#3 魔女様はいつも弟子と一緒。

「……こい……? こいって……どの……?」

 

一瞬、意図が汲み取れなかった。

ひとえに“こい“と言っても、魚の方、だとか。

いくら彼女が前世での俺との関係を主張したとしても、そんなのは一切、今の俺には身に覚えがないことだ。

だからこそ、その言葉は中々答えに結びつかなかった。

 

「……やっぱり、ピンと来ませんか。……でも——仕方、ありませんよね」

 

先ほどまでかち合っていた瞳が揺れ動く。

伏し目がちで、俯いて——若干、触れ辛かった。

互いに口を開かないまま、時間が流れる。耐え難い、気まずい空気が充満している。その時だった。

ぐぅ、と。腹が鳴いたらしい音が響いて。赤らんだ彼女の表情を見て、俺は状況を理解した。


「……取り敢えず、飯にでもしないか? 話はその後でもいいからさ」


こくり、と無言のまま彼女は頷く。

この妙な空気から一旦は解き放たれたことに、俺は安堵した。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「えーっと……食材、ありあわせぐらいしかないけど……嫌いなものって、あったりするか?」

「私は、特に選り好みをしないので、何でも構いません。それにしても——その箱はどのような……?」


彼女は冷蔵庫を見てキョトンとしたような表情を見せると、食材を漁っていた俺を押し退けつつ、手を差し込む。


「……冷たい、ですね。食材の保存をするためのもの、ですか?」

「そう、だけど……こういうの、使わなかったのか?」

「ええ。冷却せずとも食品の状態を保存する魔法があったもので……魔法がないだけで、随分と変わるものなのですね」


そう口にしながらも、しげしげと冷蔵庫を眺め、手を差し込んだり、取り出したり。

しばらくそうしたのち、冷えたであろう手を頬に当てて、彼女は心地良さそうに目を細める。


「……ごめん、冷蔵庫——それの扉、閉めてもらってもいい?」

「でも、かなりの冷却効率ですよ? ほら弟子、手もこんなに冷たくなりました」


まるで冷蔵庫を始めて見たかのような無邪気な反応のまま、彼女の手が、俺の頬に押し当てられる。

確かに、外の暑さを考えれば心地よい冷たさなのは理解できる……けれど。


それよりも、気にかかったのは——その手の感触と小ささ、そして、目の前で俺を見据える彼女の瞳と、その距離感だった。あまりにも近すぎる。

とくん、とくんと、一気に強まる心臓の鼓動。

同時に、全身を駆け巡る血液のせいだろうか——体が……特に、頬が熱い。

目の前で瞳は、ぱちぱちと何度か瞬かれ、ずっと俺を捉え続ける。その視線と、次第に温もり、より人間の手だということを強調してくる頬に当たる感触。


恥ずかしさのあまり、思わず後退りしてしまった時だった。


「うわっ!?」


よく後ろを見ていなかったせいか、先ほど棚から取り出した食品のパッケージらしきものが、足に引っかかり、一瞬にして視界が大きく振れる。

崩れたバランスを修正する間も無く、転倒する直前、思わず目を瞑って——。


「……まったく。不器用なところは、変わりありませんね」


いつまで経っても襲ってこない衝撃の代わりに聞こえてきたのは、彼女の声だった。


「——え?」


薄目を開けてみて、自分の体が妙な光を纏って——浮かんでいることに気づく。

そして、彼女は先ほどと同じ枝のようなものを手に持っていて、それを軽く一振りした直後、俺の体は緩やかに床へと降りていった。


「今、のは……?」

「魔法、です。“カガク”の力では、こういったことはできないのですか?」


いや、少なくとも転びかけた人間の体を、触れることなくゆっくり地面に落とすなんて。

この環境下じゃ考えようがない。

呆気にとられたまま、首を横に振る。


「そうですか。それでは——断定はできませんが、基本的には魔法の方が優れている……ということ、で正しいのでしょうか。であれば、無理はありません」


対して、彼女は納得したかのように何度かうんうんと頷いて。


「もっとすごいもの、見せてあげます。注視していてくださいね?」


直後、天井近くで何度かチカチカと、光が瞬いて。

軽い衝撃と共に、白い何かを飛び散らせて、柔らかいものが頭に落ちてきた。

それを、剥がしてみると——。


「……うわぁっ!?」


すぐさま視界に飛び込んできたのは、帰ってくる途中で見た鳩だった。

しかし、触ってみても全然動かない。

もしや死んでいるでは……と、羽毛に手を埋めているが、体温はまだある。

どうやら、気絶させられているだけらしい。


「弟子、焼いた鳥が好きでしたよね? 形は違いますが、お土産代わりに振る舞ってあげようと思いまして、帰ってくる途中で入手してきました。今、この場でとどめを——」


彼女の持つ枝らしきものの先に、赤い光が灯る。

状況的に、明らかにこの鳩を絞めようとしているのは見てとれた。


「なので弟子、それを手放してください。でないと昼ごはん、なくなっちゃいますよ?」


一歩一歩、彼女が近づくたびに、枝先の光は強さを増し、確かな熱気をこちらにも伝えてくる。


「いや、いいっ! いいからっ! ——殺さないでくれっ!」


半ば絶叫するように、喉奥から声を絞り出して。

ようやく、彼女は動きを止めた。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「……よかったんですか? 鳥、逃しちゃって。それに……別に、私が弟子を取って食べようとするわけないじゃないですか。あくまでも対象はあの大人しい色をした鳥だけで……」

「……いいんだ。この世界じゃ基本的に買うものなんだから」


空きっぱなしになった冷蔵庫と、枝先に熱を灯していた彼女との口論。

長い時間をかけて、結局は鳩を逃すことで話が固まった時、既に冷蔵庫の中の生モノは傷んでしまっていた。


「意外と農場だけじゃ賄えなかったもので、基本的には肉はある程度狩りで手に入れるものという認識でしたので。それに——森じゃ、買い物なんて中々できないものでしたから」

「森に住んでたのか?」

「ええ。案外人里から離れた場所です……って、やっぱり記憶にはないのですね?」

「……うん、全然覚えにないな」


今日一日で見せられた、魔法とやらと俺と彼女との常識のズレ。

そして——相変わらず信じ難いものであるのは確かだったけれど——それらからある程度、彼女の口にしてきた自分が本物の異世界人であるという言葉も信憑性を増してきていた。


「“カガク”の元じゃ、星は全然見えないのですね」


買い物から帰ってくる途中、マンションの廊下から見える空。

夏場とはいえ、だいぶ遅くまで買い物やら何やらをしていたせいで、すっかり空は暗くなってしまっていた。

そして、代わりに灯り出す街明かり。

手すりに飛びつくように、少し背伸びをして、夜景を眺めながら、彼女は感嘆したような声をあげる。


「……でも、街並みは——夜景は、ずっとずっと——私がいた場所よりもきれいです。そうは思いませんか? 弟子」


正直、彼女が見ていた景色とやらが俺にはわからない。

だというのに、彼女は時折、俺の記憶が残っているかのように昔話を持ち出してくる。


「……そう、だな」


その度にある程度話を合わせてやるのも、大変なものだ、なんて。ため息を一つ吐いて。

まだ一つ、彼女としていなかった話があったのを思い出す。


—— “約束、です。……弟子。——を、教えてください“


どこか気まずい空気のせいで、数時間前には触れることが出来ずにいたが、未だこの話は掘り返していない。

そろそろ気になってきていたところだ。夕飯時に、話を持ち出そうとして——。ふと、俺はもう一つ気にかかった。


「……なあ、寝床とかって、どうするんだ?」


もう、随分と遅い時間だ。

とはいえ、彼女が本当に異世界人だというのなら帰る場所なんてここにはないだろうし、かといって、そんなものを確保しているかのような素振りなんて彼女はちっとも見せない。


きょとんとしたような表情を、彼女はすぐに見せた。

そのまま、しばしの沈黙。

それが明けてようやく、さも当然のことのように、彼女は答えを口にした。



「……もちろん、弟子の家……ですけど。……その話、しませんでしたっけ?」

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