あの頃の俺達は

猫雲 みくも

この先の私達は

 無造作に積まれた本と棚に綺麗に並べられた本。どちらの本を取って読むと聞かれたら、俺は前者を選ぶ。なぜなら、棚にしまう暇があるなら読んでいたいと思うほど、興味深い本だから。

 今日もまた高く積まれた本を手に取り、小さなソファに腰を預けて本を開く。 窓から零れる光が部屋を照らす。本と椅子とベットしかない、質素な部屋。紙をめくる音以外、何も聞こえない。が、その静寂はしばらくして破られた。

「レオ」

 後ろから、聞きなれた低音が聞こえる。無意識に口角があがる。

「レイ。君も面白いと思わないかい?」

「何が」

「これだよ。これ」

 後ろを向かずに本を閉じ、背にいるであろう人物に見せる。その行動と同時に、本を照らしていた光が俺の服を照らす。黒いスーツが、光を吸収してさらに黒く見えた。ブラックホールのようだ。

「また読んでたのか? 緋色の研究」

「面白いものは何度読んでも面白い」

「はいはい。ほら、今日は天気がいい。散歩に行こう」

 ほら、またそうやって俺の話をはぶらかす。今の御時世、外に出ることが死へ近づくもの、第一歩なのだということを、こいつは知らないのだろうか。

「天気がいい日は外に出なくてはいけないなんて誰が決めたんだ。俺は曇りが好きなんだ」

「こうでもしないとお前は一生外に出ないだろ。本を読むのはいいが、部屋に引き籠るのは体に悪い。それにお前はただでさえ体がダメになっているんだから、せめて日光は浴びてこい」

 認めたくはないが、ご最もな意見。どちらにせよ、俺に拒否権がないことは分かりきっている。折れるしかない。

「はぁ、分かったよ」

 本を近くに積まれた本達の1番上に置き、ソファから体を離す。

「やっとこっち向いた。」

 目の前の男は、俺の顔を見るとため息混じりに笑った後、我に返ったようにいつもの仏頂面に戻った。

「なんだい? そんなに俺の顔が見たかったのかい?」

「ご想像におまかせするよ。」

 ベットの上でだらしなく寝ている薄茶のトレンチコートに身を包み、革靴の靴紐を結び直す。ネクタイが緩んでいるが、締めることは無い。単純に、締めると息苦しいからだ。

 金を模倣した色をしたドアノブを回してドアを開ける。彼が言った通り、憎い程に天気がいい。ラピスラズリの空。真珠の雲。赤レンガが敷き詰められた地面。石と木で出来た家。光がない街灯。全部、俺の嫌いな景色だ。

「今日はどこに行きたい? レオ」

ひと足お先に外に出ていたレイがくるりとこちらを向いて俺に聞く。

「こんな街に、面白い場所なんかあるのかい?」

「あるよ。……昔だったらな」

 突風がレンガ道を走り抜け、彼のつけている空を映したペンダントが揺れた。2人して空を見上げると、2、3本だろうか、白い雲が線を引いていた。真珠の雲じゃない。薄汚れた雲だ。

「まだ終わってないのか。てっきり俺が寝ている間に解決してるのかと思った」

「お前が寝てる間に解決できてたら、元よりこんなことにはなっていない」

 軍服。戦車。銃。戦闘機。これら全てが、人間が作り出した俗物。あまりの愚かさに吐き気がする。馬鹿にしているが、こう言う俺も人間の端くれだ。もしかしたら、俺もあの空に線を描いていたかもしれない。どこかで道を踏み外していたら、右の道ではなく、左の道を選んでいたら……そう思うと、心底引きこもりで良かったと錯覚する。

「レイ」

「ん?」

「水の音が聞きたい」

「じゃあ川にでも行くか」

 ここから目的の場所まではそう遠くなく、雑談混じりに歩いているとすぐに粼の音が聴こえた。

 川の上にかけられた橋を渡り、真ん中あたりで欄干に腰を下ろす。 外が嫌いな俺でも自然の風景は好きだ。無心になれる。

「静かになったな。この街も」

 部屋から出た時に吹いた風とは打って変わり、今度は優しく俺達の髪と服を靡かせる。

「あぁ」

 レイはすぐ横で欄干に手をかけ、水が流れる様子を見ていた。

「終わっても静かなままでいいんだけどなぁ」

 ぼそりと呟く。独り言のつもりで言ったが、隣にいる人物には聞こえたようだ。

「お前人嫌いだしな」

「変人扱いされるのはごめんなんだよ」

「お前が変人なのは事実だ。仕方ない」

「君なぁ……」

 なにか一言言ってやろうとふいと横を見るとレイと目があった。数秒間沈黙が続いた後、双方の口から笑みが零れた。

「なぁもう帰らないかい?本の続きが読みたい」

 暫く笑いあった後、俺はそう聞いた。断られるかと思ったが、レイは再びふっと笑った。

「いいよ。帰るか」

 以外にもすんなりと了承された。

「君も読むかい?」

「いや、遠慮しとくよ。推理小説は苦手なんだ」

「それは残念。面白いのに」

 そんな誰が得するかも分からない会話をただ続けて帰路を辿った。辿っていたかった。

 また、突風が走った。だがさっきと違う。さっきよりも速い。上空で円を描く羽根ペンをじっと目を凝らして見る。途端に、レイが叫んだ。

「しまった、空襲だ。走るぞ!」

 レイが言った通り、飛行機からは、季節外れの雨が降り注いだ。戦うすべのない民衆は、悲鳴をあげ、逃げ惑うことしか出来ない。だから俺達も、突風のようにただ走り続けた。

「」

 俺を追うように走っていたレイが、何か喋った。轟音でなんと言ったのか分からない。が、レイが発した低音は、脳内で直ぐに翻訳できた。

「レオ、じゃあな」

 後ろから肩を掴まれ、俺は車も何も走っていない道路に突き飛ばされた「何やってるんだ!」と叫びたかったが、すぐに彼がこの行動をとった訳が分かってしまった。

 俺達の近くに、雫が落ちた。

 何分、いや、何時間気を失ったのだろうか。実際には数秒も経っていないだろうが、はっと目を開けると、辺りは海になっていた。耳の奥でモスキートーンが脳を叩く。周りを見渡すと、海底に、見慣れた人物が。

よろけながらも近づき、首筋に指を当てる。何も感じない。体を揺さぶっても、叩いても、それは物に成り果てたままだった。

 また、雫が落ちた。


 しばらくして、私の目は覚めた。睡眠不足解消に何かいいものはないだろうかと見つけた、「前世を見る方法」という動画を聞き流していたら、いつの間にか寝ていて、そしてあの夢を見た。当初の予定は達成したが、奇妙だったもんで、あまりいい目覚めではない。

 レオ。あの夢は、彼の目線で動いていた。恐らく彼は、私だ。

 驚いた。まさかほんとに前世を見れるとは。まぁ、前世なのか、レム睡眠の夢なのか、単なる私の妄想なのか、分からないが。

 灰色のベットから体を起こし、すぐ横のデスクに置いてある万年筆と正方形の付箋を手に取って左手を動かす。


「レオ:西洋の男性。病気を患っていたらしい、結核か心臓病か。ノーテンキで周りからは変人扱いされていたようだ。服装は茶色の革靴に着崩した黒のスーツ。トレンチコートも着ていただろうか」

「レイ:同じく西洋の男性。真面目で世話好き、人柄も良い印象だった。服装は」


 ……服装。そういえばさっきからレイという人物の顔が思い出せない。頭の中の彼には目の部分に黒いモヤがかかってるような、いや、全体的にモヤがかかっていて、よく思い出せないのだ。ただ、青いペンダントを大事そうに首から下げていたことだけは、明確に覚えている。家族からかガールフレンドからのプレゼントだと思っていよう。

 彼は誰なのだろうか。レオが私なのだとしたら、彼は私がよく知る人物なのだろうか。それとも、これから知る人物なのだろうか。あの頃の俺達は、この先の私達になるのだろうか。

 無造作に積まれた本と棚に綺麗に並べられた本。

 どちらの本を取って読むと聞かれたら、私は後者を選ぶ。なぜなら、大事にしまっておきたいほど、中身が面白いから。もし、私が彼と出会っていたのなら、意気投合はしなかっただろう。だが、面白い話は聞けそうだ。

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