヴァみたくなかったんですけどね。そろそろアルケンノヴァらしく戦う姿も見られますよね?」


「あはは……それはよく分かりません」


 リディアは苦笑いしながらそう言ったけど、私はその反応自体が嬉しかった。以前だったら憂鬱な顔で全然違うと言ったはずだから。


「テリアさんの母上様はどんな御方ですの? 父上のお妹さんという話は聞きましたけど、リディアが生まれる前にお嫁に行ったのでリディアはよく知らないんですの。たまにいらっしゃった時も話をする機会がなくて……」


「優雅で素敵な御方ですわ。少し断固とした部分もありますし。父上が過保護がひどくて、母上が手綱を握る方です。そして……父上が邸宅を長く空けることが多いので、父上の分まで一緒にいようと努力をたくさんしていますの」


 まぁ、ゲームではいろいろな事件のせいで仕事が多くなって母上も仕方なく邸宅を長く空けたけどね。


 ……もし母上が今のように私たちを見守ってくれたなら、私がそんなに堕落することもなかったのかしら。


「羨ましいですわね。リディアの方は父上も母上も本邸にあまり帰ってこないんですの。王都にある別荘に行けばよく会えますけれど」


 いざリディアは本邸を出て別荘に行くことがあまりなかった。そのため、さらにディオスが彼女を思う存分苦しめることができ、使用人を掌握してそれを隠蔽することもできた。


 それでも執事さんのような人たちがリディアを支えてくれなかったら、もしかしたらよくない選択をしたかもしれないわね。


「ここです」


 リディアはある部屋のドアを開けた。私は彼女の後を追って部屋に入った。


 小さくて素朴な寝室だった。装飾もあまりなく、ベッドもちょうど一人用だったけれど、綺麗で端正なところが誠をつくして管理されているのが見えた。


 ただ……私が前世の人生のほとんどを送った病室を思い出して少し不便だね。いや、私の気持ちはどうでもいいよ。


 ネスティを探すために苦労する必要はなかった。部屋の唯一のベッドに横たわっていたから。


 栗色の短髪の女の子だった。服はメイド服ではなく普通の普段着だった。多分病気でメイドの仕事ができないからだろう。


 最も目立つことは、体のあちこちを染めた真っ黒な邪毒だった。短袖の下に伸びた腕やちらっと見える首はもちろん、一部は顔まで邪毒が上がっていた。息遣いも荒くて不規則的で、顔も痛みを我慢する気配が赤裸々に現れた。


 リディアが「ネスティ」と名前を呼ぶと、彼女のまぶたがかろうじて開き、リディアを見た。


「リディア……お嬢様、あの方は……?」


「テリアさんだよ。貴方を治療してあげる」


 その瞬間、ネスティは目を見開いて飛びかかるように急激に起き上がろうとした。実際は少し浮いただけで、すぐにまた倒れて咳まで激しく出たけれど。


「だ……めですよ……!」


「ネスティ?」


「リディアお嬢様は……だまされやすいから……!」


 このような状況なのに、少し笑いが漏れてしまった。


「ふふ、ネスティはリディアさんのことを心配してくれるんですわね。でもリディアさん、こんなことを言われるくらいなら、人を信用しない方がいいと思いますわよ」


「えっ? あ、あの……」


 まぁ、実際は人を拒否ばかりしてからずいぶん経ったと思うけど……関係自体を拒否しただけで、適切な判断で信頼するかどうかを決めてきたわけではないから。


 それでもリディアはすぐに落ち着きを取り戻し、ネスティの手を握った。


「大丈夫。テリアさんは信じられる人なの。むしろリディアがあまりにも多くのものをもらうだけで申し訳ないくらいだから」


「でも……」


「大丈夫。リディアを信じて」


「リディアお嬢様だから……信じられないんですよ……」


 ぶふっ!


 ……しまった、思わず噴き出してしまった。


 一方、リディアは顔が耳まで赤くなってしまった。まさかネスティにそんなこと言われるとは思わなかっただろう。まぁ、リディアへの信頼がないからではなく、純真すぎるから心配したのだろう。


「さあ、そろそろ始めましょう」


 このままずっと時間を無駄にするのもいかないので、すぐに始めることにした。


 私が前に出ると、リディアはそっと横に退いた。ネスティはまだ私を警戒している様子だったけど、一人ではできることがないためか、すぐ諦めたようにため息をついた。それでも眼差しまで衰えてはいない。


「テリア様……でしたか。リディアお嬢様を……悲しませば……一生呪いますよ」


「ふふ、えらい気持ちですわね。どうかその気持ちを一生忘れないように祈りますの」


 返事を待たずに右手を伸ばした。手のひらから『浄潔世界』の浄化の光が噴き出し、ネスティの体のあちこちを侵食した邪毒を素早く消していった。


 考えてみれば、無属性魔力に邪毒を重ねて変質させた紫光技ではなく、『浄潔世界』を純粋な治療目的で人に使うのはこれが初めてだ。私の能力だけど、戦いや鍛錬に使われることはなかったから。まぁ、本格的に邪毒を利用する敵に出会えば戦いでも使われるけど。


 正直、この用途で使うのは初めてなので少し心配になった。でもゲームでも同じ用途で活用されたから問題はないだろう。そうだと信じたい。


 そのような考えをしている間、表に出ていた邪毒がすべてなくなった。その姿にリディアの顔がぱっと明るくなった。しかし、そのままネスティに飛びつきそうな勢いなので左手で制止した。


「まだ体内の邪毒が残っていますわ。終わるまで待ってくださいね」


 体内の邪毒は外部よりも深刻だった。ほとんど全身が邪毒に染まっていたけれど正直、これでも生きていられる理由を研究してみたいほどだった。その上、邪毒が内臓に付着して変質し、浄化自体が難しくなっていた。


 浄化能力とはいえ、純粋な邪毒にのみ通じる下位能力は全然通じない。正直、普通の上位能力でもこの程度の邪毒は完全に浄化できないほどだ。私が言い繕った最上位能力ぐらいはあってこそ、やっと完全浄化が可能かどうかというレベルだろう。


 もちろんカテゴリーが邪毒であれば変質であれ何であれ、全て無視する『浄潔世界』の前では意味がないけどね。


「うぅ……」


 邪毒がほとんど浄化された頃、私はネスティの体内から邪毒の一部を取り出した。そしてそれを慎重に封印し、私の顔の横に浮かべておいた。偶然だろうけど、その時ネスティはかすかなうめき声を上げた。


 邪毒はなくなっても、すでに壊れた体の状態やそのため発症した合併症までは『浄潔世界』でも治療できない。そもそもこれは邪毒そのものを浄化するだけで、邪毒の影響で発生した被害までは返してくれないから。浄化した魔力をこっそりネスティに与えたけど、これぐらいは体力を少し回復させる程度に過ぎない。


 もちろん私には『浄潔世界』だけじゃないけど。


 ――紫光技特性模写『治癒』・『万病全快』二重複合


 壊れた状態と病気を治療する能力を模写してネスティを治療した。


「えっ!? こ、これって……」


「紫光技で治癒系の特性を模写しましたわ。私の浄化能力だけでは邪毒を浄化するだけで、邪毒のせいで壊れた体はそのままですからね。それでも私にできることはせいぜい応急手当だけですの。必ずきちんとした治療士を呼んで管理を受けなければなりません」


 正直、私としては完治させてくれないのが申し訳なかった。


 ところがリディアはそう思わなかったのか、涙いっぱいのまま私の胸に飛び込んだ。びっくりして危うく振り払うところだった。


 胸の中で嗚咽するリディアを優しく撫でていると、目に見えて血色が良くなったネスティがゆっくりと体を起こした。彼女は黒が完全に消えた手を見て呆然としたようだった。


 リディアを優しく離してネスティの姿を見せると、リディアは泣き出しながらネスティに飛びついた。


「きゃあ!」


「ネスティ! よかった! よかった……!」


「い、痛いです! 痛いですよお嬢様!」


「あっ! ご、ごめん!」


 思わず苦笑いが出た。


「完治したわけではありませんので、そんなのはまだダメですわよ。リディアさんの力でそんなに力いっぱい抱いたら腰が折れるんですよ?」


「あうぅ……ごめんなさい……」


「まぁ、嬉しかったのだから仕方ないですわね。ネスティも許してください」


「いいえ、その……許すこともないというか……ですね」


「ふふ、ありがとう」


 ネスティはしばらくボーっとしていたけれど、すぐハッと気を引き締めた。そしてベッドの上で姿勢を直し、ひざまずいてうつ伏せになった。


「ありがとうございます! 私を治療してくれる御方が来るとは思いませんでした! 私を……そしてリディアお嬢様を救ってくださってありがとうございます! この恩は一生かけて返します!」


「い、いいえ。そんなに大げさなことではないというか……」


「いいえ! 大げさなことです!!」


 こいつ、こんな子だったの?


 少し心から戸惑った。ゲームではこんな姿を見せたことがなかったから。見せなかった、というか……実は本編の時点ではもう故人だったから。


 ゲームストーリー上、ネスティは私が十三の時に死んだ。今で言えば来年死亡する予定だったというか。今年の決闘でディオスに踏みにじられ、来年ネスティが死んだことでリディアはさらに暗くなり、その心の傷を私が利用しながらさらに生き地獄に落ちていく……というのが大まかな内容だった。


 ……よかった。今度は死なないから。


 安堵する私にネスティが目を輝かせて話しかけた。


―――――


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