冷たい弟

 パメラがメイドたちと話をし、しばらくしてから。彼女は皇居の廊下を歩いていた。宮殿は変わってないな、と思いながら。


 王国が帝国に変わり、王城を皇城と呼ぶようになっても、城自体が変わったわけではなかった。城の規模も内部のインテリアもティステだった時代とほぼ同じだった。歳月が流れた分、もう少し古かったり、装飾の一部が交換された程度。


 しかし、インテリアよりはるかに大きな差があった。


「ゲッ」


 品位なしのうめき声が前方から聞こえてきた。随行員を従えた小さな少年がいた。


 パメラと同じ赤髪赤眼の美少年。まだ幼くて未熟でもあり、女と勘違いするほどか弱い美貌だった。しかし、パメラを眺める表情は露骨に気分が悪いという印象を与えていた。


 パメラより二才年下の弟、ベイン・ティヘリブ・アルトヴィア。この国の第一皇子だ。


 一瞬気持ち悪い様子を見せてしまったベインだったが、すぐに顔を背けた。いつものように・・・・・・・姉のパメラに話しかけずに通りかかった。


 もちろん、今のパメラはただ通り過ぎる人ではない。


「こんにちは、ベイン。今日も元気そうで嬉しいわ」


「……は?」


 ベインは当惑した顔であたりを見回した。そんな中でも、パメラの方は一度も見ることがない。だが周りの誰かを振り返っても、みんな首を横に振るだけ。その間もパメラは微笑みながらじっと待っていた。


 結局、ベインの視線がパメラに向けられた。


「こんにちは。ようやく私を見てくれるよね」


「……どういう下心ですか」


「あら、姉が弟に挨拶するのがそんなことを言われることなの?」


 ベインは眉をひそめた。パメラはそんな彼にも笑いかけたが、そうするほどむしろベインの機嫌が悪くなるだけだった。


「……俺を弟だと思いましたか? 実に驚くべきことですね」


「……やっぱり私に不満が募ったよね」


「……っ!」


 ベインがかっとなるのも仕方がない。そんな気がしてしまって、パメラは思わず苦笑いした。


 パメラはこれまでベインに姉としての役割を果たしたことがない。皇族という特殊な身分以前に、家族として最低限の交流すらしていなかったから。


 今よりもっと幼かった時代、ベインは何とか姉の関心を引こうとした。しかし、パメラは彼に笑っても怒ってもしなかった。ただ徹底的に無視しただけ。ベインだけでなく、両親を除いたほとんどの人にまともに接していなかった。パメラがともすればメイドたちを苦境に陥れたのも、そもそも彼女たちを同じ人間と見なし、ただ暇つぶしの人形に他ならない扱いをしたためだった。


 だが自分の勉強は疎かにしなかった。そしてアルトヴィア帝国は皇位継承順位に性別の影響がない。そのため、ベインは自分に話しかけない姉が皇位のために自分を押しのけようとするのではないかと疑って一方通行の競争心を燃やし始めた。


 最初は姉の関心を引こうとの考えもあったが……全然振り返らない姉に期待する気持ちもだんだん消えていき、いつの間にかベインの方がパメラを一番大きなライバルであり敵として接していた。


 ……そんな状況に至ってもベインの存在を徹底的に無視したことこそ嫌われる原因だということぐらいは、パメラも自覚していた。むしろ、今までなぜそのような態度で人に接してきたのか、パメラ自身が疑問に思うほどだった。


 パメラが物思いにふけっている間、ベインの口元に嘲笑が起こった。


「そういえばもうすぐ姉君の適性判別の日ですね。今さら不安になったのですか」


「そんなことないわ。今からでも謝りたくて」


「は! 謝り? 姉君の辞書にそんな言葉の文字があるとは夢にも思いませんでした!」


「悪いことがあれば謝る。人として当然のことだと思うけど?」


「何を謝ればいいのか知ってはいますか?」


 ベインは鼻で笑って背を向けた。これ以上話をしたくもないという意思が歴然としていた。


 その時、パメラを随行していたメイドたちの間で、エラが突然飛び出した。


「お待ちください! ちょっとお待ちくださいませ、ベイン皇子殿下!」


「は?」


 ベインは止まってくれた。しかし、振り返る視線は冷ややかだった。エラはその視線を恐れていたが、それでも引き下がらなかった。


「メイドなんかが生意気に俺を呼び止めるのか? しかも本当に堂々と睨んでいるな。今その態度だけでも不敬罪だということを知らないのか?」


「っ……!」


 皇子の覇気がエラを怖がらせた。パメラは彼女を止めようとした。しかし、エラは首を横に振ってむしろ前に出た。


「お姫様は……本当にお変わりになろうとご尽力いただいております!」


「ね、エラ? もう……」


 エラのために制止しなければならない。そう思ったパメラは彼女を止めようとしたが、エラは彼女の制止さえ聞かなかった。


「お姫様は私たちにもお詫びしてくださいました! お笑いくださいました! そして、ベイン皇子殿下にも同じくされるんじゃないですか! 一度だけ……一度だけお姫様のおっしゃることをちゃんとお聞きくださいませ!」


「……」


 ベインは眉をひそめてしばらく口を閉じた。その視線がパメラとエラを素早く交互に見た。そしてパメラの後ろにいるメイドたちの姿も観察した。それで何の結論が出たのか、彼は鼻で笑った。


「変わったとしてもどうせ一日か二日のことだろうが、幼いからかなり感動したようだな。どうせ長続きしない気まぐれだ。騙されない方がいいぞ、女」


「ち、違います!」


「姉に騙されている可哀そうな奴だから、今の無礼は不問に付す。しかし、次はない」


 ベインは冷たく背を向けた。そして首だけでパメラを振り向いたが、その視線は依然として敵対的だった。


「適性判別と新しい『神聖』の聖女の件で今さら人情でも得ようとしているようですが、くだらない。その薄っぺらな下心がいつまで続くか見守ります」


 最後まで冷淡な言葉を残し、ベインは別の場所に行ってしまった。


 彼の姿が完全に消えた後、エラは悔しそうに足をバタバタさせた。


「何ですか! 私より若いくせに幼いとか女とか!」


「エラ、気をつけて。それバレたら今度こそ死刑よ」


 エラの行動は予想外で、ありがたかった。だがベインとの関係改善はやはり容易ではなさそうだった。


 ため息をつきながらも、自分の仕業を挽回しようと決心するパメラだった。


―――――


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