#17 魔女様と、平穏な一日を。
「シュショク、シルモノ——そして、“シュサイ”……つまるところ、これが一番大切、というわけですね?」
「……まあ、そう……だな。そこまでわかってるなら、話は早いんだけど……」
目の前にはさらに二尾、丸焦げになったシャケが並んでいた。
最初の二尾と合わせて四尾。備蓄していた分の三分の二、残るはもう二尾しかない。
『一度目はまだコンロの使い方に慣れていなかったからですっ! 魔法を使えば、これぐらい……』
ソフィーもソフィーでどこか意地になっていた節はあったのだろう。
颯爽と取り出したる杖を構え、彼女は何やら唱えたわけだが——。
杖先に灯った、小さいけれど確かな熱を伝えてくる炎。
それを、シャケに近づけるなりして焼こうとしているのかと思っていたわけだが……あろうことか、彼女はシャケに向かって直に炎を放ってしまったのだ。
別にフランベしてるわけでもないのに、フライパンの上で火を吹き出し続ける二尾のシャケ。
結局、火災報知器が鳴らなかったことと、それなりに早く鎮火してくれたのは救いだった。
「……やっぱり、魔法は禁止にしよう。最初のソフィーの方針は正しかった」
「むぅ……少し残念ですが、仕方ありません」
直後、再び彼女は空中に杖をしまった。
興味が生んだ敗北だ。彼女——というより、興味に駆られて止めなかった俺に非があった。
まともな舵取りは大事だ。
「……取り敢えず、次が最後、だな。心してかかろう」
「最後……だと、どうなるのですか……? もしや、食糧不足、とか……?」
「……主菜がなくなる。ちょっと——というか、結構味気なくなるぞ」
実際、普段学校に行っている時は食パンだとか、菓子パンだとかで料理すらせずに済ませているわけだが、夏休み特有の膨大な時間を費やして、ここまで半端に主食と汁物を揃えた上で主菜が無くなるのは案外キツイ。
結局は、中途半端なのが一番やりきれない気持ちになるのだ。
「……それじゃ、投入するぞ」
油を引いたフライパンにシャケを二尾。
心なしか、普段よりも表面を覆う脂のツヤが良いように思える。
それだけ俺の脳内フィルターを通した視界の中では、こいつらが重要だということなのだろう。
「ソフィー、まずは中火だ。ツマミを真ん中まで回せ」
「は、はいっ」
ソフィーの小さな手が恐々といった様子で、ツマミを操作する。
しかし、点火はせず。ギィと音をたて、ツマミだけが空回りしてしまう。
「押し込みながらじゃなきゃダメだ。一緒にやろう」
「了解しまし——って、カエデっ!?」
ソフィーの手を覆うようにしてツマミに触れ、押し込みつつ一息に真ん中まで回してしまう。
少し大きすぎるような気もしないけれど、幸い点火には成功した。
「今の力加減だ。わかったか?」
これで、ある程度感覚は掴めただろう。
説明も兼ねて、ソフィーの方を向く。
「……あ、そ——そう、ですね……あの、カエデ……」
しかし、彼女は何故だか顔を真っ赤にさせていて、少しばかり籠ったような声で返答する。
端的に形容するなら、恥ずかしがっているようだった。
一体、何に……と、思い当たる節を探そうとして——。
「……いきなりは、その——こどうが……強まります」
さほど気にしてはいなかったけれど——ついさっき、ツマミを回す時にやったことを、俺は思い出した。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「あ、油、跳ねてますっ!」
「それぐらいだったら、エプロンが防いでくれるから大丈夫だ——ほら、もうすぐ焼き上がるぞ」
両面、いい具合についてきた焦げ目。
恐々といった様子でトングを手に持ち、取っては落とし、取っては落とし——おおよそ察せていたことではあったが——ソフィーは、トングを扱うのが苦手らしかった。
「もう少し、力を込めた方がいいかも。ほら、こうやって——」
彼女の手の上からトングを扱おうとして——はたと気づく。
「いや、やっぱりソフィーが自分で……」
「……いえ、今回はいきなりじゃないので大丈夫、です。お願いしますっ、カエデ」
しかし、彼女は先ほどの出来事はお構いなし、なのかトング共々自身の手を押し付けてくる。
「わかった、やる——やるから——っ!」
意識してしまったらもうおしまいだ。
半ば思考を空っぽにするようしながら、なるべく手を大きく開き、トングだけに触れることだけを意識して。
変な汗を垂らしながらも、一尾、取り敢えずは皿に移動し終える。
そうして、一息吐けた野茂束の間。まだもう一尾残っている。
さらに、慎重に——慎重に——トングに微妙に力を込める。その時だった。
「——っ!」
いくら手の大きさにそこそこ差があるとは言えど、全く触れずにことを行うには無理があった。
一瞬触れた、柔らかい感触。手と手が触れたのを感じて——俺は、思わず力を緩めてしまった。
——べちゃり、と。
テカった脂が、妙に眩しい。
俺たちは、最後の一尾を取り落としてしまった。
崩れた切り身、目はなかったけれど。どこか恨めしげに、こちらを睨んでいるような気がした。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「カエデが食べてくださいっ! これは私のミス、ですし」
「……いや、ソフィーが食べていいよ。俺にはこれがあるから」
お粥と味噌汁。ちょこんと米の上に乗っかった梅干し。
「それは……主菜の代用になるもの、なのですか?」
「まあ、一応は」
少なくとも、味付けには十分だ。これが昼飯も兼ねていると思うと——まあ、少々質素には思えるが、仕方がない。
「私も一つ、味見してみても構いませんか?」
「……ああ、どうぞ。ただ、気をつけろよ」
俺の言葉の意味が理解できなかったのか、少し彼女は首を傾げて。
それでも、一つ口にしてすぐ、その意味を理解できたようだった。
「これ——酸っぱいです——っ!」
「……既知が増えたな」
「増えましたけど——っ!」
どこか抗議するような彼女の視線を尻目に、ほぐした梅干しと一緒にお粥を掬う。
そのまま、口を開けた時だった。
「——んぐっ!?」
先に口の中で広がったのは、溢れる脂と旨味、あとは少々の苦味、だった。
間違いなく、お粥のものではなくて。
「あーん、ですよ。さっきのお返し、です」
すぐ目の前にあったのはフォークと、してやったりとばかりにドヤ顔をするソフィー。
口の中に含まれた物体は、どうやらシャケの切り身らしくて。
——俺は、彼女に何をされたのか理解した。
「カエデ……? カエデ……? どうしたのですか——っ!?」
ソフィーのせいだよと、口にするのは簡単だったけれど、恥ずかしさのあまり、俺も口を開けなくて。
「んぅ——っ!」
彼女自身もまた、今しがた自分がした行為の大胆さに気がついたのか、顔を両手で覆い、俯いてしまった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「なんだか、今日は長かった——です」
「何もしない日なんて、そんなもんだ」
暗くなりかけた空に視線をやりながら、俺は読みかけていた漫画を閉じた。
実際、夏休みの大半というのはこういう風に消化されるものだったと思う。
朝、遅く起きて。遅めの朝食を摂って、夕飯までダラダラして。風呂を浴びてまた、夜遅くまでダラダラして。
むしろ、昨日までの三日間の方が妙に忙しかっただけだ。
「どこか、行きたい場所でもあるのか?」
「……言われてみると、出てきません」
彼女の返答に頷きながら、カレンダーに記された、今日の日付にバツ印を付けておく。
まだ残っているのは三十日以上。むしろ、残りすぎていてどう消化していくか、毎日考える方が難しい。
むしろ、少々億劫にも思えてくる。
まあ、これぐらい平穏な方が贅沢なのかもしれないが——なんて考えながらソファーに戻る手前、不意に、ポケットに入れていたスマホが震え出した。
画面目一杯に表示されていたのは、『如月 梨久』と。平穏さとは全く無縁に思える四文字だった。
『なあ楓、明日って空いてるかっ!?』
「……土曜日じゃん。どうした。何かあったのか?」
『撮影開始、来週からって言ったけど、明日、用ができたから集合な! じゃ、よろしくっ!』
何か抗議しようとする前に、勝手に通話は切れた。
おおよそ、こちらの声音に含まれた気怠さでも感じ取ったから、とかだろう。実に彼らしいやり口だ。
「あ、カエデ、そろそろ夕飯にしましょう。コツが掴めてきた気がするので、今日も私が作りますね」
ソファーのところに戻ると、既にソフィーはエプロンに着替えて、準備万端と言った様子で待ち構えていた。
「……一緒に、な」
とてとて、と。あっという間にキッチンに向かってしまったソフィーを追いかけながら、ふと、俺は考えてしまった。
明日、俺が学校に行っている間、ソフィーにはどうしていてもらおうか、と。
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