第6話 蜘蛛の襲来

 ロランはデネブルの呪いから解かれ、元々の目と知力を取り戻した。人形の姿であるのは変わらない。何故なら、彼の肉体はとうの昔に失くなってしまったからだ。


 アントニーは彼を椅子の上に座らせた。椅子は部屋の中に四脚、みな寝台の傍らにひっそりと置かれていた。ウィルトンが眠る寝台は部屋の一番奥にある。離れた位置にある三つ目の寝台の側に二人は座った。


 アントニーは声をひそめて問う。


「具合はどうだ?」


「すっかり良くなりました、アントニー様」


 ロランはみずみずしく感じられるほど澄んだ声で答える。主人であるアントニーに合わせて、声を小さくしていた。


「長い間、ご迷惑をお掛けしました。僕をお見捨てにならなかったこと、本当に感謝しております」


「いいんだ、そんなことは。おかげで私も独りだけにならなくて済んだのだからな」


 良い感じに古びた、濃い褐色の木製の部屋はまだ静かだった。もうじき外は目覚めた人々の動きや声でにぎやかになるはずだ。少しずつ日の光が、閉め切られた木戸のすき間から差し込んでくる。アントニーは再びフードをかぶり直した。


「アントニー様、血はまだお飲みになっていないのですか」


「彼が目覚めてからにしよう。今は先に休ませてやりたいからね」


 そんなアントニーをじっと、黒い木の玉の目で見つめ、ロランは答える。


「アントニー様、僕は人間の体を取り戻せはしないのでしょうか」


 アントニーは軽く息をそっと吐き出した。


「難しいだろうな」


 下手な慰めは言わない。


 彼の人間としての身体は四百年前に滅びた。デネブルの呪いによって。復活されるのはまず無理であろう。となれば、残る手段は他の誰かの肉体を乗っ取るしかない。


 それはやりたくなかった。ロランも同じだ。それを分かっていて、人形の姿をした少年は言っている。一縷(いちる)の望み。わずかに残る希望を、主人であるアントニーに伝えたのだ。


 アントニーは椅子から立ち上がる。出来るだけ音を立てないようにしたが、椅子は微(かす)かにきしんだ。


 寝台の、生成りの布を広げた寝台の上に座る。布の下には干し草が詰め込まれているようだ。太陽を思わせる良い香りだとアントニーは思う。もう、自分には遠い存在となってしまった太陽の光と匂い。


「私はウィルトンと一緒に来てよかったのかな」


「なぜ、そんなことをおっしゃるのですか」


「彼には太陽の下での暮らしが似合っている。彼の妹、オリリエと同じように」


「そうかも知れません。ですがウィルトン自身が選んだのです」


 アントニーは黙った。思案する表情を浮かべる。


「よし、いいだろう。いつか彼が夜に目覚める暮らしに疲れて、私と共にいるのにも飽きてしまったら、私は潔く彼と別れる。でもお前は、これからも私と共にいてくれるな?」


「はい、喜んで。どこまでもお供いたします」


 アントニーは微笑した。


「ありがとう、ロラン」





「さあ、そろそろ日が沈むな。お前が寝てる間に何もなくてよかったよ」


 日没だった。背負い袋に入れて持ってきた黒く分厚い布を全身にかぶって、アントニーは寝台に横たわっていたが、今は目覚めて、腰から上を起こしている。


「そうですね。大蜘蛛は中には入れないのでしょう。外でも騒ぎはなかったのですね」


「俺は何も聞いていないし、宿の主人のサダソンも何も言わない。泊まり客は来なかったが、飯だけ食って出ていった荒事師の三人連れはいた」


 アントニーは目を丸くして驚きを示す。


「料理はあなたが?」


「そう、美味い飯作ってやったぞ。ま、大きい金貨二枚は、あの老人には大金だ、これくらいはしてやってもいい。当然、俺も飲み食いしたぞ」


「そうでしたか」


 人間が作る食事をヴァンパイアは食べられない。新種であっても、それは同じだ。


「私も食べられればいいなと、思います」


 憂いを含んだ声にも顔にも、ウィルトンは気づかぬ様子だ。


「あ、そうだ。他の宿屋から赤ワインもらってきたぞ」


 嬉しそうに背負い袋から取り出す。陶器製の瓶に詰められた赤ワインだ。ウィルトンが最初にくれたのと同じ、庶民のための安価なワインを。


「さあ、飲め飲め。今のうちに体に力をつけておけよ」


「ありがとうございます」


 アントニーは、自分の背負い袋からゴブレットを取り出す。ワインを入れるカップに、立派な脚と支える台が付いた物だ。


 ピューターという金属製の物で、銀器より丈夫で錆びにくいため、古王国時代には貴族によく使用された。当時、庶民は木製の食器を使うことが多かった。


 今では、ピューターのカップやナイフ、二股フォーク、スプーンなどが平民の間にも出回っているのをアントニーは知っている。とは言え、それより安価な陶器と木製の方が人気ではある。


「美味しいですね」


「そうか?」


「ええ、そうですね、太陽の味がしますよ」


「へえ、太陽の味か」


「日をたくさん浴びて育った葡萄の味ですね。健やかな、太陽を思わせる、そんな味と香りです」


「ふーん」


「あなたの血からも、やはり、太陽を思わせる味と香りがするのですよ」


「そうなのか」


「ええ」


 日は暮れて暗くなってゆく。ロランは立ち上がって木戸を開けた。ただし、大蜘蛛が入ってこないように、片側だけを細く。


 ここの木戸は外側に向かって開くようになっている。ロープを結わえつけて柱に結び、外から引っ張ってもそれ以上開かないようにした。


「ロラン、ありがとう」


「どういたしまして、アントニー様」


 まだ冷たい初春の宵の風が室内に吹き込んでくる。


「いい風だ」


「もうじき、春の花が咲きますね」


 ほうっと一息入れた時に、悲鳴が聞こえた。


「何だ?」


 ウィルトンはとっさに槍をたずさえて窓に駆け寄る。四つも並べられた寝台のせいで室内は狭い。寝台と寝台の間を素早く移動して、ロランの背後に立って外を見た。


「蜘蛛だ」


 言うと同時に、窓から光の刃を放つ。アントニーも寝台から下りた。ロープをほどいている暇はない。小型のナイフで切る。木戸を大きく開いた。


 大蜘蛛が三体、うごめいて、母娘とおぼしき二人を襲っていた。母親は、まだ十代の中頃くらいの娘を背後にかばい、持っている杖で蜘蛛を追い払おうとする。


 誰かが助けに行かねば、無駄な抵抗に終わるのは目に見えていた。


 アントニーは窓から飛び降りた。駆け寄ると当時に、白い骨の杖から魔術の光弾を放つ。


 この杖はウィルトンの推測通り、人間の骨で出来ている。高度な魔術を修めた貴族の骨で。アントニーの先祖の骨であり、代々ブランバッシュ家に伝わってきたのを受け継いだ。直系の子孫のアントニーにだけ使え、振るだけで魔術が発動する。


 現代では魔術を使うのに、特別な骨の杖の代わりに、呪文の詠唱を行うようになった。今では平民の間でも魔術は使われる。素質と修練が必要なのは、他の技術や職種と変わらないが、名目上は、訓練すれば誰にでも使えるということになっている。


「逃げて! 走るんです」


 アントニーは母娘に向かって叫ぶ。


 二階から下りてきたウィルトンの足音を背後に聞いた。《血の契約》により、彼もまた、尋常でない跳躍が出来るようになったのだ。

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