第16話 あなたのことは忘れない

 何故、敵の動きが止まったのか。ウィルトンには分からなかった。


 ウィルトンはデネブルに対して、騎士道らしきものは全てかなぐり捨てると決意していた。故にこの機会を逃さなかった。


 槍をかまえ直して側面に回る。狙うのは脇腹だ。そこが一番すきがある。


「この音色、実に美しい。古王国の音楽ですね」


 アントニーが言った。彼もまた昔を思い起こして、意志に反して物悲しさに囚われているようだ。


「? これは昔から村に伝わる調べだ」


 それよりも、この機会にもっと魔術を撃ち込んでくれ。そう言いたかった。


「古王国時代から残っていたのでしょう。でも元が何であったのかは忘れられたのですね」


「やめろ」


 もう一度、デネブルは螺旋階段に激震を走らせた。妹オリリエの悲鳴と転倒する音が聞こえて、竪琴の音は途絶えた。


 音楽が止んだ時には、すでに槍の穂先は脇腹の寸前、穂先はデネブルを刺した。さらにそこから光の刃を連続して叩き込む。デネブルの傷口から体内へと。青い血が流れ、デネブルとウィルトンの服と足元を濡らす。


「貴様」


 これまでになく大きな傷を与えたようだった、


 続いてアントニーが放つ『火弾』。古王国貴族の生き残りの彼もウィルトンと狙いを同じくしていた。『火弾』は今ウィルトンが作った傷口に向けて全弾が放たれる。ウィルトンにもその槍にも当たらないように巧みに、傷口の近くに当てる。


 今度こそデネブルは大きくよろめいた。


「これでも喰らいやがれ」


 ウィルトンは叫んだ。勝利の雄叫びではない。それにはまだ早い。早過ぎる。


 ウィルトンはデネブルの傷口に刺さったままの槍に手を掛け、身体の重みを乗せてねじ込む。真っ直ぐに指すのではなく、ねじりを利かせる。再び、言い知れぬ憎悪が胸の内によみがえった。憎悪に駆り立てられていなければ出来ない真似を、必要だと考え、実行する。


 デネブルはウィルトンを蹴り倒そうとした。自分に喰らいつくうじ虫を引き離そうとしていたのだ。腹を狙っての蹴りだが、ウィルトンは上手く左足を上げて防いだ。両手は槍でふさがっている。


 思ったよりは蹴りが弱い。それでも防いだ左足に鈍い痛みと痺れが走る。右足だけで身体を支えて、さらに槍を奥まで差し込む。槍の切っ先が反対側の脇腹から出るように、と満身の力を込める。


「兄さん……!」


 螺旋階段を上って、オリリエがアントニーの背後に立つ。


「下がっていてください」


「でも兄さんが」


 ウィルトンの妹の手には、先ほどデネブルの肩を刺した黒ガラスの短剣がある。アントニーはそれを見て、首を横に振った。


「駄目です」


 言うと、彼も前に出て至近からデネブルに魔術を叩きつける。ウィルトンがいる右半身を避けて左側の肩の辺りを。下手をすれば巻き込みかねないが、アントニーはそんな拙(まず)いやり方はしない。今回発したのは稲妻と雷だ。虎や巨象でもひとたまりもない。


「アントニー、何故だ」


 デネブルは脇腹を槍で刺しているウィルトンの存在を忘れたかのように、アントニーを見て言った。どこか嘆きのようにも聞こえる。あるいは純粋な疑問でしかないのかも知れなかった。


「まさか、本当にそれが分からないあなたではないはずだ」


 デネブルが反撃をためらったわずかの間を逃さない。次々と稲妻がデネブルに向けて放たれる。


 デネブルはウィルトンを蹴り飛ばす。槍を持ったままのウィルトンを、アントニーが受け止める形になった。よろめいて、二人とも転倒しそうになる。


「お願いよ、助けてよ。この人は、悪い人じゃない」


 オリリエは螺旋階段の階下に向けて叫ぶ。『この人』が誰を指しているのかは明白だ。ウィルトンはそれを聞いてほっとした。少なくとも妹は分かってくれたのだ。


 デネブルは、アントニーが自分に向けて放った電光の三倍も強力な魔術を放ってきた。ウィルトンと、そのすぐ後ろのアントニーに対してだ。幸い、オリリエにまでは届かなかった。先ほどアントニーに言われた通り、下がっていたからだった。


「に、兄さん!」


 オリリエの悲鳴に応えるかのように、黒髪の美女が現れた。透き通った身体の幽霊の美女が。


「エリアーナ、邪魔をする気か」


「ええ。貴方が人間にうんざりしたように、私も貴方と過ごすのは、もううんざりです」


「貴様、俺を裏切るのか。どいつもこいつも……何故だ!」


「裏切り? 違うわね。私はこの機会を待っていたの。ずっとこんな風に、ここに来てくれる誰かと力を合わせてお前を倒せる日を」


「エリアーナ、お前」


「デネブル、今日がお前の最期よ。本当の最期になるの」


 エリアーナと呼ばれた美女は、凍える冷気を発した。デネブルは冷気に耐えるが、動きは鈍くなってゆく。


 ここで、ウィルトンとアントニーは電光を浴びた痺れから立ち直った。


 光の刃を穂先から立て続けに放ちつつ、突進する。敵の動きが鈍くなっている、今こそが最高の機会だ。脇腹の傷口に再度槍をめり込ませた。今度こそデネブルは怯(ひる)んだ。


「お前がしでかした事の報いを受けろ」

 

 奈落の底から響くような声だと我ながら思った。積年の恨みが込められた声だ。


「さようなら、デネブル。かつてのあなたのことは忘れない。その後、あなたが犯した罪も決して忘れない」


 藍色のローブの内側から、香木の宿り木の杭を取り出す。アントニーは容赦なくデネブルの、かつての友人の心の臓の在り処に突き立てた。


 耳を突く絶叫。アントニーはさらに杭を押し込む。強く、深く。決して抜けないように。

 

「アントニー、エリアーナ、お前たちにも俺の気持ちが分かる時が必ず──」


 だが敵はそれ以上を口にすることは出来なかった。


 ついにデネブルは倒れた。四百年に渡る暗黒城の城主の支配が、今終わったのだった。

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