第14話 黒曜石のナイフ
階段の手すりは、階段の柵の部分の上部でもある。本当に幅が広く、表面が滑らかだった。滑り落ちないように気をつけながら、その上を歩いてデネブルに迫る。
アントニーは骨の杖の先から白い冷気を放ち、デネブルはそちらに気を取られていた。ウィルトンはデネブルの左側に回り込む。
アントニーはウィルトンの動きとその意図に気がついてくれたようだった。デネブルの右腕の方にゆっくりと移動して、気を引きつける。
「下等生物か。その見下しが油断を生むなら、むしろこちらには好機だ」
まるで自分の動きに気がつかないデネブルを見てそう思う。
デネブルは杖も持たず魔術を発動される何の媒体も持たぬようであったが、今ウィルトンは、右手の中指の一番目の関節の下に、紅い宝石が埋め込まれているのを見つけた。
紅い宝石は、しかしルビーでもガーネットでもなく、見たことのない深い紅(くれない)色で、じっと見ていると紅い闇の中に引きずり込まれそうになる。
紅い闇は宝石の中で渦を巻き、回転しながらあらゆるものをその中心に吸い込もうとしているかのようだった。
デネブルは自分の考えと動きに気がついている。ウィルトンはそう認識した。今では激しい怒りも憎しみも鎮静していた。頭は澄んでいて、ただ敵を倒そうとする意志だけがある。明哲で静かな意志、それに決意。
古王国の貴族は大理石を好んだが、この暗黒城は黒曜石で出来ている。ウィルトンが乗る階段の柵の上の幅の広い手すりも、やはり滑(なめ)らかな黒曜石だ。
その手すりに乗りながら、ウィルトンは緊張を感じた。息を細く長く吐き出して落ち着こうとする。まだアントニーと魔術のぶつけ合いをしている。まだ手すりに乗ってからまばたきを二、三回するだけの間も空いてはいない。
デネブルがウィルトンの動きと狙いに気がついていても、アントニーの魔術に対抗するのにはかなりの力を使うはずだ。そう思いながら妹オリリエの姿を見た。オリリエの血が、デネブルの力を弱らせている。
「大丈夫だ、今助けてやる」
オリリエは二十(はたち)を四年過ぎた歳だ。三十になるウィルトンとはやや歳が離れている。
オリリエは決してか弱い女ではなく、野生の巨体のヘラジカ──ヘラジカの頭までの高さは、長身のウィルトンの身の丈を優に超える──を狩って自分で解体して家族と周辺に暮らす仲間に食わせることも出来た。いかんせんヴァンパイアが相手では分が悪過ぎる。
先祖代々伝わる槍は、ウィルトンにしか扱えなかった。
だから、俺はここに来なければならなかった。
手すりを伝って上がる。デネブルの右腕の側に、さらに、その背後に。
「甘いな」
デネブルは、右手から炎を放ちつつ、左手で剣を持った。黒いガラス製の細身の短剣だ。魔術により強化している。狙いは過(あやま)たなかった。
手すりに乗るウィルトンは上手くかわせない。実に素早い、神速の動きだった。仮に階段に立っていたとしても上手くかわせたかは分からない。
右足首の上あたり、最初冷たく次に灼けるような痛みと熱さ。ただの短剣ではないとすぐに理解した。
痛み。痛みだ。灼けるような、痛み。
不意に過去が蘇る。ヘラジカは巨大で大の男四、五人分の重さがある。ヘラジカが向かってくる。逃げられない。
あの時助けてくれたのは誰だったか。あの時にはまだ槍を使いこなせなかった。
誰かがいた。真冬の昼間に当たる時でも凍える寒さ、雪がたくさん積もっていた。その中に、藍色のローブのすらりとした端麗な姿を見た。
「まさか」
ウィルトンは黒ガラスのナイフを足から抜いた。黒ガラスが肉の間を滑ると共に痛みが走る。抜いてからも血が流れる。止血している暇はない。
ウィルトンはナイフを妹に投げた。幸運にも、妹はデネブルの右側、ウィルトンに近い方にいた。
「兄さん!」
ナイフの柄を持ち、オリリエは叫んだ。
同時に、彼女は兄の意図を悟っていた。
「オリリエ、それには魔術の力がある」
そうよ、そうだわ。
先ほどアントニーの魔術が当たり、砕けた細工物があるところにナイフを突き立てる。
「貴様」
デネブルはオリリエを冷たく睨(にら)みつける。
この下等生物が。内心に膨れ上がる冷ややかな怒り。
デネブルはオリリエを階下に叩き落とした。殺しはしない。力が多少衰えようとも、美味なる血の人間は生かしておく。
「殺しはしないよ。貴重な家畜として、これからもこの城で贅沢な暮らしをさせてやる。大事にしてやるよ。もう何も物に不自由な思いはしないで済む」
「妹は貴様の家畜なんかじゃない」
痛みを堪(こら)えて槍をかまえる。今はデネブルの背後に回っていた。刺す。服の表面だけを破って、デネブルには逃れられる。頭上へと。敵は高く飛び上がっていた。アントニーの杖は上を向く。
黒みがかった紅の宝石の魔術はそれを防いだ。次の瞬間、鋭い蹴りがウィルトンを手すりから叩き落とした。一階分下の階段に叩きつけられる。
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