第4話 骸骨の顔

「まさか宿の中にいるんじゃないだろうな」


 老人は首を横に振った。


「いいや、外だよ」


「あれはなんで入ってきたんだ?」


「旅の人が扉を開けてくれと言ってな。そ、そこの死んだ男が、バンデルが開けたんじゃよ。そうしたら旅人はおらず、蜘蛛は……」


 ウィルトンは鍋から深皿に、出来上がった煮物をよそった。


「我ながら会心の出来だぞ」


 一口、口の中に入れて深々と息をつく。木製の雑な作りのさじを勝手に取り出してきていた。深皿をカウンターに置き、立ったまま食べる。礼儀に反する行いだが、アントニーも何も言わなかった。万が一の襲撃に備えてなのは分かってくれているのだろう、と思う。


「ロランは?」


「私の背負い袋の中で寝ています」


「当分眠っていていいぞ」


 そう言ったのは、これから起こるかも知れない戦いと、天井の梁に引っ掛かったままの遺体があるからだ。


「そうですね。ところでご老体、二階は大丈夫なのですか」


「今のところは」


「天井に上(のぼ)れたのなら二階にも上れるだろうな。外の壁をより上って窓から」


「木戸は全部閉めたままにしてあるよ。もうじき夜明けだが、とても開けられん」


「開けないでくれ。大蜘蛛を入れないためだけじゃない。ついでに一階の木戸も閉めてくれないか?」


 ウィルトンはアントニーの方を見ないまま言った。


「私も手伝います。扉を開けなければ入って来れなかったのだとしたら、木戸を壊しては入れないとみていいでしょうね」


「わしゃ、そうであることを祈るが……」


 老人はアントニーと共に三つある窓の木戸を閉め始めた。老人が階段の下の木戸を、アントニーが後の二つを閉める。


「その旅人ってのが気になるな。どんな奴だった?」


 老人は恐ろしそうに身を震わせた。


「骸骨のような顔つきじゃったよ」


「ような? 骸骨ではなかったってことか?」


 老人はうなずいた。


「骸骨の上に、そのまま肌が張り付いているような、血も肉もなく、皮ふの下には骨だけがあるような、そんな有様だったんじゃ」


 老人は古びてはいるが、きちんと洗った様子の黒の上下を着ている。上着と下穿(したば)きに、生成りの前掛けをしていた。そうした様を観察すれば、宿を細かく調べなくても分かる。


「ここは豪勢とは言えない、地味な感じだが良い宿だな。食い終わったら天井の遺体を下ろす。それから少しは眠ろう。アントニー、お前が先に寝ろ。俺は後でいい」


「まだ起きています。天井のを私も手伝います」


「そうか。なら今すぐ下ろしてくれ。お前一人で充分だろ?」


「しかしいくら何でも、今下ろすのは止めた方がいいのでは」


「俺は気にしない」


 ウィルトンは木製のさじを軽く振ってみせた。アントニーはやれやれと言うように苦笑いを浮かべた。


「ヘラジカを初めて仕留めて解体しようとした時、妹のオリリエはすぐに慣れたのに、あなたはなかなか慣れなかったと以前言っていましたね」


「ああ。だけど今は大丈夫だ」


「駄目ですよ、ヘラジカではありませんから」


「あいにく、人の死にも慣れたのさ。慣れさせられたと言うべきだな、デネブルの野郎に」


 宿の主人と思われる老人を前にして、さすがに『じじい』という言い方は控えた。


 アントニーは何も言わなかった。


「今でも奴への憎しみは消えない。見事に打ち果たしたのにな。復讐は虚しい、と言うよりは、復讐では胸のうちの憎しみとわだかまりは消えない。何故なら、死んだ奴らは戻ってこないからだ。失われた四百年も取り戻せない」


「ええ、分かります。でも我々はやらなければならなかった」


「もちろん」


 ウィルトンは短く答えた。宿の中に沈黙が落ちる。


「ああ、あのな、宿代はただにするよ。飲み食いも好きにしてくれていい。その代わり」


「その骸骨のような旅人を見つけ出して、退治してくれ、ですか?」


「そ、そうだ。頼んだよ。お願いだ」


 老人は杖をつきながらアントニーに歩み寄る。


「逃げていった奴らが誰も戻ってこない! 客は三人いた。皆、手練の荒事師だ。なのに、なのに戻って来ないんだ」


「大蜘蛛は入り口から入って来たと言いましたね。逃げたのは窓から、ですか?」


「そ、そうだと思う。木戸は閉めとらんかったし、おそらくは」


「ようし、食い終わったぞ。我ながら美味かった。後はせめて赤ワインがあればな。ロランもようやく見分けがつくようになったんだ」


「ワインは置いとらんよ」


 老人は震え声で答えた。この男は人の話を聞いているのかと言わんばかりの眼差しをウィルトンに注いでいる。


「他に置いていそうな店はあるか?」


「たぶん、他の宿屋なら少しはあるかも知れん」


 ウィルトンは、井戸の傍らにある排水管に深皿とさじを持ってゆき、火起こし台から灰を少しばかり取った。干している布に水と共につけて、食器類を拭くようにする。


 後はざっと井戸水を掛けて流す。流れた水は排水管を通って外に行くはずだ。こうした場合の行き先は大抵は近くの川で、そこで洗濯も行われることが多い。


「古王国の時代、庶民の家にも石けんはあったのですが」


「灰で充分だろ。脂も汚れもよく落ちる。この方が理にかなっている」


「ですが、手が荒れてしまいますし、布も痛みます」


「灰を薄めればいい。俺の手は、そう簡単に荒れないから大丈夫だ」


 アントニーは軽くため息をついた。


「納骨堂の地下から少し持ってくるのでしたね」


「古王国時代の石けんを?」


「まさか。以前、ご領主がいるのとは別の都市に行った時に買いました」


「へえ、街にはそんな物もあるんだな」


「引き受けてくれるか?」


 老人は、たまりかねたように二人の会話に割って入った。


「いくら払ってくれる?」


 これは少々酷な要求かも知れなかった。デネブルの財宝の分け前で、懐(ふところ)は温かいのだ。困っている老人を、タダで助けてやる方が英雄らしいのかも知れなかった。


「払ってくれなくては動けない」


 ウィルトンは言った。アントニーも黙っている。こうしなければ、やがては自分たちがデネブルのようになってゆくだけだ。それを二人とも分かっていた。

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