第12話 家畜と下等生物
デネブルは階下にゆったりとした足取りで下りてきた。
ウィルトンは槍をかまえ直す。穂先から光の刃を放つ。こくごとくデネブルに届く前に消えた。
「何だ、アントニー、君はこんな下等生物を連れてきたのか」
デネブルはウィルトンを一顧だにせず、アントニーに向かって言う。
「下等生物とは何だ?! 貴様、妹をどうした?」
ロランに下賤な男と言われても決して湧いてはこなかった根深い怒りが胸のうちに込み上げてくる。
「妹? ああ、そうか。お前はオリリエの」
「妹をどうした?!」
「うるさい下等生物だな、喚くな」
デネブルは薄青い目に冷酷な光を宿らせた。
「今すぐここに呼んでやる」
それを聞いて、オリリエはヴァンパイアにされたのだと覚悟をした。
デネブルは不吉な笑みを見せる。長い犬歯が、まるで肉食獣の牙に見えた。
「オリリエ、オリリエをどうした、じじい」
階上から竪琴の音色が聞こえてきた。吟遊詩人が携えて歩いている竪琴、弦は短い物から長い物へと順番に並べられている、そんな竪琴の音色が。
「オリリエの竪琴だ」
「そうだよ、いいことを教えてやろう」
階上からはより強い明かりが漏れてきた。オリリエの姿が見えた。
「オリリエ!」
デネブルの魔術により宙に浮かんだ状態で運ばれてきたオリリエは、人間のままの姿だった。兄と同じく黒い髪、黒い瞳、日に焼けたような色合いの肌の色。肌の色は、青白くはない。
「オリリエ!」
「に、兄さん。来て……くれたの」
オリリエは竪琴を奏でる手を止めた。恐怖で真っ青になっている。それでも服からはみ出した手足の先には、赤い血が通っているのが見て取れたのだ。
村では見たこともないような見事なドレスを着せられている。日焼けしたような色の肌に映えるようになのだろう、白いドレスだった。
白い絹の光沢の服に、いくつもの真珠が飾られて、白い糸で浮き彫りのように細やかな刺繍が施されているドレス。高価そうな衣装を着たオリリエは、単なる村娘には見えなくなっていた。
「この娘は殺さない。生きたまま私に血と竪琴の音(ね)を提供し続けてもらう。この娘の血は大事に少しだけ飲むんだ。殺すわけにはいかないからね」
「貴様、勝手なことを言うな、妹を離せ」
デネブルはウィルトンを無視して、アントニーの方を向く。
「下等生物の妹にしては、なかなか美味な味わいだよ。アントニー、君も試してみるかい」
デネブルは宙に浮かぶオリリエの首筋に爪の先で傷をつけた。赤い滴りが落ちて流れ、白いドレスに赤い染みをつけた。
「やめろ、妹に触るな」
「もう止めろ、デネブル」
アントニーはただ短くこう言った。
「何だ、君はずいぶんその下等な生き物が気に入っているようだね。でも君には、そいつに永い命を与える力はない。さあどうだ、もう一度私の許に戻ってくれば、そいつを我々の仲間にしてやってもいい」
デネブルは鮮やかな金髪の色が映える黒衣に見を包んでいた。アントニーの濃い藍色とは、似て非なる闇の色だ。
「それは出来ない」
アントニーの返答は実に冷静だった。彼に気を取られているデネブルの隙(す)きを突こうと、ウィルトンは光の刃を放ちながら槍をかまえて突進した。
「駄目です!」
アントニーが制止するが、遅かった。
デネブルはすっと身をかわした。氷の上を軽く滑るようになめらかな動きをした。デネブルがいた場所に、入れ替わりに宙に浮かぶオリリエが立たせられる。やはり宙に浮かんだままで。
ウィルトンは槍の穂先の向きを変えた。とっさの判断と動きだ。でなければ自分の妹を刺していたはずである。
ウィルトンの背後からアントニーが骨の杖の先から〈光弾〉を放つ。白く丸い閃光が三発。
うち、一発だけはデネブルの右肩を撃った。あとは届くまでに消える。
「やってくれたな」
デネブルは少しも動じてなどいないかのように苦笑してみせた。貴族的な仕立ての良い衣装には、黒瑪瑙(くろめのう)と黒ガラスの細やかな飾りがある。そのいくつかが砕けて足元に欠片となって散らばる。
黒地の服はおそらくは絹なのだろう。あまり目立たせないように飾りを着けるのが、古王国の貴族の品格とされてきたのをウィルトンも聞いたことはあった。それを思い出したのが、なおさらに怒りに火をつけた。
「今さら貴様に、品格もへったくれもあるか!」
デネブルはウィルトンの叫びを、聞くに足りぬ雑音ででもあるかのように無視した。
「またあの頃のように仲良く出来ないのか、アントニー」
「もうたくさんです」
アントニーの声は、硬く冷たい。微かに動揺の色があるのをウィルトンは感じ取った。デネブルにも分かっただろうか。
その動揺の理由を、ウィルトンは知りたい気もするが、知りたくはない気もした。
「ふふ、どうしてもこの下等生物と心中したいらしいな。いいだろう、ならばその願いを叶えてやる」
デネブルはと言えば、『下等生物』の内心など気にもしていないようだ。横ざまに流れる炎の渦がアントニーを包み込むまで、ウィルトンには目もくれなかった。
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