#9 魔女様は、エンドロールがお好きじゃない。

「——でも、人、たくさんいるぞ? 言ったろ、大勢で見るって」

「……そうでした。でも……でもっ」


ぎゅっと目を瞑ったまま、頭を抱えて——本当にわかりやすい葛藤の仕方だ。

確かに、人一人と会っただけで人見知りが出てしまう点や、人混みに酔っていた点を鑑みれば、到底ソフィーが映画館に適応できるとは考えにくい。

であれば、やんわりと彼女の興味を遠ざけてやった方が良さそうだ。


「別に、魔法に比べりゃ大したもんじゃない。動く絵なんて、そんなに珍しいものでもないんだろ?」

「それは、そうですけど……」

「だったらやめといた方がいい。何せ、密室状態で四方八方どこを見ても人だらけだ。結構キツイだろ? そういうの」

「そう、ですけど——っ」


しかし、中途半端にイメージしやすくしてしまったのが、彼女にとってはかえって逆効果だったらしい。

頭を抱え込み、少々唸ったのち——やがて、ある種の境地に達してしまったのだろうか。次に口を開いた時、口調こそ落ち着きは取り戻していて。


「……でも、未知を未知のまま置いておくのは、一番の悪徳です」


けれど、彼女が口にした内容とこちらを向く表情は、随分と険しいものだった。


「何か他の案を考えましょう。人が少ない場所でエーガを見る方法——とか」


どうやら、彼女の中で映画を見る、というのは揺るがないようだ。言動と表情を見ればわかる。

確実に彼女の興味の対象はブレていない。むしろ火に油、再燃している。


しかし、人が少ない場所で映画を見る方法なんて、それこそ死ぬほど人気の少ない作品しか——と考えていた時俺は、はたと思いついた。

別に、映画館で映画を見る必要性はないのだ。

そりゃ、音響にせよ映像にせよ、映画体験が劣ることに関しては違いないだろうが、雰囲気だけは掴めるはず。

思いついたものは妥協案としては十分だった。


「……一応、借りれば家でも観られるんだけど……それでどうだ?」


◇ ◇ ◇


◇ ◇



『違う……彼女は——彼女は……まだ、俺たちを——』


魔女狩りによって火炙りにされた魔女が、自分を陥れた人間一人一人に復讐していく——。

確か、この映画はそんなシナリオをしていたはずだ。

実際、目の前の画面に映る女優の表情はこれでもかというくらいに歪められていて、小さい画面ながらも恐怖心は十分に伝わってくる。そこそこ古い映画ゆえか、あまり良くない画質も相まって、一人で見ていたら普通に怖かったはずだ。


《b》「——カエデぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」《/b》


……とはいえ、ひたすらに絶叫し続けるソフィーが隣にいる以上、映画の内容なんて、ちっとも関係なくなってしまったけれど。


「……これ、選んだのソフィーだったよな……?」

「……そう、ですけど……!?」


同じ魔女ということでシンパシーでも感じたのだろうか。いくらホラー映画だからと止めても、彼女は決して譲らなかった。

結局、レンタルしてきてしまったが、その時はまだ彼女自身にホラー耐性があるからわざわざこれを選んだんだとか、勝手にそう思い込んでいた。


しかし、実際のところは違ったようだ。

最初は、液晶を初めて見た興奮からか、小さく感嘆の声を上げるくらいだったが、ホラーパートに入ってからというもの、明らかな絶叫が俺の鼓膜を絶え間なく突き刺していた。何なら、我が家の安っぽい環境で再生された悲鳴より、こっちの方がよっぽど怖い。

そういった点でもまた、映画館で映画を観なかったのは正解だったのかもしれない。


「……この辺りでやめとくか?」

「……いえ。ここでやめたら未知が未知のままです——っ」


ソフィーはそう答えるものの、僅かな感覚を置いた後、「ひえっ」とか「きゃっ」とか可愛らしいものじゃなくて、断末魔レベルの悲鳴を発し始める。

いくら我が家の壁がそこまで薄いものではないとはいえ、そろそろ近所の人間が殴り込んできてもおかしくない。


悲鳴やら、隣人との関係性やら——叩き出されないか……これ……なんて。ホラー映画鑑賞よりもよっぽど肝が冷えるような時間をおおよそ二時間ほど過ごして。

残された魔女狩りの主犯格が悲鳴を挙げると共に暗転して、俳優の文字と共に流れるエンドロール。


「——やっと……終わったのか……」


それを目にした途端、俺は思わずため息混じりに声を漏らしてしまった。

一応は最後まで観たのだ。これなら、彼女にも不服はないはず——と、軽く伸びをし、夕飯を用意するため、間違いなく鑑賞する前から重くなった体を動かし、ソファーから立ち上がる。

けれど、ソフィーはそんな俺の方を一瞬向いただけで、すぐに画面へと視線を戻した。


「……もう、本編は終わっちゃったぞ? 今流れてるのはエンドロール——映画に関係してる人たちの名前だ」


そう説明しても、彼女は軽く頷くだけでずっと画面に注視している。

もしかして、未知の言語が気になる——とかなのだろうか、と思いつつ引き続き彼女を観察してみるも、普段とは少し様子が違った。

まるで、何か別のものを望んでいるかのような、落ち着きのない仕草。そして、離れない視線。


……何が、そこまで彼女を惹きつけているのだろう。


「……何を、待ってるんだ?」


そんな疑問が浮かび、一つ、聞いてみた。


「——続き、です」


返答は、この上なく短いものだった。


「……もう、本編終わっちゃってるぞ?」

「アレで、いいんですか……?」

「アレでって……どれだよ……?」

「……だって、まだ生きてたのに……」


確かに、登場人物は皆死んだ。ぼかされてはいたが、最後に残された一人も多分同じ目にあったことだろう。

エンドとしては、そこまで違和感があるものではない。むしろ、これくらいモヤモヤする方がホラー映画としてはしっくりくる。



「……可能性なんて……まだ、あるじゃないですか」



それは、人に伝えるつもりがあって口にしたものなのか分からないくらい、小さく発されたものだった。


ほんの少しだけ、唇が戦慄いて。

けれど、その瞬間にはもう、文字は流れ切っていて。

画面の端にうっすらと浮かぶ終わりを告げる三文字。それを見つめる瞳は、見開かれていた。


完全に画面が暗転してもなお、しばらく彼女は立ち上がろうとはしなかった。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「……カエデ、眠れません」

「だから、ホラーはやめとけって……」

「でも私、“エーガ”があんなに怖いものだなんて、知らなかったんです……」


俺はソファー、彼女は布団。寝相対策だけはした状態で、真っ暗闇の中、唯一聞き取れたのは震えている声音。

恐らく、まだ怖さが残っているのだろう。彼女が布団の中で縮こまっている姿が、ありありと想像できる。


「……でも、魔女ってああいうのじゃないんだろ? それは、ソフィーが一番詳しいんじゃないか?」

「それはそう……です。大体、あそこまで執念深くないですしっ」


彼女に言われても、ちっとも説得力のない言葉ではあったが、それはそれとして、口調は少し解れていた。

この調子で話してもいれば、すぐに眠くなるだろう。そんな想像と共に、しばらく彼女の会話に付き合っていて。

すっかり、普段と変わりない口調になっていて、そろそろ眠たくなってきたのだろうか——なんて、考えていた時だった。


「ところでカエデ。あなたも……に落ちましたか?」


ばたん、と。

何一つ悟られないために、慌てて枕に顔を埋めたせいで、埃が舞い散るのを感じる。

……あまりにも急すぎる。どういう流れでその発想に至ったのか、ちっとも理解できない。


「……“エーガ”を観ていた時、私は、普段より心臓の鼓動が激しい上、体が熱っていることに気がつきました。これが“エーガ”のせいだとして、カエデも同じ現象には陥っていませんでしたか?」


……恐らく、彼女は何か勘違いをしている。というか、彼女の中でのの判定が緩すぎる。

ようやく意味が理解できて、俺は顔を枕から離した。


「……それは、吊り橋効果ってやつだ。知らないか?」

「“ツリバシコウカ”……? 聞き慣れない名前、です」

「怖い目に遭ってる時、普通、人はそうなるんだ。……別に、身体に異変が出たらに落ちているってわけじゃないからな?」


ぽすん、と。枕に顔を埋めるような音が短く響く。

それ以上、彼女は何も口にしなかった。

そんな時間がしばらく続き、俺はおおよそ理由を察した。恥ずかしいとか、そんなところだろう。

まあ、そのまま眠れそうなら問題はない。

一度寝返りを打ったのち、そのまま瞼を閉じようとした時、


「……そういえば、カエデの服を着た時に鼓動が強まったのも、“ツリバシコウカ”……でしょうか……?」


僅かにくぐもった声が聞こえた。


「……そっちは、知らない」


急激に、頬が熱くなるのを感じる。

彼女の言葉に対して、それ以上、何も返答することが出来なくて。


もう一度、俺は枕に顔を埋めた。

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