第8話 活きた人形
幸いなことに、納骨堂のある墓場の近くまではまでは無事に戻れた。何にも、誰にも出くわさなかった。村の人間に会えば、それはそれで厄介なことになったかも知れない。
血の気のない青白い肌をしたアントニーを、どうやってヴァンパイアではないと言い繕えばいいかはウィルトンにも分からなかった。
それ以外はほとんど人間と変わらない。黒に近いほど濃い紫の髪は昔の、つまり四百年以上前の貴族には多かったようだ。
今はその血筋もほぼ絶えてしまったようだが、たまに先祖返りのようにただの村人にも、そんな髪の色の者が生まれる。
「村の連中が新種を知らないわけじゃない。だけど人間が相手でも、よそ者には冷たいんだ」
アントニーは身に着けていた紺色のローブのフードを目深(まぶか)に被(かぶ)り、顔を見えにくくしていた。
身体の他の部分は、元よりローブやその下の衣装に隠れている。ローブの中に着ている上下も、紺色で、ローブよりは明るい色合いだ。
「家に招かれて、明かりで照らされなければ分からないでしょう」
「すまない」
「何故あなたが謝るのですか」
「いや、一応村を代表して謝っておこうと思ってな」
「いいのですよ。デネブル以外に、誰も悪い者はいません」
「良いか悪いかは分からない。俺の気持ちとして
、本当は村に迎え入れたかったんだ。ああ、もちろん、お前がそれを望むならだが」
「そうですね、無理にとは言いません。それに本当なら、私はとうに滅びていたはずの者ですから。昔の国が滅びると同時に」
「そんなことは関係がない。現にお前はこうして生きているんだ」
「生きている……ええ、そうですね、ある意味では」
ウィルトンは何も言えず黙った。何か慰めの言葉を掛けるべきかも知れないが何も思い浮かばない。
そうしているうちに、見捨てられた村外れの墓地にたどり着いた。墓地もまた、紅玉(ルビー)と銀細工の月明かりに満たされている。月が明るいので、星は目立たない。
墓地に残されている墓石は、鎧を着た英雄の姿や、美しい《死の乙女》の彫像だ。雨ざらし風さらしの歳月にも耐えて、昔の国の面影を今に伝えている。
《死の乙女》は風にそよぐ薄衣のドレスを着て、死者の眠りのために奏でる竪琴を携えている。
英雄の鎧兜は表面に細かな文様の浮き彫りが施され、腰の長剣は脚よりも三分の一だけ短く鞘(さや)を伸ばしている。
アントニーの一族の納骨堂は墓石だけで葬られた者たちとは違う。貴顕の家柄に相応しく、立派な建物が地上にあり、《死の乙女》の浮き彫りがされた壁面と、分厚い鉄製の扉がある。
アントニーは先に立って扉を開けた。重い扉を易易と。ウィルトンにしても、そうまで軽々と開けられたわけではなかった。
「今ここで誰か、じじい以外の旧種のヴァンパイアが俺に力をくれると言うなら喜んで」
言葉には出さないで内心でこう考えた。
アントニーはきっと怒るだろう。ヴァンパイアにされて正気を保てるとは限らない。だがデネブルさえ倒せたなら、あとは同じように滅ぼされてもかまわない。そう思った。
納骨堂の中に入る。建物は半円形で、弧を描く壁面が正面に見える。昔の貴顕の一族の骨と従者の骨が、見事な彫刻の大理石の箱の中に収められている。弧を描く壁面には、それらが整然と並べられた棚がある。
棚の真ん中の前の床に、下に降りる狭い階段がある。納骨堂の中は銀細工の月光だけが何処からともなく入ってきていて、中を照らし出していた。
「これからどうしますか」
アントニーは訊いてきた。地下に降りて、昔の設えそのままの居室にいる。
「その前に聞いていいか?」
「はい、何でしょうか」
《法の国》崩壊後に出来た、今では古王国と呼ばれている今は滅びた西方世界の七つの王国。そのうちの一つの国の支配階級がアントニーの出自である。
七王国時代の王侯貴族に愛された白い大理石の調度品は、銀細工の月明かりの中で、冴え冴えと冷ややかな気品を放ってみえた。
居室の中央には円卓と椅子が四脚。そこに向かい合わせに座る。
七つの有力氏族から王は選ばれた。その氏族の一人だった、らしい。納骨堂の中の物を見て、真贋を見極められるほどの知識も技能もウィルトンにはない。でも、信じることに決めたのだ。
それでも、どうしても問い質したいモノがあった。問いを発する前に、それが先に口を利いた。
「アントニー様、おかえりなさいませ。わたくしは心配しておりました。お具合が悪いようですがご無理をなさいませんように。それにしても、この下賤の男は何者ですか? いけませんよ、こんな男をお側に寄せ付けては」
「何だ、お前は」
アントニーにではなく、それに向かって問い掛ける。
それは一体の人形のように見えた。清潔にされてはいるがかなり古びた濃紺の布製の人形。顔と手の先の部分だけは、ウィルトンと同じような肌の色の布が使われている。
「どう見ても具合が悪いようには見えないぞ?」
代わりにアントニーが答えてくれた。
「彼が人に与えられるものは、広い意味での『愛情による救済』で、それ以外にはないのです」
「な、何でだ?」
「誰にでも得意不得意はあります」
「……」
紺色の人形の手で、卓上にワインが運ばれてきた。とう見ても白ワインだ。
「赤しか飲めないんだろう? そう言ったよな」
「ええ」
「じゃあ何で? これも『愛情による救済』なのか?」
「そうかも知れませんね」
「かも知れない、って?」
「彼が何を意図してやっているのか、私にも正確には分からないことが多いのです。しかし繰り返しになりますが、誰にでも得意不得意はあります」
「……そうか、そうか。そうやって四百年以上の時をお前に仕え続けてきたんだな。言うまでもなく俺の知らないお前も知っているわけだ。羨ましい。いや、やっぱり羨ましくなんかない」
「まあそう言わずに。彼もまたあのデネブルの犠牲者ですから。それに確かにずっと長い時を共に過ごしてきたのです。そう悪し様には言わないでください」
言うと、一脚だけ運ばれてきた白ワイン入りの大理石の脚付きの酒杯をウィルトンの方に押しやった。
「知りたければお教えします。その時の出来事も」
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