第10話 思い出

 毛布を取りに行くために納骨堂を、墓地を出た。村の自宅に向かう。今は誰もいない。両親も妹も死んだ。妹は死んでいないのかも知れない。でも死んだものだと思っている。それなら二度までも絶望せずに済む。


 月が煌々と輝く夜だ。今は誰も起きて外を歩く者はいない。見咎められることなく自宅にたどり着いた。


 月明かりは家の中にも差し込んでいた。灰色の石造りの数百年前から残る家の中は、木製の家具があり、外から見るよりも和やかな雰囲気に満たされている。壁には何枚ものタペストリーが飾られている。布製で、母親と妹が刺しゅうをしたり、飾り布を縫い込んだりして一枚の絵になっている。


 話に聞き、絵画でのみ見た陽光に満ちた世界が、タペストリーの中にだけは存在した。青空と日の光に照らされた緑の木々、昼間に飛ぶ小鳥たち。色鮮やかな花。もうずっとずっと、この辺り一帯から失われている。


 ウィルトンの目は月明かり以外には何もない闇に目が慣れていたので、寝室の毛布はすぐに見つけられた。余った端切れや古くなった服の布を切って重ね合わせ、つなぎ合わせて作られた毛布。


 毛布には毛織物だけでなく、厚みのある木綿布も使われている。今はいない母親が作った物だ。両親の物と、兄妹の物と。全部で四枚。そのうち、母親の物だった毛布を手に取る。


「あの部屋に持っていくとみすぼらしく見えそうだ。でも仕方がないな」


 暖炉に残る微かな火を取り、獣脂で出来たろうそくに火をつけた。乾パンと堅いチーズで食事を取る。湯を沸かして乾燥した薬草茶に注ぐ。茶は新鮮な野菜が手に入らない時の代用だ。


 そうやって空腹を満たすと人心地がついた。


「生きて帰れないかも知れない」


 声に出して言った。


「無駄死にになるかも知れない」


 そうしたらロランはどうなるのだろう。


 妹はたぶんもう死んだ。ヴァンパイアにされたと思うよりは、死んだと思う方が気が楽だ。


 このままアントニーとロランを連れて、自分たちだけで暗黒城の支配領域から逃れようか。ふと、そんなことがウィルトンの頭に浮かんだ。


 デネブルを倒すのは無理でも、逃げるだけならきっと出来る。


 ……。


 いや、駄目だ。


「いや、駄目だ」


 口に出して言う。


 妹は生きているかも知れない。もしもジュエーヌと同じようにされてしまったのなら、そこから解放するのが兄の役目だ。他の村人も、見捨てるわけにはいかない。


「よし、戻ろう」


 家を出る前に地下室に下りた。陶器に詰めた赤ワインが残っている。ガラス瓶は高価で、庶民の手にはなかなか手に入らない。


 家の窓もガラス張りではなく、木製の格子の内側に木戸があり、夏は木戸を開けている時には、虫除けの草を吊るす。


「お貴族様の口に合うかは分からないが」


 陶器の瓶もぼってりとした作りで洗練にはほど遠い。白地にオレンジ色で花の模様が描かれていた。


 ウィルトンは、それが見納めであるかのように出入り口に立って家の中を見渡し、それから静かに立ち去った。納骨堂に戻るまで誰にも会わなかった。




 墓地もまたすべてが眠りについたように静かだった。納骨堂は墓地の中心にある。ウィルトンは近づいてゆく。


 以外にも、アントニーは外に立っていた。白銀と紅玉の入り混じる月明かりの下、すらりとしたその姿をさらして。


 こうして見ると確かに、白百合のように凛とした風情の貴婦人の男装姿にも見えなくはない。しかし四百年も一緒にいたのに分からないままだとは。


 アントニーはウィルトンに気がついたようだ。


「戻ったのですね」


「ああ、これを持ってきた」


「これはこれは」


 アントニーは感心し、また感謝の意を示してくれたがウィルトンは言わずにはいられない。


「四百年も暗闇に閉ざされた村だ。ずっと昔からろくな物はない。村を見限って出ていこうとして、デネブル自身や配下のヴァンパイアや狼に殺された者もいる。このワインもここで作った物じゃない。時々やってくる交易商人から仕入れたんだ。商人にしても命がけの商売だ」


「はい、知っています」


「お前は何故ここにずっと暮らしていたんだ?」


「ずっと、ではありません。ロランを残して旅に出ていたこともあります。私はずっと共にデネブルを倒せる仲間を探していました」


「そうなのか。古王国があった時代にも」


「はい、そうですね。古王国と今の人たちが呼ぶ国々があらかた滅びた後にも、私たちは生き続けた。私には、デネブルの死をもたらしこの地を解放する義務が、あるいは責務があると思いました。国が滅びて、私はもう貴族ではない。それでも責務は残る。デネブルに関して、私には責任がある。そう思って今まで探し続けていました」


 でも誰も見つからなかった。それはウィルトンも同じである。


「この毛布をロランに掛けてやってくれ」

 

 と、口に出してはそれだけを言う。


 再び納骨堂の地下に入ると、ロランは長椅子の上でまだ眠り続けていた。


「ほら、持ってきたぞ」


 古ぼけた毛織物よりは暖かく生地もしっかりしている。大理石で形作られた品格あふれる住まいには似つかわしくないが、だからこそ自然と温かみを添えた。


 見れば絹のクッションも古くなって中の綿がはみ出ている。


「これで私たちが帰らなければ、彼は一人でここに居続けることになります。でもそれは仕方がありません」


 冷たいともとれる言い方だった。


「生きて帰るんだよ。必ず勝って帰ってくるんだ」


 アントニーは長椅子の傍らにある、背の高いポールに吊るされた鳥かごに近づいた。中には本物の鳥の羽根を貼り付けた赤い作り物の小鳥が入っている。


 ポールは大理石、鳥かごは黄金で出来ている。


「ロランが目覚めたら伝言をしてくれ。三日経っても私が帰らなければ、私はもうこの世にいない。必要な物は奥の戸棚の中にある。人形の持ち主だったお前の従姉弟の仇を討ちに行く。帰ったら祝杯を上げよう。帰って来れなくても、お前が存在し続ける間、充分な物はあるから安心していていい。長い間、ありがとう。アントニアより」


 伝言を魔術製の小鳥に託して、二人は納骨堂を出て行った。目指すは暗黒城である。

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