第7話 暗い赤のこうもり
裏手を見て回り、城の側面部にまで来たが、他には何も見つからない。
「まさか正面から入るわけにもいかない。あのひび割れから忍び込むしかないな」
「具合は悪くならないのですか」
「いや、不思議なことに全く平気だ」
何故だ、と疑問を口にしようとして留(とど)まった。《血の口づけ》のおかげだ。他には考えられない。
「ありがとう。助かったよ」
「どういたしまして。ですが、そろそろ戻りましょう」
ウィルトンは了解の印に片手を上げた。戻るのはアントニーがいた納骨堂だ。新種とは言え、ヴァンパイアを恐れる者は多い。余計な騒ぎを村に持ち込みたくはなかった。
アントニー自身はどうなのか。村に迎え入れて欲しいと思うのか、そうではないのか。
いくらかは申しわけなくも思い、心が痛みもした。無事にデネブルを倒したとしても、アントニーは村の英雄として歓迎されはすまい。
ウィルトンはそんな内心を隠して城の側面部から離れて歩き出した。アントニーがどう思っているか、訊いてみたい気もしたが、今はそれどころではない気もした。
その時、背後から大きな羽ばたきが聞こえた。振り返ると巨大なこうもりが一羽。黒ではなく、暗赤色のこうもりだ。翼を広げていて、その幅が長身の男ほどもある。ウィルトン自身の身の丈ほどかとも思われた。
「くそ、こんな時に」
すでに瘴気の靄(もや)からは離れ、月影が二つともよく見える。銀細工と紅玉(ルビー)の月明かりに照らされた、濁った血の色のこうもりは、黄色い目を光らせ、宙に停止していた。
愛用の短い槍を構えて、光の刃(やいば)を飛ばす。
暗い赤の色のこうもりは、体の大きさの割に動きが速い。こくごとく、かわされた。
「畜生」
アントニーはすっと前に出た。宙にいるこうもりの下をかいくぐり、背後に回る。こうもりの方はと言えば、前にいるウィルトンに向き合ったままだ。アントニーの動きに気がつかなかったわけではないだろうが、そちらには目を向けない。
いいぞ、さすがだ。前後から挟み撃ちにしよう。
ウィルトンは心のうちでささやく。
単に逃れるだけなら上空へ飛べばいいだけだ。向こうにも攻撃の意思があるなら、それは出来ないはずだった。
素早く光の刃を立て続けに撃つ。五つ撃ったうちの二発は命中した。しかし敵はさしたる痛みを感じてはいないようだ。
真っ直ぐに滑空して来た。ウィルトンは、槍の穂先近くを左手で持ち、身体(からだ)の前に横にして構える。
辛(かろ)うじて槍で受け止めた。衝撃が重い。
広げた翼の両端に、骨のように白い光が真っ直ぐに刺さる。こうもりの背後からだ。光はまずはウィルトンから見て左の翼の先端を、次に右の先端を撃った。
「まさか、こいつがじじいじゃないだろうな?」
アントニーは返事をしてはくれなかった。これは冗談で言うのではないが、彼に伝わったかどうかは分からない。
翼の先端部を撃ったのは、ウィルトンには当たらないようにするためとすぐに分かる。頭部を狙わせよう、と即座に判断した。ウィルトンは地面に伏せる。
頼む、上手く撃ってくれ。
アントニーの方は、ウィルトンが地面に伏せたのを見て、同じく即座にその意図を悟った。
ウィルトンが伏せる、次に暗い赤のこうもりは地面に伏せたウィルトンを狙って、地面近くに下がって襲いかかるだろう。
下がる前に頭部を撃つ。
意表を突かれた。こうもりは右にかわして上空へと舞い上がる。骨のように白い光弾は何にも当たらずにウィルトンの頭上を飛び去っていった。
暗い赤の巨大こうもりは、そのまま上空に消えた。
「まさか、本当にじじいなのか」
ウィルトンは言った。アントニーに対してと言うより、半ば独り言だ。
「その可能性はありますね」
「城には入っていない。あの方向なら」
「そうですね。ですがもう手は届きません。一度戻りましょう」
「いや、ここで追いかける」
ウィルトンは、真剣な様子で二つの月に照らされた空を見上げている。
「見つけたぞ。あそこに赤い点が」
ウィルトンはアントニーの返事を待たずに走り出した。
「待ってください、ここは一旦(いったん)引き返しましょう。危険です」
「じじいが城の中に戻る前に倒せるかも知れないんだぞ」
ウィルトンは赤い点を見失った。走る彼にアントニーは着いてきてくれていた。息も切らしてはいない。
「さあ、納骨堂に戻りましょう」
ウィルトンもうなずくしかなかった。
青年の姿をしたヴァンパイアはそっと静かに青白い手を差し伸べて、ウィルトンの頬に触れた。
触れられると、その手は冷たいが心地よい。
「何も悪くはなっていないようです。よかった」
アントニーはそう言って微笑んだ。
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