第7話 晩餐

 夜が訪れた。ウィルトンにとっては、生まれて初めて貴族の館で過ごした一眠りの時だった。アントニーの納骨堂の住まいにも、さほど長くいたことはなかったのだ。


「おお、快適な目覚めだ。このしっかりとした羊毛の絹の敷布団の寝心地の良さといったらないな。それに羽毛の掛布団! ふわふわしていて温かくて軽くて、最高だな」


「おはようございます。良い眠りだったようですね」


 アントニーはすでに起きていた。起きて、床に降り立ち、身支度を整えていた。昨日、アントニーのために作られたという衣服を身に着けつつある。


「おお、その古王国式の貴族の服を着ているのを見たのは初めてだな! すげえ似合ってるぞ」


「おや、このローブも一見は簡素ですが、実は刺繍が施されているのですよ。気がつかなかったですか?」


「ええ! そ、そうなのか?」


「嘘です」


「……お前な」


 アントニーはにやりと笑ってみせた。


「そういった、ささやかな違いを、きちんと見分けるのが古王国時代の貴族のたしなみだったのです。貴族社会への仲間入りには、そうした素養が欠かせませんでした」


「そうか。何故今みたいに分かりやすくなったのか、理由がはっきりしたな」


 ウィルトンもにやりと笑いながら寝台から起きた。床に足をつけて立ち上がる。寝台の側の衣装入れを開けて、中から一揃えの衣装を取り出した。


「そうした様式が出始めた時には、正直に言って、あまり上品だとは思えなかったのです。今では慣れてしまいました。自分では身につける気になれないので、このように特別にあつらえてくださったのは本当にありがたいことですね」


「なあに、お前がその服で晩餐会とやらに現れりゃ、たちどころにして、また復活して、新しい流儀になるんだ。きっとそうなるに違いないな」


「新しい流儀にはならなくていいのですよ。私一人でも、このようにしていられれば」


「絶対に真似をする奴が出てくるぞ。まず間違いないな」


 ウィルトンは、そう言いながら何とか、着慣れない貴族の衣服を身につけ終わった。明るい青の地に、銀糸の刺繍、ウィルトンが名前を知らない、白い宝石がつけられている。古王国の流儀とは異なり、華やかさを表に出した意匠だ。


「鏡を見てみるか」


 ウィルトンは銀板を磨き上げた鏡の前に立った。


「おお、悪くないぞ。黙って立ってりゃ生まれながらのお貴族様に見えないこともないな」


「そうですね、黙ったままでいましょう」


 アントニーは皮肉げな笑みを浮かべた。


「おいおい、ひでえな。もっとも俺だって、付け焼き刃でたちまちお貴族様の礼儀作法が身につくとは思っちゃいない」


「しかしもうそろそろ晩餐の時間です。もうじき、召使いが呼びに来るでしょう。そうすれば後について行き、ご領主様にご挨拶するのです」


「よし、こうなったら腹をくくろう」


「大丈夫ですよ。まず初めに、私が言ったどおりの挨拶をしてください。それから後は、私もあなたに気を配りますので、困ったことがあれば助けます」


「おお、ありがたいな」

  

 昨日、この部屋に案内してくれた男が再び現れた。


「晩餐のお時間でございます。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」


 アントニーが先に部屋を出た。魔術による明かりはそのままにしている。ウィルトンは、盟友の後ろからついて行った。


 昨晩に通った廊下を通り、階段のある場所に出た。階段もまた銀の月の色を微光として放ち、他に明かりはないのに、充分な視野が保たれた。


 二階にも廊下がある。廊下は長方形に、建物周辺をめぐるようになっているらしかった。建物の内側にあるそれぞれの室内に通じる扉が見える。


 扉は木製で、美しい浮き彫りの施された深い褐色に、真鍮製の取っ手がついている。そのうちの一つに、御者であった男は入っていった。入る前に三回ノックし、取っ手に手を掛け、扉を開けて、自分は脇に退(の)いた。


「さあ、お入りくださいませ」


 うながされて、アントニーは背後を振り返る。


「あなたから、どうぞ」


「いやいやお貴族様、お前から──違った、いえ、貴殿からお先にどうぞ。私は後から参りますよ」


「ありがとうございます。では失礼して」


 アントニーは再び前を向く時に、密やかに笑ったが、その笑みはウィルトンには見えなかった。


 二人は中に入った。中はとても広い。天井も一階より高い。


 背後で御者が扉を閉めてくれた。重厚な扉であるにも関わらず、ほとんど音も立てずに閉じられた。ウィルトンは振り返らない。


 広い室内は、やはり月のような微光で満たされていたが、蜜蝋のろうそくの火も、食卓を照らしていた。


 長い長方形の卓上には皿とグラスが並ぶ。皿は同じ模様のいかにも上等そうな白磁であり、つたと薔薇の花の絵が描かれている。


「これはこれは、ようこそ。我がバーナース家の屋敷へ。我が名はセンド・デル・バーナース。何とぞよろしく、英雄ご両名」


 長方形の長い卓上の向こう側から、椅子に腰掛けたままの女が挨拶をしてきた。

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