第13話 冷たい炎

 デネブルは語る。


「これでも昔、人間だった頃は国王候補にもなる明主として領地内では知られていた。だが飽きた。何もかもにうんざりした。アントニー、君もいずれは人間にうんざりするだろう。他ならぬその下等生物こそが、君をうんざりさせる最大の存在になるかも知れないが」


 そのアントニーは紅蓮の炎に取巻かれても平然としていた。炎の渦は彼を避けて左右に別れた。そのまま背後に消える。ウィルトンはほっとした。言うまでもなく危険を承知でここに来たのだが、自分だけでなく彼にも死んで欲しくはなかった。


「うんざりしたならさっさと何処かへ消えればよかったんだ。誰も気にしやしない。お前が誰も傷つけなければな。今となってはもう遅いが」


「黙れ、下等生物」


 今度は炎がウィルトンを襲う。かわそうとするが階段の幅いっぱいに広がり、彼を包みこもうとする。気持ちの良い涼風が流れ、炎を遠ざけてくれた。アントニーが背後から傍らに立つ。


「すごい魔力だ」


「ご心配なく。あなたのお陰ですから」


「俺の?」


「あなたの血のお陰です」


 それを聞いてはっとする。妹オリリエを見た。


「まさか妹も」


「ええ。でも相性が悪かった。分かりますかデネブル、そして覚えていますか? 美食趣味が高じると体に悪いと私が言ったのを。人間であった頃からの、あなたの悪い癖ですよ」


「そんな馬鹿な」

 

 不敵な余裕の態度であったデネブルに、初めてごくわずかに動揺の色が見えた。


「やはり気がついてはいなかったのですね。あなたらしい。何もかもを見下して、だから肝心なところで失敗するのです」


 敵を見くびるな、敵にも敬意を持て。単なる道徳論でも騎士道でもない。敵を見くびって油断すれば自分が負けるからだ。


「俺はお前に敬意を持つなんてごめんだね。だが見くびってもいない」


 見くびれるわけもなかった。永い間、ずっとこの地方一帯を支配していた暗黒の影の領主。ウィルトンが生まれるよりもずっと前から。アントニーが生まれるよりも前からだ。


 表の領主は各都市とその周辺の村を治める人間の貴族だが、本当の支配者が誰であるかは皆知っている。


「人間にうんざりしたなら、貴様だけで勝手にさっさと滅びればよかったんだ」


 デネブルは薄ら笑いを浮かべて、直接答えはしない。ウィルトンの言葉を聞いていないかのような言を吐いた。


「ある一面からすれば無辜のか弱き者、同情されるべき、害をこうむった者も、別な一面からはまた違う性質が見えてくる。ジュエーヌもそうだし、下等生物、貴様の妹も、だ」


 ただでさえ聞き捨てならない言であるが、妹に言及されたのが一番腹立たしい。オリリエを捕まえて血を吸っておいて何を抜かしやがるとウィルトンは思う。


「だから何だ? 貴様が好き勝手にしていい理由にはならない。それにお前は古王国の貴族だったんだろうが。お前の領民たちは、何のために高い税を払って贅沢させてやってたんだよ。貴族なら民のために働くのは当然だろ」


 それを聞いて、デネブルはますます冷酷な笑みを濃くした。薄青い目はますます冷ややかにウィルトンを見つめる。


「民のために働くのは当然、か。ずいぶん正直な奴だ。そこまではっきりと言った奴はいない。皆腹の底ではそう思っているとしてもな」


 アントニーは、ウィルトンの傍らで静かにため息をついた。何かを思い出している、そんな表情に見えた。


「民のために民が出来ない事をしているのだから、民がきりきり働いて貴族に重税を収めるのは当然だ、と公言してはばからなかった貴族なら知っています」


「じじいがか? はは、いかにも言いそうだな」


 ウィルトンは笑ってやった。だが、アントニーから返ってきたのは意外な言葉だった。


「いいえ、別の貴族でした。その頃の我々はまだ若かったので、そんな貴族を心から軽蔑していたものでした」


「我々!? お前とじじいが?」


「他にもいましたよ」


「でも、じじいもいたんだろ?」


「昔のことです。彼が四百年間してきたことの言い訳にはならないですね。私ももう、彼に対して情はありません」


「もうって? デネブルは千年間生きている。四百年前、その時からヴァンパイアだったはずだ」


「最初は、ヴァンパイアになったのにはわけがあったのです。私はそれを知る立場にありました」


「アントニー、一体何があったんだ」


「ふ、今度は嫉妬か。つくづく醜い下等生物だな、お前は。もしも私がこうなっていなければ、お前などが出る幕は全くない。わずかの間だけでも、古王国とお前たちが呼ぶ時代の貴族と仲良く出来たのだから、私に礼を言って欲しいくらいだ」


 次の瞬間、再び炎が放たれた。今度のは青い炎だ。デネブル自身の瞳と同じく薄青い。身体に触れた時、最初冷たく、次に灼熱の痛みが走った。


「ウィルトン、伏せてください!」


 ウィルトンはそうした。次にまた冷たさ。冷たさは骨の杖の先から放たれていた。青い炎とぶつかり合う。中和されて痛みはもう感じなかった。


 ウィルトンは、しっかりとした幅広の階段の手すりの上に乗って、そこから上に跳躍した。デネブルは魔術に気を取られている。このすきを見逃す手はなかった。

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