#5 魔女様にしてみれば、外に出るのも一苦労。

無性に、暑い。

妙な閉塞感を感じるタオルケットの中、何度か寝返りを打ち、最後には跳ね除けて。

混ざり合う眠気とじっとりと服を濡らす汗。

正直、身を起こすのは億劫だった。何せ、夏休み初日なんて睡眠に充てがうためにあるようなものだ。


どうせ明日からまた色々な計画やら何やらで忙しくなることだろうし。であれば尚更、今日くらいは身を休めておきたかった。

しかし、タオルケットは跳ね除けたというのに、未だ暑い。何かが覆いかぶさっているような感覚は消えない。

それどころか、どこか柔らかい感触まである。流石に多すぎる違和感の数々に、次第に意識は鮮明になってきて。

渋々ながらも、うっすらと瞼を開けた時だった。


「——っ!?」


顔に覆いかぶさっていたのは、色素の薄い髪の毛だった。

そして、喉元で抜け、完全な声へとならなかった俺の悲鳴に反応してか、目の前の瞼はうっすらと開かれ、潤んだ青い瞳が俺を捉える。


それを見て、ようやく俺は思い出した。

奇怪な格好をした“師匠“と一緒に暮らすことになっていたことを。


俺がくるまっていたのは、彼女のローブらしかった。

そして、ローブがそこにあるということは、彼女自身も触れるくらい近くにいて。


確か昨日は、ベッドに近いものがいいという彼女にソファを渡して、俺はいつも通り布団で寝ていたはず——なんて思考を回す以前に、早くこの場から離れろと、鼓動を早めた心臓が伝えてくる。

寝返りを打つようにして少しずつその場から逃れようとした、けれど。


「……んぅ……でし……」


未だ寝ぼけているのか、寝言と共に彼女の手が俺の寝間着を掴む。

強引に引き剥がすのもどうかと思われたので、少しずつ離してもらおうと彼女の指に触れて——。


「——んっ!?」


——どうやら、その動作が最後の一押しになって、彼女の意識は完全に覚醒したらしかった。


みるみるうちに真っ赤に染まる顔。

首筋を、一滴の冷たいものが伝うのを感じた。



「で——カエ、デ……暑い……です……」



最後に、その一言だけを彼女が発して。


彼女も俺も、すっかり黙り込んでしまった。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「……来たばかりの時も思いましたが、ここはやたらと蒸し暑い……ですね」

「ああ。だからって夜にクーラー——送風機を全開にしたまま寝ると風邪引いちゃうからな。あんまり厚着はしないのが一番だ」


コップに麦茶を注ぎながら、目の前でトーストを齧る魔女——ソフィーの服装を観察する。


最初から被っていたとんがり帽子に、ローブ。その下に着ているのは制服タイプのシャツと丈の長いスカート。

ローブととんがり帽子を除けば、あまり飾り気のないシンプルな格好だ。とはいえ、シャツとスカートだけでも十分暑そうな格好ではあったが。


「……というかそもそも、他に服って持ってたり……?」

「いえ、これだけです。そもそも——自分の体を持ってくるだけでも一杯一杯でしたので」


ある程度予想の付いていた答えではあったが、やっぱりか、と。それでも頭を抱えてしまう。

まず、ローブととんがり帽子は論外だ。年中こんなハロウィーンな格好をしたヤツと外を歩くのは中々に堪えるものがある。


そして、せめてそれは抜きにしたとして、着替えがないというのも大変だろうし、そもそも彼女の服じゃ夏の暑さは凌げない。


「……取り敢えず、着替えとか買いに行くか」

「この近くにお店があるのですか?」

「ああ、相当にデカいのが」


家から十分程度歩いた場所にあるショッピングモールを思い浮かべながらそう答える。

普段は食料やら日用品やらしか買わないが、確か、映画館とか服屋とか——専門店の種類はかなり多かったはずだ。彼女の服を選ぶには十分だろう。


「それでは——出かけるとしましょうか」


……なんて、考え事をしている間に彼女は朝食を食べ終えたようだ。

スカートに落ちたパン屑を軽く払いながら、立ち上がる。出かけるにせよ、特に準備はいらないということなのだろう。

だが、まずは——。


「——ローブと帽子は置いていってもらってもいいか……?」


彼女には、特にそれを脱ぐという意思はなかったらしい。しばらくこちらを見つめると、呆けた声で彼女は聞いてきた。


「……そんなに変、ですか?」

「常識的にはな。それに……そもそも暑いだろ、それ」


汗ばんだ彼女の額を見つめながら、そう返答する。

思い当たる節は確かにあったのか、彼女は少しばかり思案して、本当に——本当に、苦渋の選択だったのか、非常に苦しそうな顔をして、帽子とローブを脱いだ。

これで、最低限違和感のない格好にはなっただろう、と考えたのも束の間。まだ問題は残っていた。


「——寝ぐせ……すごいな」


帽子を被って寝ていたはずなのにどうすればそうなるのか、頭頂部付近でピンと一本跳ねた髪。

それだけじゃない。よく見れば、髪はところどころほつれては跳ねている。相当な寝ぐせだ。


「……寝相、大分悪い……らしいので」


ようやく合点がいった。道理で、ソファから落ちてきて俺のところにまで来たわけだ。起きた時、なぜああなっていたか気になってはいたものの聞きづらかったから感謝——じゃない。


「少しの間じっとしててくれ、流石にそれは整えなきゃだめだ」


洗面所から櫛を持ってきて、彼女の髪に当てる。

あまり日本人には馴染みのない、白みがかった金髪。こうして近くで見てみると、確かに綺麗な色をしている。ちゃんとした髪型にしたら、十分に映えそうだ。

とはいえ、元々癖っ毛なのか、それともあまり手入れをしていないのか、寝ぐせの方は中々なもので、結局、最低限の見栄えを用意するのには相当に苦戦する羽目になった。

なんとか、頭頂部のアホ毛を除いて——ではあったけれど、髪型が最低限整ったことに一息吐いて。櫛を片付けようとした時だった。


「——髪、編んだりすることって……できますか?」


それまで黙り込んでいた彼女が、不意にそう聞いてきた。


「……いや、できないな」


生まれてこの方、誰かの髪を結んだ経験なんてほとんどないし、ましてや編んだことなんて一度もない。

俺の答えに対して彼女がしたのは、「そうですか」と、短い返事のみだった。


拘っていた髪型でもあったのだろうか——なんて考えつつ、俺も部屋に戻って着替えを済ませ、二人分の水筒を用意する。


「これ、喉が渇いたらすぐに飲むんだぞ。じゃないと、熱中症になるから」


お出かけの直前で若干そわそわしているのか、どこか上の空な彼女の手に水筒を押し付け、説明を付け加えておく。流石に、昨日みたいなことになっても困るし。


「じゃあ行くか」

「わかり、ました」


まだ朝のそこそこ早い時間帯とはいえども、ドアを開けた瞬間に蒸し暑い空気が部屋に流れ込んでくる。

思い返してもみれば、夏休みの初日から出かけたのなんていつぶりだろう、なんて。

彼女に倣い俺も深呼吸をしてみれば、嗅ぎ慣れたコンクリートの匂いが鼻を抜け、湿気った熱気が肺を満たす。

爽やかさなんて微塵もない——というよりも、むしろ都会の夏としてはこれくらいが清々しいのだろうか。


ソフィーにとってこの空気はどんなものなのだろう、なんて——少々口数を減らした彼女から何かを読み取ることは難しかっために、一旦そういうことは隅に置いて。先導するように、俺は一歩踏み出した。

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