#11 魔女様は未知がお好き。

「何ですか、この暑さ……。ここの冷却装置は弱い、です……」


朝もまだ9時、夏休みの二日目なんて、去年どころか毎年のように11時くらいまでは寝ていたため、二日連続でこの時間から出歩く、というのも随分と新鮮なものだ。

図書館自体、開館時間になってまだ間もなかったせいか閑散としている本棚を巡りながら、そんなことを思う。

とはいえ、夏の日差しというのは、こんな時間からでも十分に容赦ないもの。昨日よりはまだマシな部類だが、ソフィーは相当にバテていた。


「……節電ってやつだ。クーラーも無限に使えるわけじゃないからな」

「つまり、魔法と同じく“カガク”にもリソースが必要……ということ、ですか?」

「そうそう、電気って言う、限りあるから大切にしましょう——みたいなやつ」

「なるほど、“デンキ”……節約……中々に興味深いです……」


けれど、話題を提供してすぐ、再び目を輝かせつつ彼女はブツブツと何やら唱え出す。

どうやら、電気なるリソースが彼女にとっては未知の存在だったらしい。


「“デンキ”にまつわる本って、どこにありますか?」

「……俺に聞かれても。図書館、あまり来ないし。……そもそも、ソフィーは何で今日、ここに来ようと思ったんだ?」


俺が大雑把にしか説明できなかったとしても図書館に来た以上、本に頼れば良いという考え。それ自体は別に問題ないわけだが、あまりここに来たことがない以上、彼女の質問には答え難い。

というか、思い返してもみれば、彼女の勢いに乗せられてここまできた身だ。なぜ今日ここに来たがったのかすら、聞いていなかったことをふと思い出す。


「もちろん、未知の探究のため——ですっ!」


胸を張り、ついでに腕組み。あまり様になっているとは言い難い格好ではあったけれど、堂々とした解答。


「……カエデ。何ですか、その表情」

「いや、ソフィーらしいなって」


“未知の探究“——いかにもだ。

まだ一緒に過ごして三日目ではあったけれど、予想から逸脱していないどころか、あまりにも彼女らしい姿勢に思わず苦笑いしてしまう。

確かに、彼女にしてみれば本が大量にある図書館は正にオアシスと言って差し支えない場所なのだろう。

本の背表紙を一つ一つ眺める顔の血色は、随分と良いものになっている。そんな光景を少し後ろから眺めていた時、一つ、素朴な疑問が湧いてきた。


「……そういえば、字って読めるのか?」

「最初から翻訳用の魔法を使っていますから。こう——イメージで理解できる形です」


言われてみれば確かにそうだ。彼女と意思疎通をとる上で、困ったことは特になかった。

そう考えると、魔法というのはつぐつぐ不思議なものだ。

世の中の仕組みだの摂理だの未知だの——普段から微塵も興味を抱いたことがなかったが、彼女にしてみれば、未知だらけの世界にやってきて、全てが疑問を抱くべき対象なのかもしれない。

それはそれでだいぶ疲れそうなものだけど。

彼女の未知に対する姿勢の一端を感じ取ってしまったような気がして、思わず息を吐いてしまう。


「……ん——んぅ——っ」


その時だった。

彼女は急に足を止めると、背伸びを始めた。

目指しているのはただ一点、そこそこ高い位置にあるものらしい。


「……ほら、これであってるか?」

「あ、それ……です。ありがとうございます、カエデ」


彼女が取ろうとしていたのは、相当に分厚い本だった。

「化学大全」と記されたそれは、俺でも片手で持つには中々きついほどのもの。彼女に渡すと、半ば抱き抱えるような形になってしまっていた。


「背、届かない時は言ってくれ。取るから」

「……わかりました」


そう口にしつつも、彼女はどこか引っ掛かっているかのようにしばらく視線を泳がせていた。


「どうしたんだ?」

「……いえ、その——どうしても、以前の背丈だった時のことが、まだ感覚として残っていて。時々、勘違いしてしまうのです。届くんじゃないかって」


流石に、そこまで急激に身長が変わるなんて経験はしたことがないため、彼女の言う感覚については想像がつかない。

ただ、言われてみれば時々歩幅が乱れる——だとか、そんな素振りは見せていたような気がする。


「まあ、気軽でいい。フォローできる範囲だったら手伝うから」

「……本当、ですか?」


頷いてすぐ、彼女は頬を掻いて。それから、頭を下げた。


「それでは——今後とも、お願い、します」


予想以上にかしこまった彼女の態度、返答に詰まってしまう。


「……いや、良い。そんなにかしこまらないでくれ……」


何とか一応の返答をしてすぐ、彼女は顔を上げた。

変に他所他所しいところを見せられると、こちらもこちらでやりづらい。


彼女も彼女で少々の気恥ずかしさでも感じたのか、赤く染まった頬を隠すように本を開く。


感覚が慣れないと言う割には、案外器用に棚へ本を立てかけながらも、時折頷きつつ読み進めていく。

一ページ、また一ページ。ページを捲る速度は、俺よりもずっと速い。


それをしばらく数えていて——もうすぐ三桁に達する辺りだったろうか。


次第にそれにも飽きてきて、もう何ページ目だったかわからなくなっていた。

そのくせして、まだ残っているページ数は彼女が読んできた分の数倍はある。


一瞬、借りることを提案するか考えたものの、彼女は相当に集中しているようで、それを妨げるのは憚られた。


「……俺、他の本見てくるから。終わったら声かけてくれ」


こくり、と。無言で彼女が頷いたのを確認して。

それから、俺も少しばかり背表紙を見て回る。彼女がいた棚の付近はどれも難しそうな本ばかりだった。

あまり縁が持てるとは考えづらいために、読み慣れた手軽な文庫本の方に行くため、広い通路の方に出た時だった。


——ドサッ


少し後ろの方で、大量の本が落ちた音がした。

振り向くと、大なり小なりサイズ差はあれどおよそ10冊くらいの本が、かなり派手に散乱していて、落とし主らしき女性が拾おうとしていた。


ただ、相当に慌てているらしく、一冊、一冊と拾ってはまた落として——と、その様はかなり辿々しいものだった。


「手伝いますよ」

「……あ、ありがとうございますっ」


かなり戸惑っているかのような返答を背に、手近なものから拾っていく。少しだけ興味本位で表紙の文字に目を通すと、俺でもわかるくらい有名な戯曲のものだった。

よく見てみれば、その他も映画の脚本やら、戯曲やら、それに近いものでまとまっている。


こういうものが好きなのだろうかと、どうでも良いことを考えつつ、手近なものを拾い終えて。ちょうど同じタイミングで、彼女も拾い終えたようだった。


片付いたことに安堵しながらも、手渡す瞬間はっきりとその女性の顔を前にして——。


「……青木、くん?」


俺は、彼女が見知った相手であることに気がついた。


——三浦みうらすみれ


普段と違い、その亜麻色の髪が結わえられていたせいで全然気がつかなかったものの、紛れもなく彼女は同じクラスの女子だった。

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