#22 魔女様は抜かりなく。
『……いいですか? 魔法は使っていないという体でいきます。カエデはその間、誤魔化していてください』
そう口にすると共に、颯爽と取り出された杖。
正直、三浦の気を引くと言うのは、かなりの難題に思えたが、ソフィーの魔法を使う速さが相当に早いのは知っている。
大して時間がかからないのなら、特に問題はないのかもしれない——と。
「カエデ……これ——どうすれば……?」
そう思えたのは、ほんの束の間だった。
再生機器を前にフリーズするソフィー。
彼女が陥った状況は一目瞭然だった。
「……もしかして、魔法が効かないのか?」
そう小声で聞いてみると、彼女は少々涙目になりながらも、うんうんと何度も頷く。
どうやら、科学と魔法は相当に相性が悪かったらしい。
それに、三浦の気を引く——とは言っておきながらも、流石にこうも近くで話していたらだいぶ不審だ。
「……どうしたの? ソフィー、ちゃん」
背後からかかった声。
いくつかクエスチョンマークを浮かべているところは容易に想像がついた。
魔法も効かず、不審に思われ。こうなってしまえば、今、この場で修理する手立てはないだろう。
万事休すか——と、思われた時だった。
「僅かな時間で構いません。あのヒトを外に連れ出してください」
「何か、方法があるのか……?」
「……ええ。多少大掛かりですが、未知を置き去りにはできません」
凛とした声。
普段より鋭い目つき。
ソフィーが本気なのは、その様子から見てとれた。
であれば——俺も精一杯の協力はすべきだろう。
「……三浦さん、トイレの場所ってどこだっけ?」
「トイレの場所……? あたし、旧校舎初めてだし……青木君の方が詳しいんじゃ……」
「いや、ド忘れしちゃって。探すの、手伝ってくれないか?」
「そういうことなら……別にいい、けど……」
少々訝しむような表情こそ浮かべてはいたものの、案外あっさりと三浦はついてきてくれた。
ソフィーをテレビの前に残したまま、連れ立って外に出る。
ギシギシと音を立てながらも、立て付けの悪いドアを閉めた瞬間だった。
突如として——視界が、眩い光に覆われた。
その出所が、一瞬どこだかわからなくて。
けれど、こんな状況——原因は一つしか考えられなかった。
今しがた閉めたばかりのドアを開ける。
あれだけの光だ。よっぽどのことが起きたのでは——と思ってはいたものの、部室の中は何も変わっていなかった。
ただ、ジ……ジ……と。
読み込みが済んだらしいカセットテープの音が漏れ聞こえて、テレビは映像を映し出した。
『さあ——我らが婚礼も——に迫った』
途切れ途切れになりながらも、再生された音声が部屋中に響く。
「はぁ……はぁ……」
そんな中で、頬を紅潮させ、肩で息をしながら。
「カエデ、せい、こう……ですか……?」
多少浮かされたような瞳で、ソフィーは俺の方を向いた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
……肝心の自分が眠りこけてどうするんだか。
結局、部屋に戻った直後、疲れたように俺の膝に倒れ込んで眠りこけたソフィーの寝顔を眺めながら、そんなことを考える。
一体、どれだけ大掛かりなことをしたのだろう——なんて。考えたところで、俺にはわからないか。
三浦は最初の方こそソフィーを気にしていたけれど、疲れて寝てしまっただけらしいことを理解すると、次第に画面に視線を向け始めた。
そして、俺も特にすることがなく。ソフィーと画面とで交互に視線を動かしながら。
特に会話は起きることなく、部屋はテレビから発される音に包まれていた。
とはいえ、さほど大きな音でもない。部室は案外、静まり返っていた。
そんな時間の中、すぅすぅ、と。ソフィーの立てる穏やかな寝息は近くで聞こえる。
それに影響されたせい、だろうか。なんだか瞼が重い。
カクン、と一度。力が抜けた。
視界が、次第にぼやけていく。
音も段々と遠ざかっていって——まさに意識を手放す直前だった。
——“構いません。私は、このままで”
確かに聞き覚えのある声が反響した。
けれど、それはどこか冷たい声音で。
強く、強く思い出そうとすればするほど、抜け落ちていく。
先程まで確かに反響していたはずなのに、最早、その残滓すらも掴めなくて。
それでも、必死に記憶を手繰り寄せようとした時だった。
「——それ、直ったのか!?」
どこか夢現だった意識を一瞬で引き戻す声。
思わず身震いを一つ。瞼を開けて振り向いた時、そこには先程まで補習を受けていたはずなのに——なぜか、顔色の良さとテンションだけは一丁前な梨久がいた。
先程まで、何かをしようとしていたこと。
それだけは、まだ覚えていて。
だとしても、それが何かということまではわからない。
そして、そんな感覚が過ったのも僅かな時間だった。
なぜここに三浦が来たのか——とか、そもそも補習があったなら呼びつけるな——とか。
大半が恨み節で塗り固められた感情がくっきりと芽を出す。
だが、果たして。
彼は、そんな風に恨み節をたっぷり吐かれることまで予想していたのだろうか。
ニヤリ、と貼り付けたような笑みを浮かべると、梨久は手に下げていたレジ袋を机に置き、その中身を取り出した。
若干小さいカップ、上蓋に記された洒落た文字。それが四つ。
扇風機しかない教室だ。普通のものでも十分に救世主たりえるというのに。
「俺の奢りだ。心して食ってくれ」
よりにもよって、高級な方のカップアイスを彼は買ってきていたようだった。
◇ ◇ ◇
相談の結果、俺の手元に渡ったバニラと抹茶——もとい、グリーンティー。
未だにソフィーは、俺の膝の上で寝息を上げていた。
もうそろそろで一時間ぐらいだろうか。梨久に茶化された——のは、置いておいて。
少しばかり、心配にもなってくる。
出来心半分、心配半分で、手に持ったカップを、ソフィーの額に当てた時だった。
「ん……んぅ……」
パチリ、と。
青い瞳が開かれた。
しばらく焦点が合わないまま、それは辺りを見回して。
最後に、目の前のカップで止まると、一転して輝いた。
「カエデ……っ、アイス……ですかっ!?」
やはりソフィーは、こういったものには目がないようだった。
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