#16 魔女様の手料理は、口にするには少し苦い。
「うぇ……」
目が覚めてすぐ、喉につかえたような不快感に、思わず顔を顰める。
昨晩、ソフィーの手料理とやらを味見して悶えたのは、未だ記憶に新しいものだった。
何せ、火加減にせよ調味料の分量にせよ、何かを学ぶ姿勢に関しては丁寧な癖して、家事に関しては適当なのだ。
焦げてて苦いし、調味料の入れ過ぎでしょっぱいだの甘いだの——堪能することになったのは、あまりにも暴力的な味わい。
しかし、それを普通に食べる彼女の手前、残すことは躊躇われたため、鶏肉を丸焼きにした割には随分と黒々とした得体のしれない不吉な物体を完食したのち、色々と耐えかねて、そのまま昨日は寝てしまった。
瞼を開けてみれば、カーテンを貫き、日差しは真っ直ぐこちらにまで届く。時計を確認してみればもう10時。日は、大分高くなってしまっていた。
夏休みらしい睡眠時間だな、と体を起こし、軽く伸びをして——その時、俺は異臭が部屋中に立ち込めていることに気がついた。
ふと、布団の方へ向けてみた視線。そこにいないソフィー。
……おおよそ、察してしまった。
「——カエデっ! おはようございます。朝ごはん、もう少しで完成しますから、少しだけ待っていてください」
キッチンに向かってすぐ、出迎えてくれたのは少々ぶかぶかなエプロンに身を包んだソフィーだった。
「お、おはよう……ソフィー……」
その点だけに注視すれば、至極微笑ましい光景だ。
朝ごはんを誰かが作ってくれる、というのは時短にせよ、偏りがないという点にせよ、ありがたい話だし、着られているような形でも、意外と彼女にエプロンは似合っている。
ただ、それよりも遥かに視線を持っていく光景——背後で起きていたのは、かなり凄惨なものだった。
「ところで……それは……?」
「米飯とシャケ、今作っているのは“ミソシル“です。昨日教えてもらった調理器具の説明と、カエデの工程を参考にして、魔法は一切使わずに作ってみました」
ぐつぐつと煮えたぎり中身がこぼれかかっている鍋、水を増やしすぎたのか、べちゃべちゃに炊けてしまった米、それと相変わらず焦げた鮭。
冷静に考えてもみれば、昨日は何だかんだ意識が別の方に向いていて、それこそ調理器具の使い方だけ、だとか。最低限しか彼女に料理のやり方を教えてやれなかった気がする。
これがその産物だとすれば、半分は俺の非だ。
「……よし、ソフィー。一緒に作ろう」
引き出しから取り出したもう一着のエプロン。普段よりも気合いを込めて、紐を結び、今度こそ正装で彼女の前に立つと、俺は宣言した。
「俺が——料理を教えるよ」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……苦い、な」
味噌汁を掬って一口、アクの強さに思わず顔を顰める。
米は辛うじてちょっと食感の悪いお粥として食べられないこともないため、良いとして——問題は、鮭と味噌汁、この二点にあった。
「——そもそも、出汁ってとったか……?」
「……ええ。魚を入れればよかったのですよね? きちんと、調理前のシャケでとっておきました」
胸を張って彼女は答える。
……なるほど、道理で割と名状し難い風味だったわけだ。
「一応、我が家——っていっても、俺だけだったけど——出汁は煮干しからって決めてるんだ。ほら、これ」
まな板の上にいくつか煮干しを散らす。
それを、なんとも言えない目でソフィーは見つめていた。
「……なんだか、この目、怖くないですか?」
「……まあ、死んでる以上、それはしょうがないよ」
ぎょろりと飛び出ていて、干からびた生気のない幾つもの瞳——言われてみれば、確かにそう……なのかもしれない。
「あんまり、干物とかって見たことないのか?」
「魚に関しては、そうですね。森に住んでた以上、入手できることも稀でしたし」
「じゃあ、丁度いい機会かもな。はらわたって言って——お腹の辺り、内臓とらないと、出汁をとった後が苦くなるんだ。取り敢えずやってみるか」
まずは一度手本だけ見せたのち、ソフィーに包丁を手渡す。
意外と——というべきか、想像に違わず——というべきか、その手つきは相当に危なっかしいものだった。
「カエデ——っ! こっち、睨んでますっ!」
「睨んでない——睨んでないからっ!」
ついでに、煮干しに対する恐怖心も健在。
一匹目は頭しか残らず、二匹目は頭と尻尾のみ、胴体はほぼ残らず。三匹目にしてようやく背骨一つで繋がった時——俺は安堵のあまり、思わず息を吐いてしまった。
「カエデ……なんとか、できました……」
「……お疲れ様、ソフィー。本当に——本当に、よくやったよ」
下準備の出来上がった煮干しを鍋に投入していく。
幾度となくやってきた作業のはずなのに、今日は一匹一匹がやたらと感慨深く思えた。
いくつもの干からびた瞳を見送って。それから張っておいた水と共に火にかける。
「……それにしても、で——カエデは手際がいいです。どこで……そんなに練習したのですか?」
豆腐やら、わかめやら——若干、簡素ではあるけれど、包丁を譲ってもらい具材を切っている途中、後ろでじぃっと観察していたソフィーが、ふとそんなことを聞いてきた。
「どこで……って、聞かれてもな。別に、昔からなんとなく好きだっただけだし」
何故だか、昔から料理はできなければ——という観念に駆られていた。
単に、この工程が好きだったからというのもあったのかもしれないし、もっと他の理由があったような気もする。
「……そういえば、自分で作ったものしか安心して食べられない時期があったんだよな。……まあ、変な話だけど」
「自分で作ったものだけ——そう、なのですね……」
思い返してみれば尚更、不思議な話だ。ソフィーは、妙に考え込んでしまっていたけれど。
そんなことを頭の片隅でぼーっと考えている間に、具材のスタンバイは済んでいた。
これは出汁が取れるまで待機させておくとして——まだ一番の問題が、目の前に残っている。
——真っ黒焦げになったシャケ。
それは焦げているどころか、ほとんど炭になりかけていて。
多分、根本からして料理——とは形容し難い。何かが間違っている気がする。
「……ソフィー」
「は、はいっ。次は——なんですか?」
一気に思考が引き戻されたのか、弾かれたように返答するソフィー。
彼女に、ことの重大さを説明するため、なるべく普段より声を低くして、俺は、一言口にした。
「ここからが——正念場だ」
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