第3話 老人からの依頼

「天井を照らしてくれ。暗くてよく見えない」


 アントニーはそうしてくれた。朝の陽光のような爽やかな温かみのある光が、玉となって天井へ舞い上がってゆく。


 アントニーには、夜明けの光は害であるのに、この魔術の光には何も反応しない。ウィルトンには、それが不思議だった。


 光は夜明けのように爽やかだが、照らし出された光景は凄まじかった。先ほど目にした二本の足らしき物を改めて見た。


 足だけだ。それが梁に引っ掛かっている。血は下の床には落ちてきていない。


「やられたのは、一人だけか?」


 アントニーは何も言わず、光の玉を移動させた。天井の隅々まで光が届くようにする。何も見つからなかった。


「少なくとも、天井にいたのは一人だけのようですね」


「他はどこに行ったんだ」


 アントニーに尋ねても詮無きことだ。探すしかなかった。


 その時、階上から足音が聞こえた。それは近づいてくる。入り口から見て向かって左側にある急な階段に。


「一応、用心しておきましょう」


 確かにそうだ、と思う。人畜無害な宿屋の泊まり人とは限るまい。


「あ、あんたたちは?」


 階段を下りてきたのは老人だった。人の良さそうな顔をして、足元を支えるために、木製の太い杖をついている。


「ここに泊めてもらおうと思って。だけどこんな有様だ。他の人たちはどこに?」


 ウィルトンは、槍の先で大蜘蛛の死骸を示しながら言う。老人からは怯えの色が消えない。蜘蛛だけを恐れているのではないようだ。


「はじめまして、私の名はアントニー。こちらはウィルトンと言います」


 アントニーはフードを除けて顔を露わにした。


「え? それじゃあんたたちがあの、デネブルを倒した、あの」


「そうそう、その英雄様だ。褒め称えていいぞ」


 アントニーは軽くウィルトンの足を蹴った。目立たない動きで、ローブの下の足の動きは老人には分かるまいと思われた。


「そうです、我々はデネブルを倒し、今はご領主の許へと急いでいます。大変なことがあったようですが、そろそろ夜明けも近いので、日暮れまでは泊めていただけないかと」


「それは……わしはかまわないが、今はこの宿には人がおらん。皆逃げるか、一人は……やられたよ」


「ええ、そうですね。天井の梁から下ろしましょう」


「何も用意は出来んよ。パンとエールだけはあるが。料理はその死んだ男がやっていたからな」


 老人の声は震えている。話をするのもやっとという有様だ。


「なあに、料理なら任せろ。お貴族様には出来ない腕前を見せてやろう」


 ここでアントニーは声に出して言った。


「少しは死者を悼む気持ちを見せたらどうなのですか? ご老体もまだ恐ろしがっておられますし、少しは言葉に気をつけて──」


「はい、そこまで。俺は今、最高に腹が減って気が立っているんだ。お前と違って食い物がたくさん必要なんだよ。お前も俺以外の人間からは血を吸いたくはないんだろ?」


「ですが、せめて蜘蛛の死骸と天井の遺体を何とかしてから」


「駄目駄目。いいか、こんなところに大蜘蛛が五匹もいたってことはだ、他にも変なもんが現れるかも知れないだろ? 腹ごしらえしておくんだ、今のうちにな。でないと俺は戦えない」


「なるほど。分かりました、あなたの言うことに理があるようです」

 

「ようし、分かってもらえて俺は嬉しいぞ」


 ウィルトンは大げさに槍を振り回し、老人に許しを得ないままカウンターの中に入っていった。


「火が着いたままでよかったな」


 独り言のように言うと、勝手に井戸の側の食物庫を開けた。中には燻製肉と乾燥した果物、芋類と根菜類があった。乾燥させた香草は、束になって天井から下がっている。


「よし、この材料全種を使う。一食分切って鍋にぶち込むぞ」


 ウィルトンはそうした。水は井戸からくんで、沸かした後に材料を入れた。


「素晴らしい手際の良さです」


 アントニーはそれでも、巨大蜘蛛の死骸を一人で外に引きずり出していた。湯を沸かしている間に、すでに五体とも入り口から出し終わっている。


「いいぞ、もっと褒めろよ。俺が気分良くなるように」


 盟友はふっと苦笑を漏らして、それには答えない。老人は呆然として二人の動きを見守っていたが、急に階段を下りきると、アントニーに近づきながら、


「あんた方、領主のところへ急ぎなさるのか?」と。


「私は特に急ぎでもないのですが」


「何かあるのか?」

 

 老人は、カウンターの中にいるウィルトンの方を向いた。


「大蜘蛛はまだおるんじゃ」


 ウィルトンは舌打ちしたい思いだった。やっぱりそう来たか。せめて食い終わるまでは現れるな。


 いい匂いがし始めた鍋のそばで、そう願っていた。

 

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