#6 魔女様は結びつけたがり。

「……すずしい、です」


首筋にじっとりと張り付く汗。

ショッピングモールに足を踏み入れて一言目、彼女が口にしたのはショッピングモールのサイズに対する驚嘆などといった類のものではなく、素直な感想だった。

スマホを取り出して天気予報を見てみれば、この先も含めてアイコンは全部真っ赤。納得の暑さだ。


「本当に……この世界の冷却装置は優秀……ですね。助かります……」

「……魔法で対策とかってできたりしないのか? 自分の周りにバリア的なのを張ったりとか」

「……ジメジメ、してて……もうダウンです。私の根が持ちません、そんなの」


着いて間もないというのに、椅子に座り込んで、ソフィーは弱々しく声を発すると、だらりと四肢を投げ出す。

まあ、確かにこの暑さは本来慣れているはずの俺でも堪えるものだ。そりゃ、こちらほど暑くないであろう世界から来た彼女からすれば、相当に厳しいものなのだろう。とはいえ、これじゃ買い物なんてできたものじゃない。


水分補給はしっかりしていても、疲労感はすぐには取れないだろうし——と、少しばかり周囲を見回していた時、ふと、一つの自動販売機が目に止まった。


「ちょっとだけここで待っててもらってもいいか? いいもの、買ってくるから」

「……いくらでも待ちます。休憩時間が増える分には……一切構いませんので」


バテて音を上げる彼女に背を向けて、自販機の方へ向かう。

相当な猛暑日ゆえか売り切れているフレーバーも多かったが、一番買いたかったものは辛うじて残っていた。

まずはそれを一つ。それから、一応余っているものを一つ買って、彼女のところに戻る。


「それ——なんですか?」

「アイスっていうお菓子……みたいなものだ。取り敢えず、食べてみてくれ」


アイスの定義について、少しばかり考え込みつつ、取り敢えず包装を剥いで、食べられる状態にしてから差し出す。

けれど、彼女は受け取ることはせず、未だ弱々しい声で頼んできた。


「——たべさせて、ください」


本当に不安になってくるようなバテっぷりだ。

そこまで来るか——と、少々頭を抱えつつ、彼女の唇にアイスを当てる。

すぐに反応はあった。その冷たさを味わうかのように、最初に彼女は少し自分から顔を近づけて。それから小さく口を開くと、おずおずと口にする。


「——んっ」


小さく声を上げると、彼女は驚いたかのように先ほどまで半開きだった目を見開く。

先ほどまでのバテた様子は何処へやら、すぐに二口目へと移る。それも、相当に大きく口を開けて。

そうして口一杯に溜め込んだアイスを味わうように、頬に手を当てると、彼女は目を細める。

どうやら、相当にお気に召したようだ。飲み込んだらすぐ、次のもう一口へ。彼女に手渡すタイミングすら掴めないまま、みるみる内に手にしているアイスは無くなっていく。


……人にものを食べさせたのなんて、いつぶりだろう。

それこそ、小さい時のいも——いや、近所の妙な鳴き方をする犬に餌付けをしていた時が最も新しい記憶だっただろうか。

首を振って、放りたかったものに無理やり上書きをしつつ、とりとめもない事を考えている間に、すっかりアイスはスティックだけになっていた。

だというのに、彼女は未だ物欲しそうな目をしている。

ふと、彼女の視線の先を見てみると、自分用に買ったアイスが一つ。彼女用に買ったソーダとはまた違うフレーバー——こちらは抹茶だ。


「……もう一個、食べるか?」

「いいんですかっ!?」


そんな目をされてしまっては、こちらも折れるしかない。

もう、自分でも食べられるだろうと、包装を剥いで彼女に手渡そうとする。

けれど、彼女の反応は予想と外れたものだった。こてんと首を傾げて、じっとこちらを見つめるのみで。


「……食べさせて、くれないんですか?」

「……周り、見てみろ」


彼女は周囲を見回して、ようやく自分が今どういう状況にあるか理解したようだった。

視線、視線、視線——結構な人がこちらを見ていた。

そりゃそうだ。バカップルでも中々こんな食べ方はしない。

身長差を活かして兄貴面でもしてればいいのかもしれないが——それはそれで、やはり無理がある。


少々不服そうな顔をして。けれど、最後は恥ずかしさが勝ったようだった。

冷たいものを食べていたはずなのに、真っ赤になった顔で俺の手から取ると、彼女は先ほどと変わらないペースでアイスを食べ始める。最初に彼女に渡したソーダフレーバーに比べるとそこそこ癖があるのは確かだったからどうなることかとは思っていたが、普通に気に入ってくれたようだ。

しかし、気になる点が一つあった。


「待て、そんなペースで食べると——」


そして、結局注意しようにも間に合わなかったようで。


「——んぅっ!?」


案の定、冷たいものの一気食いでキーンと来たのか、彼女は頭を抱えるとその場でうずくまった。


「——冷たいの、一気食いすると頭に来るんだよ。この時期、気をつけないと結構キツイぞ」

「……やはり、利点があれば欠点も……中々にリスキーなもの、ですね。……これ」


何を深読みしているのかはちっともわからなかったが、取り繕うようにそう口にして。

それでも、やめられないものはやめられないのだろうか。また一口、また一口と食べるのだけはやめなくて。


「んぅっ——!」


その果てに、もう一度彼女はうずくまった。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「……それにしても……すごい人、です」

「仕方ないよ。この辺りじゃここが一番デカいんだから」


平日とはいえ夏休み初日なのもあってか、結構な人混みの中、進んでいく。

アイスで回復したのは何処へやら、ソフィーの表情は、随分とげんなりしたものに変わっていた。


「人混み、嫌いなのか?」

「……ええ。それは……もう。目眩が……してきそうなほどです」

「……大丈夫か?」

「まだ、何とか……目的地までは……?」

「あと少し、だな」


そうして会話をしている間に、目的地にはあっさりと着いた。

俺もよく来ている大衆向けの服屋だ。

並ぶマネキンに、そこらを歩き回る店員、服を選ぶ客——相変わらず人は多かったけれど、一度人混みから外れてしまえば、案外ここはどうってことない。


「これなら、助かります」


そう短く口にする彼女の顔色は、先ほどよりかは幾分かマシに見える。これなら安心だろう。


「それじゃ……早速選ぶか。何か、好きなの取ってきてくれ」


ここにある商品ならば、異様に高いとか、基本的にそういうことはないはずだ。

基本的に、なんでも良かった。

けれど、興味津々、すぐに走っていく——かと思いきや、彼女はちょいちょいと俺の服の裾を引っ張るのみ。


「……ついてきて、ください」


ぽしょりと、彼女が付け加えた言葉はあまりにも弱々しかった。

別に、口調から鑑みるに、見た目ほど子供ってわけでもなかろうに——と、少々思うところはありつつも、すでに彼女は裾を通して、俺を引っ張って行こうとしている。

まあ、別にここにいたって特にすることもないのだ。軽く頷き、彼女に引っ張られるまま、俺も歩き出した。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「どうですか? ……これ」


少々控えめに、もじもじと。

女の子の自身のファッションセンスに対して謙遜しているように見せかけたアピール方法であると聞いたことはあったが——。


『WE ARE CLANN!!!』


こればかりは、本当に謙遜していて欲しかった。


黒地に赤。

激情的なフォントで綴られたよく分からないタイプの英語。それに加えて、全てが大文字という主張の強さ。控えめに言ってダサい。

というか、あまりにもタイプが違いすぎる。ローブから派生するならもう少しこう——何かあっただろう。上手く説明し難いけど。


「……それが、魔女なのか?」

「ええ。知的好奇心に従ったまでです。未知の言語が記されているものって、見ているだけでも気分が高揚しませんか?」

「……なるほど」


そう考えるとむしろ、初めに彼女が着ていた服装の方が奇跡の産物だったようにも思えてくる。

彼女の世界のデフォルトを知っているわけではないが、あっちの方がよっぽどマシだった。


「……んぅ……やはり、ずっと制服を着回していたせいで、全然わかりません」

「制服……? あの服、いつから使ってたんだ?」

「その昔、私が学生だった頃からです。状態は維持できるように保存して、ずっと着ていたんです。そのまま正装としても使える代物でしたし」


……正直、わからなくもない。毎日服を選ぶ必要性がない以上、確かに制服は便利だ。そんなにずっと使うか、と問われれば微妙だけど。

さて、とはいえども、私服は私服で必要だ。もちろんこれとはまた違うもので。年中ハロウィーンされるよりも、血に濡れた文字でデカデカと意味不明なことを主張してくる服を着られて一緒に歩くこと。よっぽど憚られたのはそちらだった。


「……取り敢えず、コーディネートしてもらうか。それだったら外れないだろうし」


結局行き着いた結論は店員にコーディネートしてもらうことだった。

散々、彼女の選んだ服に対して色々言ってはしまったものの、俺もレディースに関しては何もわからない。ともすれば、一番無難な選択肢はこんなところだろう。

近くにいる店員に声をかけようと、ソフィーに背を向けて歩こうとした時——俺は、それ以上踏み出すことができなかった。


「なっ……?」


まるで、足が鉛にでもなってしまったかのように重い。

気のせいだと思い、必死に持ち上げようとしてみても、ちっとも動いてくれない。未知の感覚にしばらく考え込んで……俺は、考え得る一つの結論に辿り着いた。

動かない足の代わりに、首だけを動かして後ろを確認してみると、案の定——というべきか、ソフィーは何かを隠すように手を後ろに回している。


「——いや、です」


俺が何か聞く前に、彼女はぽつりとそう口にした。

間違いない。俺を引き止める具体的な理由はよくわからないが、原因は彼女にある。


「……何が」


そんな確信めいたものと共に、そう聞いてはみたけれど。それでも彼女は頬を膨らませたまま、理由らしきものは口にせず、俯きがちで、多少口をもにょらせるのみ。

聞き取れないというよりも、言葉にすらなっていない。珍しく、どこか強情な態度だった。

しばらく沈黙が続き、やがて——それに耐えかねたせいだろうか。彼女は、ようやく口を開いた。


「で——カエデがいいんですっ」


相変わらずぼそぼそとはしていたけれど、今度ははっきりと聞き取れた。


「でも、俺じゃ服とかよくわからないけど……」

「それでも構いません。知らない人に話しかけるよりも、よっぽど落ち着きます」


……なるほど。確かに、ここまでの彼女を見ていると、人混みにいる時のげんなりとした表情だとか、俺と話している時も少々言葉足らずな時が多い点だとか、どこかコミュニケーションが苦手な素振りは多く見られた。そこから考えれば、確かに店員と話すのも厳しいことについては、一応、納得はできる。


「好みと合わないかもしれないぞ……?」

「でも、私よりはこちらの文化に精通しているでしょう? であれば、なんら心配はありません」


そこまで言われてしまえば仕方がなかった。


「……わかったよ」


そう答えた途端、彼女の顔が綻ぶと同時に、急に足が楽になって。思わずその場でつんのめってしまう。


「大丈夫ですか——!?」


そうして、転びかけた俺の手を掴んだのもまた、彼女だった。

全く、誰のせいでこうなったんだか——と言うのは、今は伏せておいた方がいいだろうか。


「……ああ。大丈夫だ。それじゃ、行くか」


思わず、彼女の見せた表情の前で口をつぐんでしまう。

幾分か綻んだ、安心しているかのような表情。一度、息を吐いて。

今度は彼女の手を引くような形で、一応は自力で、俺は彼女の服選びをすることにした。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「どう……ですか……?」


先ほど俺にTシャツを見せてきた時と同じように——むしろ、その時よりももじもじとしながら、彼女は試着室から出てきた。

上は、真っ白なブラウス。下は、若干薄手になった膝丈のスカート。彼女の瞳よりも少々色の濃い藍色をしたそれは、先ほどまでに比べれば随分と涼しげに見える。


「うん、良いと思う」

「できたら、具体的にお願いしても……?」

「多分、涼しいはず」

「利便性じゃないですっ」


自分で選んだものだ。少々の気恥ずかしさがあったゆえに、少々はぐらかしてしまう。

まあ、それはそれとして——。


「——似合ってるよ」


ここは、こういった言葉をかけておくのが正解だろう。

実際、随分と雰囲気も爽やかだ。細かいレースだとか装飾が施されているものではないが、そのシンプルさがかえって、飾り気のない彼女にはよく似合っていた。


「……そう、ですか」


気恥ずかしそうに、彼女はスカートの裾を握る。

実際、気恥ずかしいのはこちらも、ではあるが……頬を掻くのにとどめておいて。


「それじゃあ、会計するから、一回脱いでもらってもいいか?」


そう頼んだ時だった。


「……あ、えーと……会計——買う——そう……ですよね」


突然、元の服を取り上げてポケットらしきところを漁り、そうしてから、彼女は項垂れたような表情を作った。


「どうしたんだ? 気に入らなければ、別のでも……」

「……いえ。そうじゃなくて」


少々、途切れ途切れでぼそぼそと。

視線を泳がせながら、彼女は続きを口にする。


「——お金、今、持ってなくて……」


考えてもみれば、至極当然だった、というか——。


「今言うか……それ……」

「は、はい……忘れてて、でも、言わなきゃって……」


そもそも、一緒に暮らす上で金がかかるのは当然だ。

光熱費とか、水道代とか、飯代……は、自炊だから多少安く済んでいるかもしれないが、それでも、二人分ともなれば、確実に増えている。

それが、服というそこそこ金がかかるものとして明確になったのが、彼女には触れたのだろうか。


とはいえ——とはいえ、だ。彼女を住ませるというお願いに、俺が承諾したのもまた事実で。

まだ、前世の師匠——と言うのが半信半疑だったとしても、行く宛のない子の面倒を一時的に見ているという形であれば、最低限、暮らすために必要なものは揃えなければならないだろう。服一枚じゃ、流石に厳しいところがある。


「……カエデ、お金は大丈夫なんですか? これ、結構高いもの、でしょう……?」

「……別に。そんなに家計が圧迫されてるってわけでもないし、一般的な服の値段だよ」


実際、高校生になって引っ越すと共に以前の持ち物をほとんど置いてきた結果、趣味と呼べるほどの趣味は無くなってしまった。

未だ——気遣いの一貫なのか、仕送りも貯まっていく一方だし、一年間ほど続けて、結局は目的がなくなってやめたバイトの給料もまだ随分と残っている。


彼女がなぜそこまで唐突に金銭面に不安感を抱いたのかはよくわからないが、そんなに高価な服でもない以上、特に問題はなかった。

そういったことは伝えたはずではあったけれど。それでも、彼女はまだ、どこか申し訳なさそうにぎゅっと裾を握っている。


「……だったら、家事の手伝いを君にしてもらう——ということで、立て替えるか?」

「……お手伝い、ですか?」

「一番、時間を取られるのがそこだからさ、金よりもそういうところ、手伝ってもらった方が嬉しいんだ」


ともすれば、対価として提示できるのはこういったところだろうか。

というか、彼女と暮らしていく上で家事の量は間違いなく増えるはずだったし。別に分担はもう少し後でもいいか——とは思っていたけれど、ここでこの話ができてしまうのなら、こちらとしても好都合なのかもしれない。それに、これで彼女にとっても後ろめたさがなくなるのなら、お互いにとって楽だろう。


「そういうことだったら……もちろんです。魔法もありますし、私自身、家事は得意な方だと自認していますから」

「だったら、それで決まりだ。むしろ、こっちも助かるし」


彼女にとっても、丁度いい落とし所だったのだろうか。

再び試着室に戻ったのち、元の服に着替え終えた彼女からハンガーに戻した服を受け取って。

会計を済ませたのち、袋を手渡そうとする直前——一つ、思いついたことがあった。


「——どうせだったら、着ていくか? そのままじゃ暑いだろうし」

「着ていく——できるのですか? そんなこと」

「多分、試着室で事情を説明すればできるんじゃないかな。……どうする?」


彼女は、少しだけビニール袋の取手の部分をぎゅっと握って、今度はすぐに頷いた。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「どうだ? ソフィー」


しばらく食料や日用品を買って、少し疲れたのか休憩したいと申し出た彼女とベンチに座りながら、ふと思い立ってそう聞いてみる。


「すごく、着心地はいいです。涼しいですし、機能性は抜群です。それと……」


どこか、早口で捲し立てると、最後に彼女は一つ、少し、指先に絡んだ髪を遊ばせながら、照れたように小さく付け加えた。


「……弟子からの贈り物だと思って、これを着ていると、何だか——嬉しいです」

「弟子からはあまり贈り物とか、もらったことないのか?」

「……いえ。形のないものはいっぱい、もらってきました。でも……明確に、形のあるものを貰ったのは、これが初めてだと記憶しているので」

「そう、か」


結局、彼女の言う弟子が俺——と言うのは、まだ少しも結びつかなくて。

記憶もなければ、そもそも弟子がどんなヤツだったのかも知らない。

あくまでも、この服を買ったのは俺であって、彼女の言う弟子としての俺ではない——少なくとも、そう自認はしている。


それでも——捉え方一つで、こんなに彼女が嬉しそうにしているのなら、そこにとやかく言うのは野暮だろう。

物への思い入れなんて、そんなものだ。


「それじゃ、そろそろ買い物にでも……」


「ところで弟子——いえ、失礼しました。——カエデ。この心臓の鼓動——紅潮する頬——この感覚が…………なのでしょうか?」


しかし、自分の中でもある程度結論づけをして、席を立とうとした瞬間、彼女はとんでもない爆弾をぶち込んできた。


「……え」


一瞬、彼女の口にした言葉の意味がわからなくて。

ようやく、それがずっと彼女の言っていたに関することであることに気づいて、頭が回り出したとしても、行き着く先で絡まるのみ。

心臓は早鐘を打ち、俺も俺とて頬が熱くなるのを感じる。

結論づけたことには結論づけたとしても、それはあくまでも弟子と俺との割り切りみたいなもので、別にがどうとか、そんなことは一切考えていなかった。


詰まったままの返答を、なんとか脳内で体裁だけは整えて。

それを、口にしようとした時だった。



「——よう、楓。お前も買い物か?」



後ろから迫る気配になんて、そんな状況で気づけるわけもなかった。



肩を叩かれ、振り向いた時——気まずさの絶頂期とも言えるそんな最中——そこには、随分と見慣れたヤツ——梨久がいた。

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