#21 魔女様は不服につき。
「……カエデ?」
向けられた、底冷えするような視線。
ほとんど動作なしに、さっとソフィーが杖を取り出したのを、俺は見逃さなかった。
端で未だ呆けたように突っ立っている来訪者——三浦の対応ももちろんしなければならないだろう。
けれど、今、地雷を踏んでいるというのなら足を離すわけにはいかない。よっぽどこっちの方が先決だ。
何か、彼女を説得するための言葉を捻り出そうとして。それでも、そうそう都合よく捻り出せるものでもなかった。
こちらが唸っている間にも、一歩、一歩。彼女の方へ、ソフィーは進んでいく。
「待て、ソフィ——っ」
反射的にその腕を掴み、彼女を引き止めようとして。
それでも、その手は届くことなく。かと言って、ソフィーが杖を振りかざすこともなく。
結果から言ってしまえば、真っ先に動いたのは三浦の方だった。
「お名前、教えてっ」
——主に、ソフィーを抱き締めるという形で。
◇ ◇ ◇
「……不服です」
少々の気怠さを孕んだ声音がソフィーから漏れる。
その対象は、髪を行ったり来たりしている手——要するに、自分を撫でている三浦の方へ向かっているようだった。
「……ふわふわぁ」
そんな彼女とは対照的に、三浦は至福の一時と言わんばかりに目を細めて、ソフィーの癖っ毛を撫で続けている。
最初の頃こそほつれていて、それこそごわごわとした触り心地だった髪も、毎日のブラッシングの甲斐あってか確かに触り心地はよくなっていたのだろう。そういった点ではある種の誇りを持ちたい気持ちもあった——けれど。
それよりも、この状況がよく理解できなかった。
確かに、先ほどまでの凍てついた空気よりはずっとマシだ。ソフィーも先ほどよりは少しだけ態度が軟化しているし。
だとしても、だ。ずっと放置しているわけにもいかないだろう。
「……三浦さん。一回、彼女——ソフィーを離してやってくれないか?」
「っ、つい……ごめん、なさい」
ぺたん、と。少し呆けたような表情で、やっとのことで解放されたソフィーは部室の床に座り込む。
そして、元凶たる三浦はというと——。
「触り心地、最高——だった、のに……」
かなり、ご傷心の様だった。
「……なぜ、私なんでしょう?」
ソフィーもソフィーで何か思うところはあったのだろう。
というか、急に抱きつかれでもすればそうなるのは当然といえば当然にも思えるが。
普段より少しだけ高いトーン、他所行きの口調で彼女はそう尋ねた。
「あたし、小さい子が好きで」
ぽしょりと彼女が一言漏らす。
小さかったけれど、確かに俺はその言葉を聞き逃さなかった。
というよりも、聞き流す方がよっぽど困難だ。
「三浦、さん……?」
「ち、違うのっ! あたし、末っ子だからっ、だから……っ」
説明になっていない言葉と切れた語尾。
真っ赤になった顔と、焦点の合わない視線。どうやら、三浦さん自身もかなり困惑しているようだった。
「……ソフィー、何かしたか?」
「……いえ、何も」
俺も含めて、この部屋にいる誰しもが混乱している。
全く状況に収拾がつきそうになかった。
かといって、梨久も今は出払っている。この気まずい空間をなんとかできるのは俺しかいない。
互いに妙な距離感で向かい合っている二人を尻目に、何か、話題を逸らすことのできるものを見つけようとして——。
「……あ」
ふと俺は、三浦が床に置きっぱなしにしていたトートバッグとそこからチラリと覗いている中身に気がついた。
「三浦さん、これ——この間、見たいって言ってたやつ、だよな?」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
カシャン、と。
小さく音を立てて、カセットテープが大ぶりな再生機器に吸い込まれていく。
以前、三浦が口にしていた映画同好会の設備が使いたいという話。
どういった話を梨久としたのかはわからないけれど、ここに持ってきている辺り許可が出ていたのだろう。
「……結構、慣れてるんだな」
「うん、昔は家にもあったから」
正直、俺もよく操作方法がわからない代物、それこそ、梨久ぐらいしか使い方を知らないものだ。
それでも、慣れた手つきで彼女は順々にボタンを押していく。
「……んぅ……?」
DVDの時よりもかなり大掛かりなその作業に、思わず興味が移ってしまったのだろう。
気づけば、ソフィーも興味深げに彼女の指先を見つめていた。
「これで——よし、だったはず」
三浦が、最後の一手と言わんばかりに一拍おいてボタンを押す。
カシャン、ともう一度、内部でカセットが動いたのを聞き取れた。
彼女が画面に視線を向けるのに釣られるまま、俺たちも視線を上げる。
画面に幾度かノイズが走り——狭い部屋に駆動音が響いて——。
「……あれ?」
画面には何も映らなかった。
呆けたような声を漏らす三浦。
どうやら、彼女にとっても想定外だったらしい。
とすれば、操作は正しくて——恐らく、問題があったのは機械の方だったのだろう。
思い返してみれば、最近これを使った覚えなんてほとんどなかった。メンテナンス不足、使っていない間に不調を起こしてしまったのかもしれない。
「……そんなぁ……」
心の底から残念がったような声が漏れる。
図書館で出会った時の彼女の口ぶりからするに、相当に楽しみにしていたらしいことは察しがついた。
「何が……起きるのですか……?」
そんな中、ソフィーだけはまだ正しく状況を理解できていないようで。
未知を前にした時の、高揚したような声音だった。
「多分だけど、壊れている……みたいなんだ」
「不調ゆえに、何も起きない——ということ、ですか?」
「ああ」
一瞬、彼女の表情が曇る。
何が起きるのかって期待していたのだろう。未知を没収されたソフィーも、少しばかり落ち込んでいるようで。
再び部室に充満する気まずげな空気、今度こそ万策尽きたように思われた中だった。
「——私が、なんとかします」
俺の予想に反したことを、彼女は口にした。
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