#4 それは、一人じゃ知り得ないらしい。

「……そんな話聞いてないし、ダメだ。大体、家族にだってどう説明すればいいんだよ? 急に女の子連れ込んで」

「でも弟子、今は一人暮らしでしょう? それに、何か不都合が生じたとしても、その場に合わせた魔法である程度はどうにかできると思いますが」


……それを言われてしまえば弱い。

何度か見せられた彼女の魔法、もう否定するのも難しいくらいに見せられて。だからこそ、その言葉には妙な説得力があった。

だが、仮に身近な人間への説明はそれで何とかなったとしても——。


「……それでも……ダメなものはダメだ。大体、君のことなんて——」


——何も、知らないのに。


そう、口にしようとした。

けれど、俺は口をつぐまざるを得なかった。


俺を映す彼女の瞳は、僅かに潤んでいた。

先ほどからずっと、俺が記憶にないと言うたびに彼女の表情は曇っていた。

だからこそ、これ以上言ってしまったらどうなるのかなんて、想像に難くなくて。


「……取り敢えず、夕飯にしよう。話は、それからでいいか?」

「……ええ、構いません」


彼女と話していると、どうにも調子が狂う。

本来ならこんなどこの誰ともわからない相手なんて無視すればいいはずなのに、変に気にかかって。本音を口にすることすら叶わない。



というか、そもそも——そもそも——彼女は、俺にとって一体——?


自身に対して問いを投げかけたところで、答えなんて出なかった。


まるで、深いところで処理しようとする以前に拒絶されているかのようで。考えはまとまらなくて。

自身への返答代わりに漏れたのは、僅かなため息。


こんな頭でどうすればいいのかもわからないまま、彼女との間に一定の間隔は保ちつつ、俺は廊下を歩き続けた。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「これは……焼いた鳥、ですか……?」

「……少し違うかもな。唐揚げって言う料理だ。まあ、鳥であることには変わりないから安心して食べてくれ」


彼女は俺の作った料理をしげしげと眺めると、箸で掴み早速口に運ぼうとして——すぐにそれを取り落とした。


「……弟子。この道具、使いづらいです。他のもの、ありませんか?」

「まあ、あることにはあるけど……箸、使えないのか?」

「箸……? ああ、これのことですか。難しいです」

「あんなに枝振り回せるんだからいけると思ったんだけどな」

「枝!? 失礼な……っ! 杖です、杖——っ!」


珍しく荒くなった彼女の声を背に、棚からフォークとスプーンを一つずつ取ってきて、彼女に渡す。

どうやら、これは使える類のものだったようだ。

慣れた様子で唐揚げにフォークを突き立てると、彼女はそれを小さな口一杯に頬張る。

しばらく膨らんだ頬が咀嚼のために動かされて、こくんと中身を飲み込むと同時に、表情が綻ぶ。


「どうだ?」

「美味しい、です——これは食文化というよりも……相変わらず、弟子の力量が高いおかげ、ですね」

「そりゃよかった。ずっと料理をやってきた甲斐があったよ」


一瞬思い出される丸焦げになった肉塊。

確か、ほとんど炭になりかかっていたから、食べ切るのに苦労したんだっけか。だから、自炊できなきゃ不味いって——。


……ん? そんなに料理が下手なヤツなんて、身近にいたか? 


「——し」


別に、両親ともそこまで下手じゃなかったはず。じゃあ、これは誰の——?


「弟子——! どうしたのですか?」

「あ、ああ。ごめん」


ダメだ。本当に今日は思考がまとまらない。

一貫性すら持たず、どんどんと変な方向へと流れていく。

食べ終わったらきちんと話をしなきゃいけないってのに。全く、嫌気が差してくる。

頭を横に振り、無理矢理思考を引き戻して。


そうしているうちに、食べ終わったらしい彼女に向き合い——ようやく、数時間ぶりに俺はその話題を切り出した。


「それで——まずは、聞かせてもらってもいいか? 君が言ってた、“を教えてほしい“ってことについて」


その時、確かに彼女の調子が変わった。


手にしていたフォークを取り落として。食器と食器が擦れ、カランと澄んだ音が響く。


指先が、僅かに震えている。

逸らされた瞳は伏せられ、どこを見つめているのかなんてわかったものじゃない。


最初に切り出したのは彼女の方からだったはずなのに、まるで、今は話したくないとでも言うような——そんな意思すら感じさせる。

しばらくの沈黙が続いた。

ゆっくりと時間をかけて顔を上げた時、彼女の瞳は先ほどよりも若干潤んでいた。


「ええ——そう、ですね。そうでした。……話さなければ、ならないのでしたね」


今から彼女が口にしようとしていることは本来俺が知らなければならないことのはずだ。でなきゃ、一日振り回されたリターンに見合わない。

……だと言うのに。


いざ、陰った彼女の表情を目の当たりにした以上、それ以上触れるのが躊躇われてしまったからだろうか。


そこまでして言わなくてもいい——と。


一瞬、俺は彼女を静止しようとした。



「……弟子、気にしないでください。一人では知り得ることができない以上、誰かが教える必要があるのですから」



けれど、彼女は俺を遮って声を上げた。

どこか高いトーン、嫌に耳に障る。



「……話します、から——しっかりと聞いていてください」



瞬き一つせずに瞳は俺を捉え、揺れることはない。

ただ、頷くことしかできなかった。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「一人じゃ、知り得ないことって——ありますよね?」


食器を全て片付け、二人向き合い、今度はあまり間をおかず、彼女は口を開いた。


「……そう、だな」


確かに、思い当たる節はいくらでもある。

今日彼女と接していて、抱いたいくつもの疑問は、きっと一人じゃ解消できないだろう、と。そう感じたのは確かだ。


「基本的に、研究というものにはが必要です。しかし——私にとってはそれは必要なくて、一人で十分でした。森の奥に家を建てて。人里離れた場所で、ひっそりと知的好奇心を満たすことのみが、私にとっての快楽でしたから」

「じゃあ、弟子ってのとは、どんな関係で……?」

「ひょんなことから捨てられている子供を見つけて——きっと、私が通りかかって拾わなければ死んでいたことに違いはないでしょう」

「それを、育てたってことか……?」

「……ええ」


彼女が口にする過去は、俺が想像していたものとはかなりかけ離れたものだった。

それじゃあ、弟子というよりかは——。


「……ほとんど、親代わりじゃないか」

「私が拾い、育てた捨て子——確かに、一般に定義するなら親子と呼ぶのは近いかもしれません」

「なんで、わざわざそんな……?」


それでは、わざわざ人里離れた場所に住んでいたのかも、一人で研究とやらを続けていたのかもわからない。

捨て子を拾って、育てる。ここまでの話を聞く限りじゃ、到底彼女がそんなことをするような人間には思えなかった。


「——半分気まぐれ、半分は打算的なものです。俗な話ですが、その頃の私は実験対象に飢えていました。なので、丁度いい……と」


もう彼女は目を伏せることもなく、淡々と過去を羅列していくのみだった。

そして、俺も相槌を打っては時々質問を挟むだけ。

あまり、会話と言えるほど成立していなかったようには思える。


「……でも、なんでそこからが……?」

「……先ほど説明した研究の一環で必要だったからです。私の研究対象は——魂。そして、そこを根として成立する人の感情。こればかりは、魔法では制御できないもの、でしたから。一つでも多くの感情を知るのなら——必然的に、自分自身で経験しなければならなかったのです」

「でも、そんなの……普通に生きてても……」

「私にはありませんでした。昔から、誰かと関わるのは嫌いでしたから。人里離れた場所に暮らしていたのもそれが理由です」

「それで、唯一付き合ってくれたのが弟子だったって……ことか?」

「……ええ。彼は基本的に私の研究にはなんでも付き合ってくれましたから」


……なんとなく、ここまで話していて理解できてしまった。

彼女が求めていたのは恋人だとか、愛していた人だとか、そういうものじゃなくて。

従順に実験に付き合ってくれるパートナー、もっと悪い言い方をしてしまえば被験体。おそらくは、そんなところだったのではないか、と。



「……なあ、それってさ、相手がどうしても弟子じゃないといけない理由とかって……あるのか?」



——けれど、だとしたら引っかかる。


俺は彼女と出会ってから、何度か妙な感覚を覚えていた。

それが、所謂前世の記憶だとか、そういった類いのものによる影響なのかもしれないとして——それを知っているのなら尚更、わざわざ俺の前に現れて、掻き乱してくるのかがわからない。


それに、彼女だってそうだろう。理論の構築が大変だっただの体が幼くなっただの、散々こちらに来るのにデメリットがあったと口にしていたのに。

なぜ、そこまでして弟子に固執するのだろう。


それは、元の世界の人間が相手じゃ、なし得ないものなのだろうか。


別の理由があるのなら、もっと歪曲しないで素直に聞かせて欲しい。


多分、浮かんだのはそんなところだった。


「……必ず、物事には踏まなければならない過程があって。根底にそれがあるからこそ、事象は成り立つ。それは——理解しています」


相変わらず、淡々とした口調で彼女は続けていた——はずなのに。

それが含んでいた僅かな震えを、確かに俺は捉えてしまった。


「……しかし、説明できないものがあったのです。教えてくれ、と私がを請うて、弟子がそれに答えてくれた時——ずっと、気にも留めていなかった何拍かの鼓動。なぜ、その時だけ気づいたのかはわかりません」


彼女の手が、俺の手をとる。

とくん、とくん、と。一定の間隔を刻みながら震えるその手のひらは、彼女の鼓動を俺に伝えてきた。



「……でも——だからこそ……。一人では知り得なかったことを知るため——私には弟子が——あなたが、必要なのです」



俺が“必要”だと言われても、彼女と出会ったのは今日が最初だ。少なくとも、俺はそう記憶している。

……だというのに、彼女と触れている今、心臓の鼓動がどんどんと早まっているのを感じる。

繋がった手を通してそれに気づいたのか、彼女は顔を上げ、俺を見つめてくる。

華奢な肩は、いつの間にか震えていた。こちらを捉える瞳は、濡れていた。


——初めて、こんな気持ちになった。


本当に、変に気にかかる。もしも、俺がこのまま彼女を追い出したら、本当に彼女にとっては行く宛がないんじゃないかって。

そう思うと、この手を離しちゃダメだって、本当に変だ。変だけど——そう意識していても、手の力を緩めることはできなかった。



「……わかったよ」


「……弟子……?」


「どうせ、行く宛もないんだろ? だったら、君が満足するまでは泊まっていっても構わない」


「ほんと、ですか? さっきまで、あんなに難色を示していたのに……?」


「……別に。起きる事象には意味があって然るべき、なんだろ? だったら、俺もちょっとばかし気になったことがあってさ。ただ……あんまり妙なことをするのだけは、やめてくれよ?」


「ええ——ええ——もちろんです、弟子っ!」


初めて目にした、彼女の満面の笑み。


どこか感じたむず痒さ。それと、先ほどの引き止めなくちゃって気持ち。

どれも——初めて感じるものだった。そして、それだけに気になるものだった。


これが、どういうものなのか知り得ることができるまで、絶対に晴れないって。

彼女の言うがどんなものか、自分自身もよくわからないけど、それだけは断言できる。


「うーん……どこか他人行儀だな。名前——“青木あおき かえで“って言うんだ。弟子……じゃなくて、そう呼んでもらってもいいかな?」


「カエデ、ですか。確かに……今のカエデには私の弟子だった頃の記憶がないんですものね? でしたら、そう呼ばせてもらいます。あと……私も、師匠——じゃ、変ですね? “ソフィー”です。あとは、好きに呼んでください」


——ソフィー。


素っ気なく彼女が示した名前。

一度も口にしたことがないはずなのに、どこか懐かしい響きだった。

自分で認識できているものが、今記憶にあるものだけだって。そう思うのは、存外おこがましいことなのかも知れない。

妙な考え方ではあるけれど、今日はもう既に、色々と妙なものばかり見させられているのだ。

一つくらい増えたって、あんまり変わりやしないだろう。



「……そっか。よろしくな、ソフィー」

「ええ、弟子——じゃなくって——カエデ。よろしくお願いします」



——「」を知りたい。


妙なお願い事のための共同生活。


予感、なんてものに頼り切ったことはもしかしたら今日が初めてだったかも知れない。


でも、知的好奇心を満たす、だとかそんなものよりもずっと大きな——何か。


もしかしたら、そんなものが手に入るのかもな、なんて。柄にもなく、考えてしまった。

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