第9話 下賤な男

「頼む、教えてくれ」


 純粋に知りたかった。


 子どもの背丈くらいの人形は、傍らに立ったままウィルトンを睨みつけているようだ。


 四百年も前の古王国をウィルトンはあまり知らない。だが庶民のための人形だったのだろうとは推測出来る。


 飾り気はなく質素で、木綿で作られている。目のあたりには、黒っぽい木製の玉が縫い付けられている。


 髪は木綿の細めのひもで、服と同じく紺色だ。きれいに櫛(くし)が入れられ、ほつれやもつれは全く見当たらない。


 口元は朱色の染料で小さく染められている。鼻はない。可愛いと言えなくもないが、それよりは素朴さが際立つ。


「貴族の家にあるような物とは思えないな」


「今となっては物ではありませんので」


 アントニーの言い方には、やんわりとたしなめる響きがある。


「悪かった。名前はなんて言うんだ?」


 アントニーにではなく人形に向けて言った。


「……ロランです」


 人形はためらいがちに答える。まだ声変わりをする前の少年のような声。


「そうか、ロラン。確かに俺はお貴族様から見れば下賤の男かも知れん。だけどお前も庶民の娘のための人形だったんじゃないのか? お前の元の持ち主はどうなったんだ」


 それを聞くとロランはぶるぶると激しく震えだした。


「悪かった。無理にとは言わんよ」


「やはり私から話します。ロラン、あちらへ行って休んでいなさい。私は大丈夫だから」


 ロランはおぼつかない足取りでアントニーの背後に隠れた。


「いえ、ここにいます」


「分かったよ、俺は信用されていないんだな。まあ無理もない。まだ会ったばかりだ。仮に本当に弱っているのだとしても、ヴァンパイア相手にどうこう出来る男なんてまずいないが」


「アントニー様はヴァンパイアなどではありません!」


 ウィルトンが予想していなかったほどに、ロランは激しく叫んだ。


 ここでウィルトンは素早く頭を切り替える。


「悪かった。今のは冗談だ。何しろ下賤の身なんでな、お貴族様相手の冗談は言えないんだ」


「庶民が相手だとしても無礼です!」


「悪かった」


 再度ウィルトンは繰り返した。


「やはりお前は少し休んだ方がいい」


 アントニーはそう言うと、白い骨で出来た杖を軽くロランの肩に当てた。ロランは後ろに倒れそうになる。杖を持たない方の手で支えると、もう一度杖を当てる。人形は空中を飛び、離れた位置の長椅子に横たえられた。


 長椅子もまた白い大理石で、重厚な造りだが、飾り気はあまりない。光沢のある布──おそらくは絹なのだろう──で作られた薄いクッションがいくつも置かれている。ロランはその上に仰向けにされていた。


「お前の具合がいつも悪いのだと思い込んでいるのは、赤ワインと白ワインの区別もつかないからだが、ヴァンパイアであるのは分かっている。でも認めたくないんだな」


「デネブルの恐怖が植え付けられているからです。旧種と新種の区別は付きません。私がヴァンパイアだと、認めたくないのは当然です」


「長いつきあいだと言ったな。どのくらいになるんだ」


「四百年間ずっと一緒にいましたよ」


「それなのに人間だと思い込もうとしているのか」


「彼が人形にされた時から、彼の認知は狂わされたのです」


「……そうか」


「ヴァンパイアではなく人形にされたのは単にデネブルの気まぐれです。あえて言うなら貴族の身ではなく、見た目もあまりデネブル好みではなかったからでしょうか」


「ジュエーヌと違って?」


「そうですね、彼女は特にお気に入りだったのだろうとは思います」


「でもジュエーヌのためには報復しには来ないんだな」


「彼にとっては昔から全ては遊びでした。今となってはただの惰性です」


 畜生と言いたかったが止めた。


「なあ、暗黒城の裏手に穴を掘って城壁の中に入ろうとした話は覚えているな?」


「はい」


「ほんの七日前に見た。穴はまだ残っている」


「そうでしたか。瘴気にやられずにいたのですね」


「その日一日は具合が悪かったが治ったよ。あと少しで穴は城壁の中に届くところだったんだ。お前の杖の魔術で穴を掘り進められるか?」


「はい、それは出来ますが」


「が? 何かあるのか」


「地下の方が瘴気が濃いとなると、やや心配ではありますね」


「俺のことなら気にするな。城壁の中に入るまでは持ちこたえられる」


「そうですか。分かりました。やりましょう」


 これは、裏手に見つけた例の城壁のひび割れを、罠だと判断しての答えだった。


 アントニーは立ち上がり長椅子に近づいて、ロランにさらに深い眠りの魔術を掛けた。毛織物の膝掛けを上から掛けてやる。ロランには毛布と同じくらいの大きさとなりちょうどよかった。膝掛けには幾何学模様が織り込まれている。温かみのある灰色の濃淡で模様が浮かび上がっていた。


「この模様は、今ではあまり見ない。街へ行ったときにも見なかった」


「そうですね、今では廃れてしまったのでしょう」


 ロラン自身と同じように毛織物の膝掛けも、清潔さを保たれてはいるがかなりくたびれてしまっている。


「いったん村に戻って毛布を取ってきてやるよ。この部屋に相応しいかは分からないが、これよりは新しくて手触りも良い」


「ありがとうございます。私自身はもう、人と同じように寒さを感じはしないのですが、ロランには安らぎとなる物が必要です」


「下賤の男が使っていた物でよければ使ってくれと言ってくれ」


 やや、という以上に皮肉な調子でウィルトンは言った。本気で気を悪くしていないのは、口ぶりと表情で分かる。


「ありがとうございます。きっとロランも喜ぶでしょう」

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