第5話 純真な人形
幸い、老人は分かってくれた。
「ああ、そうだな。それは当然だ」
老人は人の良さそうなしわ深い顔にある、小さな黒い目で二人を見た。
「いくら払えばいいかね?」
そう言われるとウィルトンは少し困ってしまった。こうした時の相場はいくらくらいなのだろうか。
「上等な赤ワインをひと月分買えるだけの金がいる。一日に一瓶で」
とりあえずこう言ってみる。
「上等と言ってもいろいろ格があるがね。大きな金貨一枚でどうだね?」
ウィルトンはしばし黙った。
「二枚で」
「分かったよ、二枚だ」
「よし、それで手を打とう」
もっとふっかけることも出来ただろう。おそらくは二人の相場はもっとずっと高いに違いない。直感的にそう思いながら、ウィルトンはここらで手を打った。
ただ働きは良くないが、多少の情は見せるものだ。そこは、行いにも精神にも均衡が必要なのだ。
「とりあえず先に一枚渡しておこう」
老人は上着の内側の隠し袋から金貨を取り出した。
「残り一枚は無事に全てが終わってからだよ」
「ああ、それでいい。ところで名前をまだ聞いていなかったな」
「サダソンだ。この宿の主人だよ」
「分かった、サダソン、しばらくここに泊めてもらおう」
アントニーは、宿の主人とウィルトンのやり取りが終わったのを見計らって、
「遺体を下ろして、出来ればすぐに埋葬したいのですが」
と、言ってきた。
「外に出るのか?」
夜明けは近いがまだ夜明けではなかった。ウィルトンとしては、こんな時でなければすぐにでも葬ってやりたいところではある。
「もちろん」
「悪いがそれは後にしてくれ。休むのが先だ」
陽光もあるが、大蜘蛛に襲撃されるのを警戒してもいた。人ひとり、しかも足を埋めるだけの穴などすぐに掘れるが、念のための用心だ。
「分かりました、では下ろすだけにしましょう」
アントニーはそう言った。まだデネブルを倒す前に、納骨堂の地下の住まいで、ロランを魔術により長椅子まで運んだが、大の大人では、足だけと言えど重過ぎるらしい。
跳躍して天井の梁に手を掛けた。腕の力だけでよじ登り、まずは片足を手に取る。
「受け止めてください」
床に立っているウィルトンにそう声を掛けてから、真っ直ぐ下に落とした。次に二本目の足を。
「なぜ、足だけ食い残したんだろう?」
「私にも分かりません」
村を出てくる前に、村長の家にある上等のワインをもらってきた。アントニーは一瓶を丸々飲んだので、まだ余力はあるようだ。梁から飛び降りて、難なく着地した。宿の主人のサダソンは、目を丸くして見ている。
「あれは良いワインでした。ジェナーシア共和国辺りの物でしょうね」
「その国、名前だけは聞いたことがあるな」
「比較的南方に位置する国で、ワインも良い物があるようです」
「そうなのか」
「ええ、他にも私が知っている事を、古王国時代からいかにしてかの国が成立したのか、語ることも出来ますが、今は止めておきましょう。たぶん、あなたは興味がないでしょうから」
「悪いな、後にしてくれ」
下ろした足は二本そろえて、片隅の床に置いた。側に卓と椅子を並べて目立たせないようにする。これはサダソンへの配慮だった。
「それでは二階の部屋に上がらせていただきますね」
アントニーは宿の主人に言った。黒に近いほど濃い紫の髪と瞳の、貴族的な美貌の若者の姿をしたヴァンパイアに、今初めて正面から見つめられたのだ。サダソンの顔に、畏敬にも近い尊敬の念が浮かぶ。
「はい、どうぞ。お好きな部屋をお使いください」
「ありがとう。では」
アントニーは優雅に背を向けて階段を上っていった。ウィルトンも後から続く。
二階にある一番大きな部屋に入った。部屋は全部で四部屋、階段から離れた奥のが最も大きい。寝台が四つ、わずかなすき間を空けて並べられている。
古びた深い褐色の木製であるのは、建物自体と変わらない。
ウィルトンは奥の寝台に身を投げだした。両手足を大きく広げ、大きく息をつく。
「服を脱いでからの方がいいですよ」
「よーし、脱ぐぞ」
ウィルトンはそう言うと、下着を残して全て脱いで背負い袋に入れる。寝台の掛け布団の下に潜り込み、
「じゃあな、先に寝るぞ」
あっという間に寝息を立て始めた。
「やれやれ、まだやらなければならないことが残っていますよ」
「汝と《血の契約》を今ここに成す。この契約はお互いの目的が果たされるまでは続く。このたび受けし依頼を果たすまで、この契約による結びつきと力の強化を汝に」
言い終えてから軽くため息をつく。
「まあ、あなたが目覚めてからです」
アントニーは寝台の側にある椅子から立ち上がった。
「さあ、ロラン。出てきなさい、窮屈な思いをさせましたね」
革製の背負い袋から人形を出してやる。意志のある人形、ロランだ。アントニーと同じく、古王国からの生き残りだった。黒い木で出来た玉を目のあたりに縫い付けられ、藍色の木綿糸で髪が作られている。服も藍色で、全体に質素な印象だった。
「どうかお気遣いなく、アントニー様」
高く澄んだ子どもの声でロランは答える。純真な少年の声であった。
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