第15話 美貌の幽霊

 落下する。叩きつけられる。今、宿敵デネブルとアントニーが相対する螺旋階段から、一階分を階下の階段に落ちた。


 しかしその刹那、ふわりと身体が浮き上がった。見れば妹の身体も浮いている。


「誰がやってくれた? アントニーか」


 彼の盟友はデネブルと睨み合い、こちらには一目もくれない。気に掛けていないわけではあるまい。強敵を前にして、他に気を散らせないだけだ。


 では、誰が?


 ふわりふわりと空中を漂って近づく者がいた。妹が現れた時と同じように、魔術により運ばれているのかと思ったが、どうやらそうではないらしかった。何故なら、その者の身体は半透明に透き通り、こちらに手を伸ばしても、触れる感覚はなかったからだ。


「幽霊……!」


 ウィルトンは幽霊を見るのは初めてだった。噂にはよく聞いていたが実際に見るのは初めてだった。冬の寒い日々の夜に、幽霊話を明々と火の燃える暖炉の傍らで話して聞かせる。この辺りの風習だが、見たことはなかった。


「こんにちは。今日は日が明るい日。デネブルもあなたのお仲間も、力をいつものようには出せないはずね」


「あなたは誰なんです? いや、そんなことは後だ。助けてくださって礼を言います」


 ウィルトンは階段の上で立った。彼の妹も立ち上がり、突然現れた幽霊を驚きの目で見つめている。


 何という美しさであることか、その女の姿をした幽霊は。


 黒髪に黒い瞳、全身を黒衣に包まれた、美しいだけでなく気品のある美女だ。肌の色だけは雪のように白い。


「何としてもデネブルを倒す。皆でここを出る」


 オリリエにそう言い残して、螺旋階段を上ってゆく。


「お待ちなさい」


 ウィルトンは待たなかった。


 女の幽霊は彼の前に浮かび上がり、やんわりと制止した。


「それは甘いわね。あのヴァンパイアにデネブルと戦わせておきなさい。彼が滅ぼされても気に掛けないで。いいえ、その時こそ好機なのよ。デネブルが弱ったところを私たちで」


「そんなことは出来ない。何故、いま皆で戦っては駄目なのですか」


「あなたは何故、何の理由であのヴァンパイアを信用するの?」


「何を馬鹿なことを」


 ウィルトンは幽霊の傍らをすり抜けて階上へ。アントニーの後ろに立った。


 ウィルトンは幽霊の美女の言葉が心底不快だった。美女が善意で言っているのが伝わってくるだけに、なおさらに。


 あの幽霊は何者だ。何故俺と妹を助けた? 美女の目的が何であろうと、彼女の言に従うつもりはない。


 これまで槍から出る光の刃が当たらなかった。いや、今なら当たるかも知れない。妹もアントニーも、充分にやってくれた。


 光の刃を放つ。そのうち一つだけはデネブルに命中した。妹が刺した右肩の傷口を狙った。デネブルが相手でなければえげつないやり方かも知れない。この敵を相手に騎士道など無意味なのだ。


 いきなり光が弾けた。螺旋階段全体に振動が走り、ウィルトンたちは転倒する前に伏せた。とっさの判断だ。続いてもう一発、二発。光を浴びると、身体中に痺れが走った。


「お前たちはここから生きては出られない」


 歌うように、明らかに楽しんでいる風に、デネブルは告げる。


「ああ、くそ。どうにかならないのか」


 激震のたびに倒れそうになり、槍をかまえるのもままならない。アントニーはと見れば、伏せた姿勢のまま骨の杖を軽く振るい、デネブルが立つ辺りの螺旋階段に強い衝撃を与えた。ごくわずかにひびが入ったようではあるが、宿敵もろとも崩れ落ちてはくれない。


「お願いよ、助けて」


 階下からオリリエの声が聞こえた。幽霊に嘆願しているのだろう。あの幽霊は何者なのか。果たして本当に味方なのか。


「ヴァンパイアは嫌いよ」


 幽霊の美女の声は冷たい。


「アントニーは違う! 新種のヴァンパイアで、人間に危害は加えない」


 あの幽霊は、古王国の生き残りの貴族の姫なのだろうか。ずっとこの城に囚われて、新種を知らないのだろうか。ウィルトンはいぶかしんだ。


「とりあえず、今は私たちに協力してください。後で私だけを倒せばいい」


「おい、アントニー、なんてことを」


「他に手はなさそうです」


 言い終わらぬうちに、デネブルは右肩の傷を癒やし始めた。自然と傷口がふさがり、青い血も流れなくなる。


「ああ、畜生」


 幽霊は動かない。オリリエの嘆願も聞こえなくなった。


「エリアーナ、私は人間であった頃、古王国の貴族としてあなたとは考えが合わず仲が良くはなかった。けれど今はデネブルを倒すのに力を貸してはいただけないだろうか」

 

 アントニーの頼みにも、幽霊の美女は素知らぬ顔のままだった。


 一体過去に何があったんだ? ウィルトンは気になったが、気にしている場合ではないと分かってもいる。


 デネブルの右手には、いつの間にか長剣が現れた。これも中指に埋め込んだ宝石と同じく、赤黒く、赤い闇を思わせる魔力を放っていた。


「覚悟しろ」


 デネブルは、アントニーの傍らを通り過ぎてウィルトンに剣を振り下ろした。危ういところで、横に転がってかわす。次に槍の先で長剣を弾く。切っ先が逸れて、そのすきに立ち上がれた。槍をかまえる。


 幽霊の美女は何もしようとはしないで、ただ見ていた。


 オリリエの竪琴の音(ね)が聴こえてきた。こんな時でも胸を打つ音色。


 デネブルの動きが止まった。

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