第8話 女領主との対面
女は七十くらいの老女に見えた。まだ矍鑠(かくしゃく)として、背筋もぴんと伸びている。白銀色の絹と思しき衣装に身を包んでいた。あまり飾り気はなく、ふんわりともしていない、簡素なドレスだ。胸元の銀とオパールの首飾りだけは、華やかな意匠である。銀細工の百合の花が絡み合い、大粒のオパールを囲んでいる。
「お初にお目にかかります。アントニー・フェルデス・ブランバッシュでございます。お招きいただき、光栄に存じます」
言いながら、アントニーは優雅な仕草でおじぎをした。
それを見ながら、
「お初にお目にかかります。ウィルトン・シェザードと申します。お招きいただき、光栄に存じます」
と、自分で予測していたよりもずっと難なく言い終えた。アントニーを真似て、腰を折り頭を下げる。
女領主は立ち上がった。
「来てくださって本当に嬉しく思います」
次に、この部屋に通じる、ウィルトンたちが入ってきたのとは別の扉が開いた。そこから、一人の壮年の男が、妻と思われる婦人をともなって入ってきた。ウィルトンたちに目をやり、向き直って一礼する。
「初めてお目にかかります。私の名はマルセル・デル・バーナース。領主の長男です。こちらは妻のマリアラ」
マリアラと呼ばれた婦人は、夫と同じくウィルトンたちを見て、一礼した。
「はじめまして、マリアラです」
顔を上げてから、にこやかに歓迎の仕草を見せた。両腕を広げて、警戒心が無いことを示したのだ。
アントニーは二人にも深々とおじぎをした。
「アントニー・フェルデス・ブランバッシュです。よろしくお見知りおきを」
ウィルトンは、盟友の様子を注意深く見ながら、真似て再び頭を下げる。
「ウィルトン・シェザードと申します。よろしくお見知りおきを」
「おお、シェザード殿、貴殿はなんと礼儀正しい方だ」
マルセルが感心したように言った。
「お褒めいただき、ありがたく存じます」
ウィルトンは、答えながらアントニーの方をさり気なく見る。これでいいのか? と目で問い掛けた。
大丈夫ですよ、と小さなささやきが返ってきた。夫妻にも領主にも聞こえないくらいの声だ。
「それでは、椅子にお掛けくださいませ」
いつの間にか現れた給仕の青年がそっと声を掛けた。お仕着せの黒い上下だが、簡素でも仕立てがよく、シワ一つない。
「ああ、ありがとう」
ウィルトンは、そう答えて引かれた椅子の前に回る。椅子が足につくように背後から押され、ウィルトンは振り返らずに座った。
そう、振り返らずに。これが礼儀だと聞いてきた。そもそも、誰かに椅子を引いてもらったことなどない。自分で椅子に触らないのは、実に奇妙で不安定な心地にさせられた。
アントニーはと言えば、彼はなんの戸惑いもなく優雅に腰を下ろし、召使いに礼を告げた。
長い卓の、隣にウィルトンとアントニーは座らされた。向かいに、領主の息子夫妻がいる。彼らも召使いに椅子を引かれて、自分では椅子を動かさずに腰を下ろしたのだ。
「皆、堂に入った動きだな」
ウィルトンは声には出さずに感心していた。
小ぶりの皿に乗せられた前菜が運ばれてきた。卓上にある大きめの皿の上に置かれる。
前菜は何かの和え物だ。ウィルトンは見たことがなかった。アントニーの方を見て、
「これは何だ? いや、違う。これはこれは。見たことのない料理ですな。何というものですか?」
アントニーは、またしても密やかな笑みを漏らした。今度は下を向いて。
「マグリアの木の芽の和え物ですよ」
「木の芽の?」
「そうです。この季節には、木の芽が摘まれて和え物になりますね」
「へえ」
マグリアの木も、木の芽の和え物が貴族のための食卓に供されるのも知らなかった。今もぴんとこないが、一応うなずいておく。
右側に置いてあるフォークを手に取り、木の芽を刺して口に運ぶ。もちろん、教えられた作法通りにだ。慣れない手付きなのは自分でもよく分かる。それでも、失礼な振る舞いとまでは言えないだろう。
とりあえず、今晩はこれで乗り切るぞ。ウィルトンは決心した。他に方法もない。
「おお、美味いぞ!」
思わず叫んでから、はっと口をつぐんだ。
「あー、失礼をお許しください。このような料理を食べたことがなかったのです」
アントニーは、またしても含み笑いを隠して下を向いていた。
「気にすることはないよ。この屋敷の中ではくつろいでくれたまえ」
女領主は言った。アントニーと違って、密やかな含み笑いを浮かべてはいない。
「お気遣い、ありがたく存じます」
ウィルトンは二つ目の木の芽をフォークで口に運んだ。まろやかな中にも、ぴりっとした刺激のあるスパイスの味がした。どうやら、新鮮な油と乾燥した香草の粉末、それにマスタードで和えてあるらしかった。
「とても美味しいです!」
英雄として迎えられた男の声が、広間中に響き渡った。
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