#8 魔女様は興味津々。

「なん、ですか? この飲み物……随分と見た目も色合いも独特、です……」


好奇心というのは、おおよそ何にでも勝るものらしい。

先ほどまでは梨久を怖がって俺の後ろに隠れていたというのに、いざカフェ前に着いてみたらカフェ前に置かれた新商品のパネルに張り付いて観察を続けるソフィーを見つめながら、ふとそんなことを考える。


手書き風のおしゃれなフォントと綺麗に韻を踏んだドリンク名——彼女がそのアルファベットに惹かれているのかはわからないが、先ほどのシャツに比べればずっとマシだ。むしろ洒落ている。

そして、ドリンク本体はというと、こちらもこちらで薄桃色のクリームに加え、散らされたチョコレート、確かに甘そうだ。


「あんまり飲んだことがないから詳しいことはよくわからないけど……甘い飲み物に甘いクリームを乗せたの、要するにすごい甘い飲み物だ」

「なるほど……甘いという要旨だけは理解できました。確かに、少々興味深くはありますが……この数字——お金、ですよね? 高価そうですけど、大丈夫ですか?」

「その辺は気にするな。全部梨久の奢りだ」


ソフィーがパネルに張り付き始めてすぐ、財布を確認し始めた梨久を確認しながらそう返す。

フラペチーノと命名されているそのドリンクは、他のメニューよりも幾分か高価なものだった。

まず一人じゃ頼むことはないだろうし、誰かと来た時だって普通に頼んだことはない。それだけに、俺も多少気になっている節はあった。


「……悪りぃ。俺、200円しか持ってねぇや」


けれど、頬を掻きながら梨久が口にした残金は、人に何かを奢ると豪語した割には遥かに満たないもので。

その申し訳なさそうな表情に相反するように、こちらを見つめるソフィーの瞳は随分と輝いていた。


「……しょうがないな」


この状況に陥った要因を考えると少々腑に落ちない気もするが、そう言ったものを振り落とすために一つ、俺は呟いた。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「——んぅっ!?」

「冷たいものは一気に飲まない方がいいって言ったろ。チマチマと飲め」

「そう、でした……完全に、失念を……それでも、やめられない……です」


机に置かれたフラペチーノと天然水の入ったペットボトル、それと目の前のアイスコーヒー。

フラペチーノは存分に冷えていたのか、隣に座るソフィーは相変わらず頭痛に呻いていた。

それでも、よっぽどの甘党なのか、珍しいものゆえかは知らないが、彼女は飲むのをやめない。

言っても言ってもループするばかりで。

対して、隣でソフィーを観察する梨久の瞳は、俺と目があった途端、少々遠慮がちに伏せられた。


「その……なんか、ごめんな? 俺から誘っといて……」

「いや、彼女は俺もちだから別に構わない。まあ……なんだ、詫びは夏休み中の部活動を一日減らす——とかそっち方面で頼む」

「そいつは無理だな」


先ほどまで遠慮がちだった割には即答だった。

ついでに会話の流れが断たれ、一瞬沈黙が生じる。


「——カエデ、全部……飲めましたっ!」


そんな沈黙を破ったのは、高々とカップを掲げて胸を張るソフィーだった。

当然、周りの視線は一点へ。今度はすぐに気づいた上でそれに耐えかねたのか、彼女は少々項垂れる。


「……それで、この子は一体……どういう……?」


その様子が非常識に映ったのか、それとも興味深いものの一環として捉えたのか、梨久は遂に核心に触れた。

どうやら、腹を括る時が来たようだった。けれど——。


「今、彼女——ダウンしてるみたいだから、まずはお前の方から自己紹介してやってくれないか?」


再び頭痛が襲ってきたのか、頭を抱えたままダウンしているソフィーは、話ができる様子ではない。

それに、彼女は魔女で俺の前世の師匠で、が知りたいらしいから同棲していて——なんて、言えるわけもなくて。少し、話すまでに時間が欲しかった。


「……ああ、そういうことなら、もちろん」


納得したように頷くと、梨久はソフィーに向き合う。


「如月梨久。映画同好会部長——要するに、楓の所属してる集団のトップ、趣味は人間観察。よろしく頼む」


胸を張ったまま披露された自己紹介。

その、有り体に言って仕舞えば、あまりにも堂々としすぎた姿勢に怯えているのか、ソフィーは更に縮こまる。


「……その肩書き、使ってるのかよ。大体、三年卒業して俺とお前しか部員いないだろ」

「減ったら次の新作で増やすだけだ。関係ねーな」


しらばっくれるように梨久は呟く。まあ、こいつにしてみればきっと、実際に今後部員が増やせると思っているのだろう。そして、あわよくば部に昇格させてやる——と。まあ、不可能ではないにしろ、恐ろしく難儀なことには違いないだろう。何せ、あと3人足りないし。人間観察と称した奇行は割と知れ渡ってるし。


「んで、そっちは?」

「……あ、ああ」


……なんて、考えている間にこちらの番が回ってきてしまった。

ソフィーには、事前にこちらの言ったことには頷いた上で、口裏を合わせるよう伝えておいたからきっと大丈夫だろう。彼女は少々行動が頓珍漢ではあっても、馬鹿ではないはずだ。


「えーっと、彼女は……外国に住んでいるいとこで、今はホームステイに来てて……俺が彼女のホストファミリーになってるんだ」


散々時間をかけて思いついた言い訳。とは言ってもありきたりだが、そこまで変なものでもない。

懸念点だったソフィーの反応も概ね良好だ。ぶんぶんと首を振って、後ろでしきりにアピールしてくれている。

これならきっと問題がないはず——と。そう思えたのも束の間だった。


「楓……お前、何か嘘吐いてないか?」


一度ならず、二度までも。

相変わらず勘が鋭い。

そして、ソフィーよりも俺の方がごまかすのは下手だったようで。

若干泳いでしまった視線や、口籠もってしまった点——恐らく、梨久はそんな仕草から読み取ったのだろうか。

だとしたら、失態だ。平然を装いつつも、何か言い訳を考えようとして。それでも、もう梨久には通用しないのでは——と考えてしまった、その瞬間だった。

僅かに一度、カクン、と梨久の体制が崩れた。


そして、次に彼が体を起こした時、


「……なわけねぇか。楓はそんな嘘つかないもんな。忘れてくれ。それで、いとこちゃんの名前は?」

「あ、その——ソフィー、です」


もうその口振りからは俺たちを疑っている様子は読み取れなかった。

あまりにも急すぎる変わりようだ。何故だろうと一瞬、考え——るまでもなかった。

僅かに震えた声の調子。

背中に何かを隠しているような仕草。


間違いなくソフィーだ。


『それに、何か不都合が生じたとしても、その場に合わせた魔法である程度はどうにかできると思いますが』


つまるところ、彼女は生じた不都合を魔法で解決してしまったらしい。

とはいえ、人を撹乱させているのだとしたら、いささか危険なものではないか——と身震いしてしまうが、梨久の様子は、先ほどまでの件を忘れている点以外は、普段と変わりない。いや、仮に記憶をいじるだけだとしても、十分に怖いことには怖いが。

しかし、一応は一難去ったことに、思わず肩の力が抜けていくのを感じる。


「ソフィーちゃん、ね。まあ、楓のヤツ、生活だけはきちんとしてるから、その辺は安心してもいいと思うぜ」


そう軽く俺を茶化すように紹介すると、梨久は再びこちらに向き直る。


そののち、軽く耳打ちするようにして一つ聞いてきた。


「にしても、いとこが……ってことは、お前……親父さんとはもう、和解したってことか……?」


きょとんとした表情で、ソフィーがこちらを見つめてくる。


視線を泳がせるほかなかった。

多少口籠もりながら、何とか言葉を発しようとして——でも、喉に詰まったまま、それは出てこなくて。


「……ごめんな。ちょっと踏み込みすぎた」


そんな俺の様子に気づいたのかすぐさま謝罪を付け足して、それから席を立った時にはもう、梨久は先程俺に聞いてきたことを誤魔化すようにいつもの調子に戻っていた。


「それじゃ——覚えてるとは思うが、クランクイン——撮影開始は来週からだ。もちろん、ちゃんと来てくれるよな?」

「……まあ、多分な」


それを聞いたのちに頷くと、梨久は立ち去る。


うるさいヤツがいなくなって、しばらくの間、またもや静けさが立ち込めて——先に口を開いたのは、ソフィーの方だった。


「魔法、使っちゃってごめんなさい。私、焦ってて……」

「……別に。今回は危なかったからな。ただ——危険なのはやめてくれ」

「もちろん、です」


そして、またもや静寂。

少々、彼女も彼女とてこうした状況下に陥ってしまったことに対する罪悪感があるのだろうか。

お互い、黙り込んでしまう。

けれど、そんな空気に耐えられなくなったのか、ソフィーは、新しい話題を切り出した。


「——カエデ、“エーガ“って……何ですか?」

「大勢で集まって見る動画——動く絵、みたいなものだ」

「ええ。リクさんはカエデも“エーガ同好会“の一員だと言っていました。であれば、カエデにも結びつきが強いもの、なのでしょう?」

「……別に。ただ、しつこく誘われたから入っただけだ」


元々、映画なんてさほど興味があったものでもない。

しつこく梨久に誘われて——ウチの学校が、何か一つ部にいなければならない類のものだったし、他に趣味もなかったから、入ったことには入ったが——適当に活動をこなしているだけだ。それこそ、行けたら行く、くらいのノリだろうか。今のところ梨久のしつこさゆえに、ほとんど出席する羽目にはなっているが。


「……で、なんだ? 興味あるのか?」


何気なしに聞いてみたつもりだった。

けれど、ソフィーは俺が思っていた以上に目を輝かせると、一気に顔を寄せてきた。


「私——“エーガ“が、見てみたいですっ!」

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