#20 魔女様に視線は釘付け。
忙しなく首を振りながらも、扇風機は軋みを上げる。
ザ、ザ、と音を立てて。液晶は、時々ぶつ切りになった。
『よく、ご無事で……っ』
『僕一人の力じゃ、ここまでは来れなかった。だけど、君を——置いていくわけにも、いかなかったから。帰ってきたよ』
既に映画も終盤。少々音割れ気味にスピーカーから声が吐き出される。
雑音はたくさん。だけれど、直近で映画を見た時のような騒がしさは少しもなかった。
「……っ」
ソフィーは、食い入るようにして画面を見つめていた。
時折、目は見開かれたり、表情が綻んだり、時には、歯を食いしばったり。
初めて見るアニメという媒体にも関わらず、彼女はすっかり映画に没入しているようだった。
さも、一つ一つ、紡がれた音を聞き逃さないように、と。
感情がすぐ面に出る彼女にしては珍しく、ようやく再会を果たしたキャラクター二人を前にして、今もまた、彼女は息を漏らすのみだった。
静寂。
元々、梨久は映画を見る際に口うるさく説明をするような人間じゃない。
とはいえ、視聴後は余韻と称した五分間のインターバルののち、日が暮れるまで語り倒すような人種ではあるけれど。少なくとも今は静かに映画に集中している。
そして、俺も案外見入ってしまっていた。
繋がれた手と手。
二人を照らす月明かり。
決して画質も良いものではないし、音も途切れ途切れ。雑音なんてしょっちゅう混ざってくる。
でも——いや、だからこそ、だろうか。
ここで見る映画は普段見るものとは雰囲気が違いすぎるがゆえに、かえって、目を離しちゃいけない気がした。
強制されて見た時とは、また違う何かが——。
「——如月はここかっ!?」
バン! と。叩きつけられるようにして開け放たれたドアは幾分か軋む。
梨久も、ソフィーも、俺も。もれなく三人して、その馬鹿でかい音に肩がすくんだ。
一瞬閉じてしまった目は、次に開いた際、多少潤んでいた。
声音からもう、部室に入ってきたのが誰かはもう分かりきっていた。
ならばこそ、決して目だけは合わせたくなくて。視線を逸らそうとしたものの——残念ながら、その長い長い黒髪は視界に映り込んでしまった。
そして、さほど広くない部室にいる俺の存在もまた早々に、相手は認めてしまった。
「……ふむ、青木もいるのか。しばらく如月を借りていきたい——とは言っても、強制だが。問題ないな?」
ちょうど夏休みに入る前、額に走った痛みがフラッシュバックして、俺は黙ってこくこくと頷いた。
黙っていれば、そこそこのクールビューティー。だけれど、クールを通り越して純粋に性格がキツイゆえに敬遠していた担任——一ノ瀬先生の姿がそこにあったのだ。
「……いや、今日土曜日っすよ!? ほら、先生も早く帰りたいでしょ、また別の日に……」
「うるさい」
バチン、と。御託を並べる間もなく梨久の額にデコピンが炸裂した。
「——っつうっ!?」
「……放っておいても君はここにいただろう? それに、私とて予定はある。今日じゃなければダメだ」
「ってか、補講って今日なんですか——っ!?」
「予め出していた候補日を全て踏み倒したのは君の方だ。……ずっと部室に入り浸っていたのなら、そのカレンダーに書き加えておきたまえ。そうすれば、次はここまで猛烈な拒否感に襲われずに済むだろうよ」
話を聞いている限りでは、明らかにもう梨久に分はなさそうだった。
それ以上は物言わず項垂れたまま、ズルズルと引きずられていく。
「邪魔したな、青木。次からは君も一緒に予定を管理してやってくれ」
「あー、そっすね」
そんな厄介な捨てゼリフと共に、肝心の部長を連れ出したまま、彼女がドアを閉める直前だった。
「……ん、そこの君は……? また、部員が増えたのか?」
彼女の視線は、俺とは全くもって関係ない方へ向いていた。
俺も釣られてそちらに視線をやると——そこにいたのは、棚の影に身を隠している——ような、素振りを見せるソフィーだった。
けれど、頭隠して尻隠さずとはこのことか。頭こそ収まったようだったけれど、この狭い教室では、残り半分が隠しきれていなかった。
「……もう見つかってるぞ、出てこい」
「ん、んぅ——っ!」
それでも、彼女にしてみれば十分に身を隠せていたつもりだったのだろう。
そこまで説明して、ようやく彼女は棚の影から外に出てきた。
「……この部室で君を見るのは、初めてだと記憶している」
思わずいつも通り親戚の子だと言い訳をしようとした。
「——彼女は……」
しかし、友人ならまだしも相手は教師だ。流石に部外者を無断で連れ込んだとなればそれはそれで問題だろう。
魔法に頼る方法も考えたが、今は至近距離で梨久も見ている。ただでさえ一度、記憶を書き換えているのだ。
今回もうまくいくとは限らない。
なら、それ以外の方法を——というと、咄嗟には思いつかず。口籠もってしまった時だった。
「一年の子です。ちょうど、見学したいって言ってて」
「……そう、なのか……?」
思いの外大胆に、代わりに答えたのは梨久だった。
けれど、ソフィーの見た目がかなり目立つから、だろうか。明らかに訝しむような口調で一ノ瀬先生は呟いた。
「そうですよ。俺も最近になるまで彼女みたいな子がいるって知りませんでしたから」
「……単純に私が忘れていただけだ、と?」
「はい。ところで、補習はどこでやるんですか?」
「……む。そうだった、上の空き教室だ。君が——場所を忘れるわけはないだろう?」
「いい具合のロケーションは常に抑えてますから」
一瞬にして切り替わる話題。一周回って驚くぐらい清々とした流れのおかげか、サラッとソフィーの件はどこかへ行ってしまった。
去り際にサムズアップを一つ。
今回は助けられたので俺も返しつつ——梨久は立ち去っていった。
起点を利かせなきゃいけない時の彼の行動には目を見張るものがある。鮮やかに物事の流れを変えていくのは、どこか魔法にも近しい。
こういう技術だけは見習いたいものだが、と。突然の出来事に、実感が湧かなくて。どこか他人事のように思考を巡らせていた時だった。
「……っ」
ソフィーが僅かに息を呑んだのを感じた。
振り向くと、彼女はいつの間にやらまた映画鑑賞に戻っていた。
そして、彼女が視線を注いでいた先には——先ほど再会の喜びを分かち合った二人による、キス。
そこまで長くない、刹那的な時間だった。
だけれど、みるみるうちに彼女の顔は朱に染まっていく。
シーンの途切れ目、こちらを向いた視線は、どこか熱っぽかった。
「……カエデ。これがこいの到達点、ですか……?」
いつもみたいに少々大げさなものではなく、消えゆきそうな、僅かに恥じらいを孕んだ声音。
その質問に答えるのは、どこか気恥ずかしいもので。
視線を合わせることも、何か口にすることもできず、黙り込んだまま頷いた時だった。
「……たのもー」
静寂を無視して、妙な挨拶がドア越しに聞こえた。
「……うん、ちょっと違う」
しかし、自分でも妙に感じたのだろう。即座の訂正と共に、今度はノック。少なくとも、ここに用があるのは確からしかった。
「……どうぞ」
「……はーい。……こんにちは。呼ばれたので、来ました」
少々途切れ途切れな声と共に、暑さか、それとも緊張ゆえか紅潮した頬。
雰囲気は明らかに違ったけれど——間違えるほどではなかった。
「……三浦、さん……?」
数日前に捲し立てていったっきり、そそくさと立ち去っていった少女——三浦 菫が、そこにいた。
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