第5話 薄暗がりの日

 アントニーは、暗黒城の裏手側に回ってみようと言った。ウィルトンに否やはない。二人並んで歩き出した。


「薄暗がりの日まであと少しですね」


「そう。一年が終わり、冬が終わる。新しい一年と春がやって来る」


 内陸諸国でも北の森の中に点在する村や都市。その一帯を暗黒城の城主は支配下に置いている。今二人がいる城の周辺はやや木々がまばらだ。白樺と赤松の林に暗黒城は囲まれている。白樺も赤松もこの辺りでありふれた森の木だ。秋には赤い実のなるナナカマドと同じように。


「永遠の命か」


 私と共に永遠の命を楽しみましょう。そう言った時のジュエーヌを脳裏に描いた。


「永遠の命が欲しくて、暗黒城の城主に娘を売った親もいる。遠方から乙女をさらい、差し出して自分の娘は助けてもらった奴も。城主の配下はそんな連中ばかりだ。信用なんて出来るわけもない」


 だが、一番忌々しいのは、自分にはそんな連中を批判する資格などないということだ。


 敵わない相手と判断して、ジュエーヌも他の乙女たちも、ジュエーヌを助けに行った三人の若者も皆見殺しにしてきた。今さら正義面は出来ない。自分を、ただ害を被っただけの村人だと思えもしない。


「旧種の中でも、永遠の命を与えられる者はごく限られています。若返りの秘法を、施せる者はさらに少ない」


「それが奴の権力の源泉でもあるわけだな」


「そうです。永遠の若さと命が欲しい者がいますから」

 

 新種となったヴァンパイアは長命ではあるが、永遠には生きられない。著しい衰えは無くとも、時とともにゆっくりと衰弱もしてゆく。人間をヴァンパイアにする力もない。


「あなたはどうですか? 永遠の命が欲しいと思ったことはありませんか」


「永遠の命。あんな風になってか」


 ウィルトンには、ジュエーヌの変わり果てた様子がこびりつくように頭に残っている。多分、これからもずっと残り続けるのだろう。


「でも本人は幸せなのかも知れません」


「冗談だろ。とてもそうは見えなかった」


「欲望に取り憑かれて追い掛けているうちは、少なくとも本人の中では刺激に満ちて幸せなんです。刺激がなくなると不幸を感じるのです。長く生きていれば、人間でもある程度はそうなります。ご存知ですね」


 お前はどうなんだ? と聞きたかったがやめておいた。個人的な関心より、共に宿敵と戦う仲間だという点こそが大事なのだ。


 全く関心が無いわけではないし、向こうから話してくれるなら喜んで聞く。こちらからは、あえて尋ねはしない。少なくとも今はまだ。


「ああ、分かるよ。俺も子どもの頃に比べたら感性は衰えたな。子どもの頃は、紅い月と白銀の月が、満ち欠けしたり、片方が見えなくなったり、星が季節によって移り変わる。それだけでも感動出来た。今は、違う。このままじじいになったらどうなるんだろうな」


「重要なのはそこですね。若返りの秘法でも、精神を根本から若返らせるのは無理なのです」


「千年生きてる城主のじじいは? いい加減生きるのに飽きてくれたらこっちは楽なんだがな」


「あなたは彼が心から楽しんで乙女をさらったり、配下に人を殺させたりしていると思うのですか」


「違うのか」


 ウィルトンは思わずその場に立ち止まった。アントニーも、そっと静かに止まる。


「以前はそうだったでしょう。今は違うと思います」


「じゃあ何でだ?」


「はっきり言えば、惰性、でしょうか」


「惰性?」


「彼にとっては習慣になってしまったから、何も感じなくてもやり続けているだけ。そういう意味です」


 おそらくはアントニーが言う事は正しいのだろう。怒りよりも、やりきれなさと絶望感が強くなる。


「畜生」


 口に出したのはこれだけだ。


 アントニーは何も言わなかった。下手な慰めはしないのだろうと思う。


「お前はジュエーヌみたいにはならなかったんだな」


「そうですね、私は最初から恋に狂えるほど純情ではなかったので」


 他の欲には狂ったことがあるのか? そう聞きたかった。聞くべきか、今度は迷った。信頼すると決めてはいたが、いくらかは気になる。これは感性の若さの話とは違う。信頼に値するか否かに直接関わる部分だからだ。


「俺は、ヴァンパイアにされた奴がジュエーヌのようになるとは思わなかった。皆、お前みたいに冷静な奴ばかりだと。お前は何故、ああならなかったんだ」


「昔、欲に狂ってはいたが冷静でもあったのですよ。一番、質(たち)が悪いかも知れません」


 それを聞いて背筋にぞくりと来るものがあった。それ以上詳しいことを、訊いてみたい気もするが、訊きたくもない気もする。


「欲に狂うって?」


 結局、ウィルトンは訊いた。


「新種は最初から新種だったわけではないので。ただ、城主デネブルのように選り好みはしていませんでした」


 ウィルトンは、ゆっくりと息を吐き出した。長く細く、静かに。気持ちを落ち着けるためのいつものやり方だ。もう習慣になっている。


「デネブルを倒すには、どうしてもお前の力が必要だ。俺一人では、これから先もずっと助けを求める者を見殺しにし続けるだけだ」


 アントニーは何も言わない。ただ黙ってウィルトンを見つめていた。


 高い赤松の木の上から木の葉が落ちて、地面に落ちてくるまでの間、沈黙が流れた。やがてアントニーは言った。


「私が許せないですか」


「いいや。さあ、分からない。詳しいことを何も知らない。知ったところで、お前の助力が必要なのに変わりはない」


「正義の女神ネフィアルは、自らの罪への罰をも受けると決めた者にのみ、報復と復讐を助けてくれると聞きます。でもそれには、力のある神官の仲立ちが必要です。だから、私は待っていました。でも現れなかった」


「……」


「私はあなた以上に、自分自身が正義面をするわけにはいかない存在ですが、それでも正義を信じています。それが、私自身にとって必ずしも都合の良いものではないのだとしても」


 ウィルトンはもう一度、息をゆったりと吐き出した。


「俺は正義も女神も信じられないが、お前のことは信じる」


 そう言って立ち止まったままのアントニーに背を向け、先に立って歩き出した。


「どうした? 早く来い」

 

 振り返らないまま、後ろに手を振って合図をする。


 それからまた先に歩いて行った。

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